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	<title>農樹-育てて売る主食屋、農業梁山泊-</title>
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		<title>2010年　秋</title>
		<link>http://nohju.jp/magazine/022</link>
		<comments>http://nohju.jp/magazine/022#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 14 Sep 2010 15:00:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nohju_master</dc:creator>
				<category><![CDATA[2010年　秋]]></category>
		<category><![CDATA[農樹通信]]></category>

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		<description><![CDATA[稲刈り突入
よーい、どん！

おりゃぁ…。ゴーーー…。

暑い！

ほこり立つ稲刈り。

「きゅうーすい！」塩をなめなめ、「きゅうーすい！」

ついさっきの冷水が、今はお湯…。
湯でも何でも、どうでも良いから、「きゅうーすい！」
秋風よ、ああ秋風よ、君恋しや、今何処…。
突入してしまった、平成22年の稲刈り。
わかんない
4条刈りコンバインを操作中、振り向けば、すっかり男の顔をした我が子がいる。今や、3条刈りのコンバインを我が手足の如く操りながら、俺を追いかけてくる「男」となった君は今何を考えているのだろう。

気がつけば、『わかんない』（作詞・作曲井上陽水）を口ずさんでいる。

雨にも風にも負けないでね
暑さや寒さに勝ちつづけて
一日、すこしのパンとミルクだけで
カヤブキ屋根まで届く
電波を受けながら暮らせるかい?
南に貧しい子供が居る
東の病気の大人が泣く
今すぐそこまで行って夢を与え
未来の事ならなにも
心配するなと言えそうかい?
君の言葉は誰にもワカンナイ
君の静かな願いもワカンナイ
望むかたちが決まればつまんない
君の時代が今ではワカンナイ
この曲を知ったのは、沢木耕太郎著「バーボンストリート」。俺が二十歳になった頃だったろうか？

明日もやろかい。４＋３の７条刈り。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>稲刈り突入</p>
<p>よーい、どん！</p>
<p><img alt="LsGSkrw1 2010年　秋" src="http://blog.chatta.jp/resources/member/000/430/0020160/LsGSkrw1.jpg" class="aligncenter" width="360" height="270" title="2010年　秋" /></p>
<p>おりゃぁ…。ゴーーー…。</p>
<p><img alt="W2f3BLd1 2010年　秋" src="http://blog.chatta.jp/resources/member/000/430/0020163/W2f3BLd1.jpg" class="aligncenter" width="360" height="270" title="2010年　秋" /></p>
<p>暑い！</p>
<p><img alt="jeBBRL5h 2010年　秋" src="http://blog.chatta.jp/resources/member/000/430/0020161/jeBBRL5h.jpg" class="aligncenter" width="360" height="270" title="2010年　秋" /></p>
<p>ほこり立つ稲刈り。</p>
<p><img alt="MZtY90WK 2010年　秋" src="http://blog.chatta.jp/resources/member/000/430/0020162/MZtY90WK.jpg" class="aligncenter" width="360" height="270" title="2010年　秋" /></p>
<p>「きゅうーすい！」塩をなめなめ、「きゅうーすい！」</p>
<p><img alt="HdjnrKcQ 2010年　秋" src="http://blog.chatta.jp/resources/member/000/430/0020159/HdjnrKcQ.jpg" class="aligncenter" width="360" height="270" title="2010年　秋" /></p>
<p>ついさっきの冷水が、今はお湯…。<br />
湯でも何でも、どうでも良いから、「きゅうーすい！」<br />
秋風よ、ああ秋風よ、君恋しや、今何処…。<br />
突入してしまった、平成22年の稲刈り。</p>
<p><strong>わかんない</strong></p>
<p>4条刈りコンバインを操作中、振り向けば、すっかり男の顔をした我が子がいる。今や、3条刈りのコンバインを我が手足の如く操りながら、俺を追いかけてくる「男」となった君は今何を考えているのだろう。</p>
<p><img alt="nz8gSoTR 2010年　秋" src="http://blog.chatta.jp/resources/member/000/430/0020777/nz8gSoTR.jpg" class="aligncenter" width="360" height="270" title="2010年　秋" /></p>
<p>気がつけば、『わかんない』（作詞・作曲井上陽水）を口ずさんでいる。</p>
<p><object width="480" height="385"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/81aJ5iManLQ?fs=1&amp;hl=ja_JP&amp;color1=0x5d1719&amp;color2=0xcd311b"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/81aJ5iManLQ?fs=1&amp;hl=ja_JP&amp;color1=0x5d1719&amp;color2=0xcd311b" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="480" height="385"></embed></object></p>
<p>雨にも風にも負けないでね<br />
暑さや寒さに勝ちつづけて<br />
一日、すこしのパンとミルクだけで<br />
カヤブキ屋根まで届く<br />
電波を受けながら暮らせるかい?</p>
<p>南に貧しい子供が居る<br />
東の病気の大人が泣く<br />
今すぐそこまで行って夢を与え<br />
未来の事ならなにも<br />
心配するなと言えそうかい?</p>
<p>君の言葉は誰にもワカンナイ<br />
君の静かな願いもワカンナイ<br />
望むかたちが決まればつまんない<br />
君の時代が今ではワカンナイ</p>
<p>この曲を知ったのは、沢木耕太郎著「バーボンストリート」。俺が二十歳になった頃だったろうか？</p>
<p><img alt="oGVaecIt 2010年　秋" src="http://blog.chatta.jp/resources/member/000/430/0020778/oGVaecIt.jpg" class="aligncenter" width="360" height="270" title="2010年　秋" /></p>
<p>明日もやろかい。４＋３の７条刈り。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>2010年　夏</title>
		<link>http://nohju.jp/magazine/021</link>
		<comments>http://nohju.jp/magazine/021#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 22 Aug 2010 15:00:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nohju_master</dc:creator>
				<category><![CDATA[2010年　夏]]></category>
		<category><![CDATA[農樹通信]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://nohju.jp/?p=614</guid>
		<description><![CDATA[愚直
春先から調子がおかしかった左腕は、紛れもなく腱鞘炎。肘の先、手をぎゅっと握り締めるとぐいっと盛り上がる筋肉が痛い。草刈りや肥料の撒布といった重労働を一日通して続けることができない。そして、この蒸し暑さ…。
ここひと月、辛いどころの騒ぎじゃねー。ブログの更新？冗談じゃねー！野良仕事から帰れば、キーボード叩くのも仕事がらみの必要最小限に抑えつつ、明日のために温冷浴と低周波電気治療器にマッサージ、そして仕上げの湿布を施し明日を迎えなければ、半日と持ちこたえてはくれない俺の左腕。
そこへ来て、本来春先に田んぼに撒いているはずだった肥料の山が目の前にある…。雨の連続だったこの春、本来トラクターに取り付けた機械に放り込んで撒くはずだった肥料が大量に残っている。左腕の状況からすれば、その量が量なだけに断念しても稲たちから恨まれることも無かろうが、そこは頑固一徹、プロ魂が許さない。そして、大和魂が許さない。サッカー日本代表の活躍を！と願をかけて、お百度詣りならぬ、数百度担ぎだい。
我が家の肥料の山を崩すべく、意を決したのは、田植え終わらぬ５月末。代表批判高まる中、
「くそたれ日本人め、雑魚の如く踊りよる。批評や批判…、誰かが言い始めたらすぐに同調する雑魚どもめ。日本の代表に選ばれし若者を無為の心で応援できんのかい！」
というふうに愚直な俺の心が叫んだ。
背負っては撒き、撒いては草刈りと、牛馬の如く働き、
「馬鹿だなあ。」
と我が体が愚痴を吐きつつ、また背負ううち、日本代表がいい顔して帰ってきた。その後の番組出演でもいい顔、顔…。
「よかった、よかった。」
と思ううち、我が家の肥料の山もようやく無くなり、腕の痛みも時には忘れられるくらいになっていた。
昨日は、野外作業から暫く遠ざかっていた息子が、次に控える肥料の撒布作業に参加してくれ、
「これはかなりハードな作業だねぇ…、ひと月大変だったねぇ。」
と汗まみれの顔で労いの言葉をかけてくれるので、嬉しく感じつつも、今と先日までの愚直な労働の違いを、
「おう、昨日までこれの４倍背負って撒いとった。」
と言うと絶句していた。
「それって、全部で何キロ？」
「んー、6,000キロ？」
「って、６トン…、まじかよ。」
ちゃんと伝える
先日、園子温（そのしおん）監督作品、『ちゃんと伝える』というタイトルの映画を観た。正確に言えば、その映画のDVDを息子に借りて観た…。
ヤツをちょいとつつけば、打ち出の小槌のごとくお勧め映画が配給されるからありがたい。

その、『ちゃんと伝える』…。余命わずかな末期がんの父と、これまで十分に語り合うこともなかったが、残る限られた時間を父と向き合おうと決めたサラリーマンの息子の物語。皮肉にも息子までが父の主治医から余命宣告をされながら、それでも父との約束を果たそうとする息子…。身の周りで在りそうで無さそうな、無さそうで在りそうなオリジナルストーリー。
映画の場面、場面で、ついつい涙がこぼれ、20年前に死んだ親父と自分の当時を思い返せば、「思い」をちゃんと伝え合った記憶が乏しすぎることを恨めしく思う。親父が弱弱しくなっていったときの自分が、様々な意味であまりにも未熟で鈍感だった、と。
そして今、自分はもうすぐ二十歳になる息子の父親…。
親父になって父を思えば、世間になびかず、力に巻かれず、愚直にも自由であるを最良とする我が気質は親ゆずりなのだと思う。損得勘定抜きに感情走って馬鹿をみても、たから笑って、その損な話をも自慢げに話すあたりは、「ちゃんと」伝えられてしまったようで、そして、無意識にそれを「ちゃんと」日々実践する自分は、上手に世間を渡る術も学べる若者にとって、迷惑千万な親父かもしれない。
しかし、自分は…、
父親としての値打ちを高めて、息子から高い評価を得ようなどとする考えに及ばない不器用者。壁にぶつかって、強いはずの自分が実は弱くて、だからと言って弱いだけの人間では無いということを、飾らず、そしてみっとも無さも、隠さず高らかに笑って語ろう…。親父というもの、完成されていては窮屈だ。発展途上の男くらいでちょうどいい…、わっはっは。
誰に似たのか？無骨な平成男児と伝えあう、切磋琢磨の日々是好日、万歳。
寝太郎さま
むかし、長門の国は厚狭の里に、毎日寝てばかりいて村人から「寝太郎」と呼ばれる庄屋の息子がおりました。三年と三月を寝て暮らしたある日、むっくりと起き上がり父親に船をつくらせ、新しいわらじをいっぱい積むと佐渡島へ船出しました。佐渡島へ着くと金山で働く人たちの古いわらじと新しいわらじを交換し、船いっぱいに積むとさっさと帰ってゆきました。村にもどると泥んこですり切れたわらじを村人たちと桶で洗いました。すると桶の底に金の砂が光っているではありませんか。手に入れた砂金を元に堰をつくり干害用水路を引き、荒地の原野を水田に変えたのでした。
のちに村人から「寝太郎さま」と親しまれ、長生きしたそうな。
今でも農業の神様として神社に祭られております。（日本昔話『三年寝太郎』）

山口県を代表する民話に由来して名付けられた純米焼酎、その名も『三年寝太郎』。知人からことあるごとに贈っていただくこいつは、ぐいぐいやりたい飲兵衛にはうってつけの、味わい深く、香り、呑み口とも爽やかな一本。
グラス片手に何度読んでもいいお話。氷をグラスにざっくり盛って一杯。こちとら、灼熱のお日様のもと、たった３日でさえも寝ているわけにいかないこの身に、うまい焼酎をせめてまたもう一杯、もう一杯と、また『お話』を読み返す。
「いつも必ず、こいつを贈ってくれるのには意味があるのか…？俺も何かを成し遂げたいね…。」
旅
今朝方、息子が旅に出た。大学の友人と3人旅。リュックひとつ抱えて、風の吹くまま、気の向くままチャリンコを漕ぐらしい。
決まっていることと言えば、チャリンコはチャリンコでも変則ギアー付は反則、3人ともママチャリでなくてはならない。また目的地は無く、とりあえず「琵琶湖一周でもする」といったノリで、どうも決め事をしないことが決め事のようだ。こちとら帰りはいつともわからない。

この日のためにあつらえたお揃いのTシャツに袖を通し、集合場所へと朝6時半、喜々として出かけるファンキーボーイに、
「さすが俺の息子！」
と心の中で万歳しながら、笑顔で送り出した。
「どうか、このへんてこなTシャツを着た若者達に、冷たいお茶の一杯と、暖かい声援と、もひとつ願わくば、黄色い声援なんぞいただけないもんかのー。」
ちょうど1年前、ヤツは、
「旅に出る。」
と突然言い始めるや、4、5日どこにいるともわからないまま姿を消した。この間、言葉の無いメールに写真だけが添付され送られても、どこにいるともわかりそうな写真は送ってこない。帰って来て、どこへ行っていたのか聞けば、なるほど、神奈川、東京、茨城あたりへ行っていたらしい。ヤツが5歳までを過ごした横浜やつくばを巡ってきたわけだ。自動車免許取りたての18歳が一人で、一般道を走って東京を駆け抜けるなんぞ…。
「血は受け継がれる…もんやね」
と思ったものだ。
昨日は草刈りの合間、ぜーぜー息を切らしている私に、息子が尋ねてきた。
「クマさんがシルクロードの陸路旅、行ったのいくつの時やったっけ？」
「おーっ、暑い、あん？ああ、にじゅういっさい、おー、しんどい…。」
「鉄道とバス乗り継いだんやったよね…。半年くらい行ったんやったっけ？」
「おー、そうそう。」
ヤツは来年21歳。もしかしたら…。何したかて、俺は驚かんもん、ね。
水風呂
こうも暑さが続くと、日中熱せられた体が夜のうちに冷めきることなく、翌朝を迎えているような気がしてならない。エアコンの風を浴びても、水を浴びても体の芯がまだ温いような感覚。空冷も水冷も効かず、蓄熱される一方のよう…、に感じられる。
夕食後、エアコンと扇風機の風に当たり、足裏マッサージ器にふくらはぎを揉ませながらテレビを観てると、意識がどこか遠い世界へととんでしまう。いつもよくある事とは言え、ことのほか心地よく行ってしまっていたらしく、一昨日の夜、窓の外の物音で「ビクン」と、こちらの世界へ舞い戻ったときには涎を垂れていたが、その足音で息子が旅から帰還したと察知。顔を拭い、起きなおして、
「お帰り！」
と寝ぼけながらも元気よく迎える。
そこには、黒く、いや赤く？赤黒く、そして目まで赤くなった息子が立っていた…。その表情から、舞い戻るために相当の精力を使い果たしたことが伺え、夜食をかき込むと言葉少なに部屋へ向かう息子へ、
「明日はゆっくりせえ…。」
と休みの合図。
しかし、ここからが凄い。毎早朝恒例の草刈り作業に復帰するや、ママチャリ琵琶湖一周の疲れなぞどこ吹く風よとばかり、先へ先へと調子よく進んで行くではないか…。こちらは、日に日に衰え、草刈りのゴールはまだか？猛暑はおさまらぬか？どうにかならんか、この暑さ、と嘆き節ばかりを唱えつつ、午前9時には全身びしょ濡れで、ぜーぜーしてると、
「だらしないぞ！」
と息子が言い放ち、悪戯っぽくニヤついている。
「はい、すんまっしぇん。」
とボケながら笑おうとしても、口を開けるが精一杯で、その後の笑い声が追いつかない。
あー、もう情けない。俺が悪いのか？お天道さんが悪いのか？どうでも良いから、涼しさと若さを返して欲しい。息子のような、筋金入りの耐熱人間にしておくれとまでは言わないが、このままでは居られない。このまま稲刈りに突入してしまうなんて考えたくも無い…。
体にいいとか悪いとか、もうどうでも良くなったので、外から帰ればそのたびに水風呂に浸かることにした。どうでも構わん、体の芯から冷え切るまで、水冷放熱だい。
熱戦
昨日から満を持して、綾部市議会選挙の街宣車が走り始めた。投票日の8月29日まで、１週間、騒々しい日が続く。
平年は、高校球児たちが繰り広げる熱戦の数々を清々しく見届けて、いよいよ収穫の秋を前に、涼風そよぎ始めることよろしく、夏から秋、気持ちのスイッチを切り替え、来る大仕事の準備に着々と取り掛かるところ…。
しかし、今年は4年に1度の当たり年、おまけに記録的な猛暑。ここへ来て、甲子園の躍動や感動とは大きく異なる「あつさ」のおかげ、心穏やかな秋へと向うことができない。
猛暑、酷暑のおかげで、田んぼが乾くこと乾くこと。朝5時には田んぼに水を仕掛けてまわり、いったん家に戻り、朝飯を食らって一息つく間も無く、7時までには田んぼに出る。そう、午前10時までが野良仕事のゴールデンタイム。
先日まで続いた草刈りキャラバンもゴールを向え、今では田の草取りキャラバン隊。田んぼに入り、稲より背が高くなった草めがけて稲を掻き分け前進。鎌のあしらいよろしく、なるべく低いところからスパッと刈ってまた前進。
朝露に濡れる稲を掻き分け下半身はびしょ濡れ。汗で上半身がびしょ濡れになる午前8半には、選挙街宣車が行き交い始め、誠に騒々しい。
「ご苦労様です。お暑い中、農作業ご苦労様です。」
どうもこちらに向ってマイクでメッセージを送っているよう…。汗みどろの顔を上げて、愛想振りまくお調子者にもなれないし、
「はーい、苦労してまーす。暑さでゲロ吐きそーでーす。」
と大声を張り上げる。誰にも聞こえはしないたまの大声…、それもまた良し。
小さな峠の向こう側へ、早朝から水を入れている田んぼの様子を見に行こうと、こちらが峠に差しかかる前から、向こうのふもとから、
「ありがとうございます。お暑い中、暖かいご声援、誠にありがとうございます。」
と聞こえてくる。こちらが上りに差し掛かる頃、街宣車が下ってきて、車中の皆さん満面の笑顔で精一杯、車から身を乗り出しながら手を振り、先の文句をリピートしながら去っていく。こちらは、そのまま峠を上り、下り、そして下りきっても、誰とも会わない、誰もいやしない。
「おいおい、奴さんたち…、鹿かイノシシにも、ありがとうって手を振っとんたん？」
したたる汗を拭いもせず、暑さで口も閉まらぬままの田んぼの回りをそろそろ巡り、
「水は入ったか？ああ、まだか。仕方ない…、ふうー。」
と、田んぼに向ってひと息ついていると、また街宣車。200メートル、いや300メートル向こうから、
「ご苦労様です。猛暑の中、農作業ご苦労様です。」
とこれまた同じ文句でやってくる。ぐるり見渡せば、俺一人…。
「せからしかー！ズボン下ろしとろーが、わからんとかー！立小便にご苦労さんって、馬鹿にしとーとかー！」
ピンポイント攻撃したつもりやろが、間違いなく、俺の一票はよそに行く。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>愚直</strong></p>
<p>春先から調子がおかしかった左腕は、紛れもなく腱鞘炎。肘の先、手をぎゅっと握り締めるとぐいっと盛り上がる筋肉が痛い。草刈りや肥料の撒布といった重労働を一日通して続けることができない。そして、この蒸し暑さ…。<br />
ここひと月、辛いどころの騒ぎじゃねー。ブログの更新？冗談じゃねー！野良仕事から帰れば、キーボード叩くのも仕事がらみの必要最小限に抑えつつ、明日のために温冷浴と低周波電気治療器にマッサージ、そして仕上げの湿布を施し明日を迎えなければ、半日と持ちこたえてはくれない俺の左腕。<br />
そこへ来て、本来春先に田んぼに撒いているはずだった肥料の山が目の前にある…。雨の連続だったこの春、本来トラクターに取り付けた機械に放り込んで撒くはずだった肥料が大量に残っている。左腕の状況からすれば、その量が量なだけに断念しても稲たちから恨まれることも無かろうが、そこは頑固一徹、プロ魂が許さない。そして、大和魂が許さない。サッカー日本代表の活躍を！と願をかけて、お百度詣りならぬ、数百度担ぎだい。<br />
我が家の肥料の山を崩すべく、意を決したのは、田植え終わらぬ５月末。代表批判高まる中、<br />
「くそたれ日本人め、雑魚の如く踊りよる。批評や批判…、誰かが言い始めたらすぐに同調する雑魚どもめ。日本の代表に選ばれし若者を無為の心で応援できんのかい！」<br />
というふうに愚直な俺の心が叫んだ。<br />
背負っては撒き、撒いては草刈りと、牛馬の如く働き、<br />
「馬鹿だなあ。」<br />
と我が体が愚痴を吐きつつ、また背負ううち、日本代表がいい顔して帰ってきた。その後の番組出演でもいい顔、顔…。<br />
「よかった、よかった。」<br />
と思ううち、我が家の肥料の山もようやく無くなり、腕の痛みも時には忘れられるくらいになっていた。</p>
<p>昨日は、野外作業から暫く遠ざかっていた息子が、次に控える肥料の撒布作業に参加してくれ、<br />
「これはかなりハードな作業だねぇ…、ひと月大変だったねぇ。」<br />
と汗まみれの顔で労いの言葉をかけてくれるので、嬉しく感じつつも、今と先日までの愚直な労働の違いを、<br />
「おう、昨日までこれの４倍背負って撒いとった。」<br />
と言うと絶句していた。<br />
「それって、全部で何キロ？」<br />
「んー、6,000キロ？」<br />
「って、６トン…、まじかよ。」</p>
<p><strong>ちゃんと伝える</strong></p>
<p>先日、園子温（そのしおん）監督作品、『ちゃんと伝える』というタイトルの映画を観た。正確に言えば、その映画のDVDを息子に借りて観た…。<br />
ヤツをちょいとつつけば、打ち出の小槌のごとくお勧め映画が配給されるからありがたい。</p>
<p><img alt="ちゃんと伝える" src="http://blog.chatta.jp/resources/member/000/430/0017994/rzwO0ald.jpg" class="alignleft" width="70" height="75" title="2010年　夏" /><br />
その、『ちゃんと伝える』…。余命わずかな末期がんの父と、これまで十分に語り合うこともなかったが、残る限られた時間を父と向き合おうと決めたサラリーマンの息子の物語。皮肉にも息子までが父の主治医から余命宣告をされながら、それでも父との約束を果たそうとする息子…。身の周りで在りそうで無さそうな、無さそうで在りそうなオリジナルストーリー。</p>
<p>映画の場面、場面で、ついつい涙がこぼれ、20年前に死んだ親父と自分の当時を思い返せば、「思い」をちゃんと伝え合った記憶が乏しすぎることを恨めしく思う。親父が弱弱しくなっていったときの自分が、様々な意味であまりにも未熟で鈍感だった、と。<br />
そして今、自分はもうすぐ二十歳になる息子の父親…。<br />
親父になって父を思えば、世間になびかず、力に巻かれず、愚直にも自由であるを最良とする我が気質は親ゆずりなのだと思う。損得勘定抜きに感情走って馬鹿をみても、たから笑って、その損な話をも自慢げに話すあたりは、「ちゃんと」伝えられてしまったようで、そして、無意識にそれを「ちゃんと」日々実践する自分は、上手に世間を渡る術も学べる若者にとって、迷惑千万な親父かもしれない。<br />
しかし、自分は…、<br />
父親としての値打ちを高めて、息子から高い評価を得ようなどとする考えに及ばない不器用者。壁にぶつかって、強いはずの自分が実は弱くて、だからと言って弱いだけの人間では無いということを、飾らず、そしてみっとも無さも、隠さず高らかに笑って語ろう…。親父というもの、完成されていては窮屈だ。発展途上の男くらいでちょうどいい…、わっはっは。<br />
誰に似たのか？無骨な平成男児と伝えあう、切磋琢磨の日々是好日、万歳。</p>
<p><strong>寝太郎さま</strong></p>
<p>むかし、長門の国は厚狭の里に、毎日寝てばかりいて村人から「寝太郎」と呼ばれる庄屋の息子がおりました。三年と三月を寝て暮らしたある日、むっくりと起き上がり父親に船をつくらせ、新しいわらじをいっぱい積むと佐渡島へ船出しました。佐渡島へ着くと金山で働く人たちの古いわらじと新しいわらじを交換し、船いっぱいに積むとさっさと帰ってゆきました。村にもどると泥んこですり切れたわらじを村人たちと桶で洗いました。すると桶の底に金の砂が光っているではありませんか。手に入れた砂金を元に堰をつくり干害用水路を引き、荒地の原野を水田に変えたのでした。<br />
のちに村人から「寝太郎さま」と親しまれ、長生きしたそうな。<br />
今でも農業の神様として神社に祭られております。（日本昔話『三年寝太郎』）</p>
<p><img alt="三年寝太郎/焼酎" src="http://blog.chatta.jp/resources/member/000/430/0018036/o8d1XZbA.jpg" class="aligncenter" width="360" height="270" title="2010年　夏" /></p>
<p>山口県を代表する民話に由来して名付けられた純米焼酎、その名も『三年寝太郎』。知人からことあるごとに贈っていただくこいつは、ぐいぐいやりたい飲兵衛にはうってつけの、味わい深く、香り、呑み口とも爽やかな一本。</p>
<p>グラス片手に何度読んでもいいお話。氷をグラスにざっくり盛って一杯。こちとら、灼熱のお日様のもと、たった３日でさえも寝ているわけにいかないこの身に、うまい焼酎をせめてまたもう一杯、もう一杯と、また『お話』を読み返す。</p>
<p>「いつも必ず、こいつを贈ってくれるのには意味があるのか…？俺も何かを成し遂げたいね…。」</p>
<p><strong>旅</strong></p>
<p>今朝方、息子が旅に出た。大学の友人と3人旅。リュックひとつ抱えて、風の吹くまま、気の向くままチャリンコを漕ぐらしい。<br />
決まっていることと言えば、チャリンコはチャリンコでも変則ギアー付は反則、3人ともママチャリでなくてはならない。また目的地は無く、とりあえず「琵琶湖一周でもする」といったノリで、どうも決め事をしないことが決め事のようだ。こちとら帰りはいつともわからない。</p>
<p><img alt="ママチャリツアーTシャツ" src="http://blog.chatta.jp/resources/member/000/430/0019502/TsLKmI78.jpg" class="aligncenter" width="360" height="283" title="2010年　夏" /></p>
<p>この日のためにあつらえたお揃いのTシャツに袖を通し、集合場所へと朝6時半、喜々として出かけるファンキーボーイに、<br />
「さすが俺の息子！」<br />
と心の中で万歳しながら、笑顔で送り出した。<br />
「どうか、このへんてこなTシャツを着た若者達に、冷たいお茶の一杯と、暖かい声援と、もひとつ願わくば、黄色い声援なんぞいただけないもんかのー。」</p>
<p>ちょうど1年前、ヤツは、<br />
「旅に出る。」<br />
と突然言い始めるや、4、5日どこにいるともわからないまま姿を消した。この間、言葉の無いメールに写真だけが添付され送られても、どこにいるともわかりそうな写真は送ってこない。帰って来て、どこへ行っていたのか聞けば、なるほど、神奈川、東京、茨城あたりへ行っていたらしい。ヤツが5歳までを過ごした横浜やつくばを巡ってきたわけだ。自動車免許取りたての18歳が一人で、一般道を走って東京を駆け抜けるなんぞ…。<br />
「血は受け継がれる…もんやね」<br />
と思ったものだ。</p>
<p>昨日は草刈りの合間、ぜーぜー息を切らしている私に、息子が尋ねてきた。<br />
「クマさんがシルクロードの陸路旅、行ったのいくつの時やったっけ？」<br />
「おーっ、暑い、あん？ああ、にじゅういっさい、おー、しんどい…。」<br />
「鉄道とバス乗り継いだんやったよね…。半年くらい行ったんやったっけ？」<br />
「おー、そうそう。」<br />
ヤツは来年21歳。もしかしたら…。何したかて、俺は驚かんもん、ね。</p>
<p><strong>水風呂</strong></p>
<p>こうも暑さが続くと、日中熱せられた体が夜のうちに冷めきることなく、翌朝を迎えているような気がしてならない。エアコンの風を浴びても、水を浴びても体の芯がまだ温いような感覚。空冷も水冷も効かず、蓄熱される一方のよう…、に感じられる。</p>
<p>夕食後、エアコンと扇風機の風に当たり、足裏マッサージ器にふくらはぎを揉ませながらテレビを観てると、意識がどこか遠い世界へととんでしまう。いつもよくある事とは言え、ことのほか心地よく行ってしまっていたらしく、一昨日の夜、窓の外の物音で「ビクン」と、こちらの世界へ舞い戻ったときには涎を垂れていたが、その足音で息子が旅から帰還したと察知。顔を拭い、起きなおして、<br />
「お帰り！」<br />
と寝ぼけながらも元気よく迎える。<br />
そこには、黒く、いや赤く？赤黒く、そして目まで赤くなった息子が立っていた…。その表情から、舞い戻るために相当の精力を使い果たしたことが伺え、夜食をかき込むと言葉少なに部屋へ向かう息子へ、<br />
「明日はゆっくりせえ…。」<br />
と休みの合図。</p>
<p>しかし、ここからが凄い。毎早朝恒例の草刈り作業に復帰するや、ママチャリ琵琶湖一周の疲れなぞどこ吹く風よとばかり、先へ先へと調子よく進んで行くではないか…。こちらは、日に日に衰え、草刈りのゴールはまだか？猛暑はおさまらぬか？どうにかならんか、この暑さ、と嘆き節ばかりを唱えつつ、午前9時には全身びしょ濡れで、ぜーぜーしてると、<br />
「だらしないぞ！」<br />
と息子が言い放ち、悪戯っぽくニヤついている。<br />
「はい、すんまっしぇん。」<br />
とボケながら笑おうとしても、口を開けるが精一杯で、その後の笑い声が追いつかない。</p>
<p>あー、もう情けない。俺が悪いのか？お天道さんが悪いのか？どうでも良いから、涼しさと若さを返して欲しい。息子のような、筋金入りの耐熱人間にしておくれとまでは言わないが、このままでは居られない。このまま稲刈りに突入してしまうなんて考えたくも無い…。<br />
体にいいとか悪いとか、もうどうでも良くなったので、外から帰ればそのたびに水風呂に浸かることにした。どうでも構わん、体の芯から冷え切るまで、水冷放熱だい。</p>
<p><strong>熱戦</strong></p>
<p>昨日から満を持して、綾部市議会選挙の街宣車が走り始めた。投票日の8月29日まで、１週間、騒々しい日が続く。<br />
平年は、高校球児たちが繰り広げる熱戦の数々を清々しく見届けて、いよいよ収穫の秋を前に、涼風そよぎ始めることよろしく、夏から秋、気持ちのスイッチを切り替え、来る大仕事の準備に着々と取り掛かるところ…。<br />
しかし、今年は4年に1度の当たり年、おまけに記録的な猛暑。ここへ来て、甲子園の躍動や感動とは大きく異なる「あつさ」のおかげ、心穏やかな秋へと向うことができない。<br />
猛暑、酷暑のおかげで、田んぼが乾くこと乾くこと。朝5時には田んぼに水を仕掛けてまわり、いったん家に戻り、朝飯を食らって一息つく間も無く、7時までには田んぼに出る。そう、午前10時までが野良仕事のゴールデンタイム。<br />
先日まで続いた草刈りキャラバンもゴールを向え、今では田の草取りキャラバン隊。田んぼに入り、稲より背が高くなった草めがけて稲を掻き分け前進。鎌のあしらいよろしく、なるべく低いところからスパッと刈ってまた前進。<br />
朝露に濡れる稲を掻き分け下半身はびしょ濡れ。汗で上半身がびしょ濡れになる午前8半には、選挙街宣車が行き交い始め、誠に騒々しい。<br />
「ご苦労様です。お暑い中、農作業ご苦労様です。」<br />
どうもこちらに向ってマイクでメッセージを送っているよう…。汗みどろの顔を上げて、愛想振りまくお調子者にもなれないし、<br />
「はーい、苦労してまーす。暑さでゲロ吐きそーでーす。」<br />
と大声を張り上げる。誰にも聞こえはしないたまの大声…、それもまた良し。</p>
<p>小さな峠の向こう側へ、早朝から水を入れている田んぼの様子を見に行こうと、こちらが峠に差しかかる前から、向こうのふもとから、<br />
「ありがとうございます。お暑い中、暖かいご声援、誠にありがとうございます。」<br />
と聞こえてくる。こちらが上りに差し掛かる頃、街宣車が下ってきて、車中の皆さん満面の笑顔で精一杯、車から身を乗り出しながら手を振り、先の文句をリピートしながら去っていく。こちらは、そのまま峠を上り、下り、そして下りきっても、誰とも会わない、誰もいやしない。<br />
「おいおい、奴さんたち…、鹿かイノシシにも、ありがとうって手を振っとんたん？」</p>
<p>したたる汗を拭いもせず、暑さで口も閉まらぬままの田んぼの回りをそろそろ巡り、<br />
「水は入ったか？ああ、まだか。仕方ない…、ふうー。」<br />
と、田んぼに向ってひと息ついていると、また街宣車。200メートル、いや300メートル向こうから、<br />
「ご苦労様です。猛暑の中、農作業ご苦労様です。」<br />
とこれまた同じ文句でやってくる。ぐるり見渡せば、俺一人…。<br />
「せからしかー！ズボン下ろしとろーが、わからんとかー！立小便にご苦労さんって、馬鹿にしとーとかー！」<br />
ピンポイント攻撃したつもりやろが、間違いなく、俺の一票はよそに行く。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>2010年　初夏</title>
		<link>http://nohju.jp/magazine/020</link>
		<comments>http://nohju.jp/magazine/020#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 02 Jun 2010 15:00:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nohju_master</dc:creator>
				<category><![CDATA[2010年　初夏]]></category>
		<category><![CDATA[農樹通信]]></category>

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		<description><![CDATA[雨のち曇り
農繁期真っ只中、5月半ば過ぎ、17日を境に、心の中は、雨のち曇り。この間、書き物をする気が全く失せていた。
17日未明、前ぶれも無く突然、政治さんが逝ってしまった。前日の夜まで、家族と談笑しながら夕食をともにしたそうなのに、翌朝、体は冷たくなっていたと…。
政治さんの息子が、私と同い年の直輝ちゃん。町内で一番仲良く、再々一献酌み交わす間柄。その親父の政治さんもまた、私が親友と呼ぶには語弊もあるが、町内で最も愛すべき年輩者だった。
政治さんの日課は、ウオーキング。すたすたと歩くこと1時間以上、時には日に2回。そのコースたるや相当たる距離で、今から思えば、方々にある私の田んぼの見回りをしてくれていたかにも思える、ウオーキングコース。野外作業に勤しむ春から秋にかけて、私が、どこの田んぼで仕事をしていようと、出会わない日は、まず、無かった。
トラクターに乗っていると、道の上から、「おーい」と声をかけ、手を振り、その仕草でエールをおくってくれていることが良くわかる。草刈りに疲れ、あぜ道でへたばっていると、「きばっとるなぁ」と、寄り道をしてくれては、会話が弾む。
片っ端から資格を取得して、会社経営をし、引退後は悠々自適の76歳。努力で人生を切り開いて生き抜いたという自負を感じさせる政治さんとの会話は、いつも小気味良いものだった。ゼロから経営を成り立たせることを経験したからこそ、同じくゼロから始めて、今に至る私の、経営者なりに持つ辛さや悩みを、分析して、言い当て、そして最後には「きばらんなんっ、のぉ、くまさん」と、励ましてもらっていたものだ。
また、大好きな釣りから帰るや、ひょっこりと現れては、「おーい、釣れたでよ。食えや。」と、いつもその釣果をおすそ分けしてくれる優しいおっちゃん。妻も息子も大好きで、いつまでも元気でいて欲しい人だと、常々話していたのになあ…。
雨降る葬儀の翌日から、心に鞭打ち、田植え完了に向けて、最後の追い込みに入るも、トラクターを動かし、また、田植機に乗っていても、その先に、凛としてスタスタ歩く政治さんの姿があるように思えてならず、思わず目が曇る。どの田んぼに入っていても、これまで、そこから政治さんの姿を見かけて、「おーい」と、声かけ合わなかった田んぼは1枚も無い。
「おーい、きばっとるな、息子も向こうできばっとったでよ！」と、手を振っていそうで…、「今年も5月のうちに、田植えは終われそうか？」と、聞こえてきそうで…。
この先もずっと、私がどの田んぼにいるときも、思い出すに違いない。
背筋を伸ばしてスタスタ、スタスタ。十分努力した人生だと言わんばかりに、スタスタ、スタスタ。真っ直ぐに生きたぞ、と言わんばかりに、スタスタ、スタスタ歩く、あの姿。
5月30日、本年、田植え終了。
「おーい、まさじさーん。今年も５月のうちに、田植え終わったぞー。」と、叫べば、「よう頑張ったやぁ、でものぉ、くまさん、あそこの田んぼのぉ、水が干上がって、のぉなっとったでよぉ。」と、聞こえるような気がする。
曇りのち、晴れ間1
昨日の早朝、いつもより遅れて、私が係りをしている水利組合の揚水ポンプのスイッチを入れに行くと、その近くに住んでいるマサオさんがうろうろしていた。いつもなら遅くとも6時までにそこへ行くのだが、この日に限って、この春、稲苗を販売した先々の家のポストへ、請求書を投げ込みながら向かったので、7時頃そこへ到着。つまり、どうも、マサオさんは早朝1時間近く、私の到着を待っていたことになる。
常日頃、大変お世話になっているマサオさんは、我が息子評するところ、「癒される爺ちゃん」、なのだそうだ。さもあらん…。飾り気もへったくれも、全くあったもんじゃない。5月というのに肌寒かった、ついこの間まで、ドテラを羽織って、キャップをかぶり、足元は長靴といういでたちで、畑や近所を徘徊、こてこての地の言葉でまくし立てる強気のおっさん、79歳。過の政治さんとも馬があっていたようで、これまた私と我が家族の、愛すべきおっさんが、マサオさん。
この朝は、私の姿を見つけるなり、
「おー、お前を待っとんたんじゃー。」
だと…。なぜかと聞けば、
「トラクターの使いようが、どうも、わからんのじゃ。」
と、いうではないか。近年、めっきり足腰が弱ったせいでリタイアしたとは言え、数年前までバリバリの専業農家だったおっさんが、農家のシンボルの使いようがわからん、とは…。思わず、
「ボケてきたわけじゃ無かろうなぁ」
と、つぶやいてしまいつつ、
「ここと、ここをこうして…。ここに気をつけたら、いいよ…。」
と、デモンストレーションしてみせると、
「おお、おお、そうじゃ、そうじゃのぉ、思い出したでよぉ。」
そして、
「くまさん、待っとれよ。お前がおるうちに、わし、運転するでのぉー、見とってくれーや。」
と、帰ろうとする私を制止する。バリバリー、と、ディーゼル音を響かせトラクターが動き始めると、喜々たる笑みを浮かべ、そのうち、久しぶりの感覚に陶酔の表情になるおっさん。しばらくして、見守っている私の姿が再度目に入るや、
「おお、お前、帰って良いでよぉ。おっきにー。」
です、と…。ああー、マサオさん。そして、もうひと言。
「ボケて来よるわけや無いでのぉー。物忘れがひどーなって来ただけやでよぉー。」
です、と…。ああー、マサオさん。
家に帰ると、午前8時。通学前の息子にことの顛末を話せば、
「それぞ、マサオさんって感じで、いいよねぇ。わはは、ひぃー。」
と、そっくり返って大笑い。
あーあ、愛すべき我が友よ。
To be continued
曇りのち、晴れ間2
マサオさんの一件で大笑いしていると、息子が窓の外を差して、
「あっ、ツギオさん。ツギオさんがバイクで来た。」
と、言うので、外へ出て行くと、バイクにまたがるツギオさんが、我が家の奥の作業場の方へと進んで行く。
「ツギオさーん、どうしたん？」と、呼び止めれば、いつも飄々とした83歳か84歳になるそのおっちゃん、
「あー、やっと出会えたでよー。」
と、金を紙に添えて差し出す。金に添えられた紙は、この朝方6時30分、私がポストに投げ込んだ稲苗代金の請求書。投函から何と、1時間半後に支払いに来てくれるとは、ツギオさんの性分。このおっさん、何事も先回りして、後回しにすることを嫌う性質で、常に先のことが気になるようだ。
毎年のことながら、ツギオさんは、4月に必ず3度、種まき作業の現場にやってくる。
「種まきしよってんかい？ちょこっと覗かせてくれよぉ。」
と、言うや否や、場内を徘徊し始める。
「おー、上手に播けるもんじゃなあ。」「苗は連休にできるかい？」「娘たちが帰ってきて植えてくれるんじゃ。」「5月の3日に取りに来たらできとるかい？」
毎年同じ事を呟き、うろうろするから、次に何を言うのか分かっている。次は、自分は年寄りだから、もう田んぼは作りたくもないけれど、娘たちが、連休には必ず田植えに帰るから、作れ、作れというもんで、また今年も作るのだ、と。そして、ほら来た、
「ここの米はうまい、うまいて言うてくれるもんじゃでな。」
と、本来米作りが大好きなおっさんなのだ。我が息子も、今年は、出入りするおっさんたちの、人となりが分かってきたとあって、このツギオさんがやって来ると、ニタニタしている。
「苗代払いに来たんじゃ。振り込みはじゃまくさいでな、金受け取ってくれ。釣りはよいでなぁ。」
と、言うので金額確かめると、千円のお釣り。
「ツギさん、あかん、あかん、お釣り受け取ってくれ。ほら千円。」
と、言っても聞く耳持たず。
「よいでぇ、釣りはいらん。お前がそれで一杯やっとくれ。頼むで、釣りは返さんといてくれ。それより、良い苗作ってもらって、こっちは喜んどんじゃ。頼むでよー、わしが生けっとる間、苗作っておくれよぉ。」
と、ほらね、おっさん、米作りが好きなのだ。
ツギオさんが置いていった千円を「お前にやる」と、息子に手渡しながら、その様子を話せば、また、
「わははー、ひーっ」
と、笑いが起きる。
「くまさん、ツギオさんね、何回か来てたよ。バイクが入っていったなあって見てたら、裏でぐるぐる回って出て行って…。くまさんが帰るまでに3回くらい、入って来ては、ぐるぐるして出て行った。」
「わははー、ひーっ」
「そうか、それでツギさん、さっき、やっと出会えたでよーって言ってたわけね。」
「わははー、ひーっ」
と、二人で大笑い。
To be continued
曇りのち、晴れ間3
笑いが落ち着くと、息子が、
「何ともいいよねぇ…、おっちゃんたち…。」
「…、…、くまさん、政治さんは、やっぱ、ミスチルの歌だ。」
と、言うのでピンと来た。
「花の匂い…か？」
「うん。」
私が貧乏学生時代、お世話になり、その後も深い親交があった方が、一昨年亡くなった時、しょぼくれ落ち込む親父に、これを聴けよと、息子が聴かせてくれた一曲が、ミスター・チルドレンの「花の匂い」。
彼が、今、この瞬間に何を言わんとしているのか、おおよそ理解できたので、今一度歌詞を確認してみた。
誰の命もまた誰かを輝かすための光
どんな悲劇に埋もれた場所にでも
しあわせの種は必ず植わってる
こぼれ落ちた涙が　ちょうどいっぱいになったら
その種に水をまこう
曇った気持ちに晴れ間が差し込んできたので、早速、直輝ちゃんに、「政治さんのウォーキングコースを一緒に歩こう」と、メールを打った。
本日、16：30ウォーキング開始。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>雨のち曇り</strong></p>
<p>農繁期真っ只中、5月半ば過ぎ、17日を境に、心の中は、雨のち曇り。この間、書き物をする気が全く失せていた。<br />
17日未明、前ぶれも無く突然、政治さんが逝ってしまった。前日の夜まで、家族と談笑しながら夕食をともにしたそうなのに、翌朝、体は冷たくなっていたと…。<br />
政治さんの息子が、私と同い年の直輝ちゃん。町内で一番仲良く、再々一献酌み交わす間柄。その親父の政治さんもまた、私が親友と呼ぶには語弊もあるが、町内で最も愛すべき年輩者だった。<br />
政治さんの日課は、ウオーキング。すたすたと歩くこと1時間以上、時には日に2回。そのコースたるや相当たる距離で、今から思えば、方々にある私の田んぼの見回りをしてくれていたかにも思える、ウオーキングコース。野外作業に勤しむ春から秋にかけて、私が、どこの田んぼで仕事をしていようと、出会わない日は、まず、無かった。<br />
トラクターに乗っていると、道の上から、「おーい」と声をかけ、手を振り、その仕草でエールをおくってくれていることが良くわかる。草刈りに疲れ、あぜ道でへたばっていると、「きばっとるなぁ」と、寄り道をしてくれては、会話が弾む。<br />
片っ端から資格を取得して、会社経営をし、引退後は悠々自適の76歳。努力で人生を切り開いて生き抜いたという自負を感じさせる政治さんとの会話は、いつも小気味良いものだった。ゼロから経営を成り立たせることを経験したからこそ、同じくゼロから始めて、今に至る私の、経営者なりに持つ辛さや悩みを、分析して、言い当て、そして最後には「きばらんなんっ、のぉ、くまさん」と、励ましてもらっていたものだ。<br />
また、大好きな釣りから帰るや、ひょっこりと現れては、「おーい、釣れたでよ。食えや。」と、いつもその釣果をおすそ分けしてくれる優しいおっちゃん。妻も息子も大好きで、いつまでも元気でいて欲しい人だと、常々話していたのになあ…。<br />
雨降る葬儀の翌日から、心に鞭打ち、田植え完了に向けて、最後の追い込みに入るも、トラクターを動かし、また、田植機に乗っていても、その先に、凛としてスタスタ歩く政治さんの姿があるように思えてならず、思わず目が曇る。どの田んぼに入っていても、これまで、そこから政治さんの姿を見かけて、「おーい」と、声かけ合わなかった田んぼは1枚も無い。<br />
「おーい、きばっとるな、息子も向こうできばっとったでよ！」と、手を振っていそうで…、「今年も5月のうちに、田植えは終われそうか？」と、聞こえてきそうで…。<br />
この先もずっと、私がどの田んぼにいるときも、思い出すに違いない。<br />
背筋を伸ばしてスタスタ、スタスタ。十分努力した人生だと言わんばかりに、スタスタ、スタスタ。真っ直ぐに生きたぞ、と言わんばかりに、スタスタ、スタスタ歩く、あの姿。</p>
<p>5月30日、本年、田植え終了。<br />
「おーい、まさじさーん。今年も５月のうちに、田植え終わったぞー。」と、叫べば、「よう頑張ったやぁ、でものぉ、くまさん、あそこの田んぼのぉ、水が干上がって、のぉなっとったでよぉ。」と、聞こえるような気がする。</p>
<p><strong>曇りのち、晴れ間1</strong></p>
<p>昨日の早朝、いつもより遅れて、私が係りをしている水利組合の揚水ポンプのスイッチを入れに行くと、その近くに住んでいるマサオさんがうろうろしていた。いつもなら遅くとも6時までにそこへ行くのだが、この日に限って、この春、稲苗を販売した先々の家のポストへ、請求書を投げ込みながら向かったので、7時頃そこへ到着。つまり、どうも、マサオさんは早朝1時間近く、私の到着を待っていたことになる。<br />
常日頃、大変お世話になっているマサオさんは、我が息子評するところ、「癒される爺ちゃん」、なのだそうだ。さもあらん…。飾り気もへったくれも、全くあったもんじゃない。5月というのに肌寒かった、ついこの間まで、ドテラを羽織って、キャップをかぶり、足元は長靴といういでたちで、畑や近所を徘徊、こてこての地の言葉でまくし立てる強気のおっさん、79歳。過の政治さんとも馬があっていたようで、これまた私と我が家族の、愛すべきおっさんが、マサオさん。<br />
この朝は、私の姿を見つけるなり、<br />
「おー、お前を待っとんたんじゃー。」<br />
だと…。なぜかと聞けば、<br />
「トラクターの使いようが、どうも、わからんのじゃ。」<br />
と、いうではないか。近年、めっきり足腰が弱ったせいでリタイアしたとは言え、数年前までバリバリの専業農家だったおっさんが、農家のシンボルの使いようがわからん、とは…。思わず、<br />
「ボケてきたわけじゃ無かろうなぁ」<br />
と、つぶやいてしまいつつ、<br />
「ここと、ここをこうして…。ここに気をつけたら、いいよ…。」<br />
と、デモンストレーションしてみせると、<br />
「おお、おお、そうじゃ、そうじゃのぉ、思い出したでよぉ。」</p>
<p>そして、<br />
「くまさん、待っとれよ。お前がおるうちに、わし、運転するでのぉー、見とってくれーや。」<br />
と、帰ろうとする私を制止する。バリバリー、と、ディーゼル音を響かせトラクターが動き始めると、喜々たる笑みを浮かべ、そのうち、久しぶりの感覚に陶酔の表情になるおっさん。しばらくして、見守っている私の姿が再度目に入るや、<br />
「おお、お前、帰って良いでよぉ。おっきにー。」<br />
です、と…。ああー、マサオさん。そして、もうひと言。<br />
「ボケて来よるわけや無いでのぉー。物忘れがひどーなって来ただけやでよぉー。」<br />
です、と…。ああー、マサオさん。<br />
家に帰ると、午前8時。通学前の息子にことの顛末を話せば、<br />
「それぞ、マサオさんって感じで、いいよねぇ。わはは、ひぃー。」<br />
と、そっくり返って大笑い。<br />
あーあ、愛すべき我が友よ。<br />
To be continued</p>
<p><strong>曇りのち、晴れ間2</strong></p>
<p>マサオさんの一件で大笑いしていると、息子が窓の外を差して、<br />
「あっ、ツギオさん。ツギオさんがバイクで来た。」<br />
と、言うので、外へ出て行くと、バイクにまたがるツギオさんが、我が家の奥の作業場の方へと進んで行く。<br />
「ツギオさーん、どうしたん？」と、呼び止めれば、いつも飄々とした83歳か84歳になるそのおっちゃん、<br />
「あー、やっと出会えたでよー。」<br />
と、金を紙に添えて差し出す。金に添えられた紙は、この朝方6時30分、私がポストに投げ込んだ稲苗代金の請求書。投函から何と、1時間半後に支払いに来てくれるとは、ツギオさんの性分。このおっさん、何事も先回りして、後回しにすることを嫌う性質で、常に先のことが気になるようだ。</p>
<p>毎年のことながら、ツギオさんは、4月に必ず3度、種まき作業の現場にやってくる。<br />
「種まきしよってんかい？ちょこっと覗かせてくれよぉ。」<br />
と、言うや否や、場内を徘徊し始める。<br />
「おー、上手に播けるもんじゃなあ。」「苗は連休にできるかい？」「娘たちが帰ってきて植えてくれるんじゃ。」「5月の3日に取りに来たらできとるかい？」<br />
毎年同じ事を呟き、うろうろするから、次に何を言うのか分かっている。次は、自分は年寄りだから、もう田んぼは作りたくもないけれど、娘たちが、連休には必ず田植えに帰るから、作れ、作れというもんで、また今年も作るのだ、と。そして、ほら来た、<br />
「ここの米はうまい、うまいて言うてくれるもんじゃでな。」<br />
と、本来米作りが大好きなおっさんなのだ。我が息子も、今年は、出入りするおっさんたちの、人となりが分かってきたとあって、このツギオさんがやって来ると、ニタニタしている。</p>
<p>「苗代払いに来たんじゃ。振り込みはじゃまくさいでな、金受け取ってくれ。釣りはよいでなぁ。」<br />
と、言うので金額確かめると、千円のお釣り。<br />
「ツギさん、あかん、あかん、お釣り受け取ってくれ。ほら千円。」<br />
と、言っても聞く耳持たず。<br />
「よいでぇ、釣りはいらん。お前がそれで一杯やっとくれ。頼むで、釣りは返さんといてくれ。それより、良い苗作ってもらって、こっちは喜んどんじゃ。頼むでよー、わしが生けっとる間、苗作っておくれよぉ。」<br />
と、ほらね、おっさん、米作りが好きなのだ。<br />
ツギオさんが置いていった千円を「お前にやる」と、息子に手渡しながら、その様子を話せば、また、<br />
「わははー、ひーっ」<br />
と、笑いが起きる。<br />
「くまさん、ツギオさんね、何回か来てたよ。バイクが入っていったなあって見てたら、裏でぐるぐる回って出て行って…。くまさんが帰るまでに3回くらい、入って来ては、ぐるぐるして出て行った。」<br />
「わははー、ひーっ」<br />
「そうか、それでツギさん、さっき、やっと出会えたでよーって言ってたわけね。」<br />
「わははー、ひーっ」<br />
と、二人で大笑い。</p>
<p>To be continued</p>
<p><strong>曇りのち、晴れ間3</strong></p>
<p>笑いが落ち着くと、息子が、<br />
「何ともいいよねぇ…、おっちゃんたち…。」<br />
「…、…、くまさん、政治さんは、やっぱ、ミスチルの歌だ。」<br />
と、言うのでピンと来た。<br />
「花の匂い…か？」<br />
「うん。」</p>
<p>私が貧乏学生時代、お世話になり、その後も深い親交があった方が、一昨年亡くなった時、しょぼくれ落ち込む親父に、これを聴けよと、息子が聴かせてくれた一曲が、ミスター・チルドレンの「花の匂い」。<br />
彼が、今、この瞬間に何を言わんとしているのか、おおよそ理解できたので、今一度歌詞を確認してみた。</p>
<p>誰の命もまた誰かを輝かすための光<br />
どんな悲劇に埋もれた場所にでも<br />
しあわせの種は必ず植わってる<br />
こぼれ落ちた涙が　ちょうどいっぱいになったら<br />
その種に水をまこう</p>
<p>曇った気持ちに晴れ間が差し込んできたので、早速、直輝ちゃんに、「政治さんのウォーキングコースを一緒に歩こう」と、メールを打った。<br />
本日、16：30ウォーキング開始。</p>
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		<title>2010年　春</title>
		<link>http://nohju.jp/magazine/019</link>
		<comments>http://nohju.jp/magazine/019#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 25 Mar 2010 15:00:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nohju_master</dc:creator>
				<category><![CDATA[2010年　春]]></category>
		<category><![CDATA[農樹通信]]></category>

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		<description><![CDATA[農家の春
稲作農家に春が来た。野良仕事の手始めは、苗を育てるビニールハウスの中の、清掃と、整地。バックホーで草を削り、土をならす。ポンコツ機械のアームからオイル漏れを発見し、またもや修理代のことが頭を過ぎる。

大学へ自宅から通学する息子が、昨年から良きパートナー。休憩時間の会話は、さわやかで濃い内容になってきた。

向こうに豆粒のように固まっているのは、平均年齢80歳の三人組、近所のおっさんたちが、缶コーヒーを手土産に、若手の働きぶりを見学しながら、日向ぼっこ。

仕事の邪魔にならぬよう、ハウスの隅っこで約3時間、たっぷり語らって、こちらに「はよ、しもてぇ」と、手を振り去っていく。無理せず、もうそろそろ、仕事終わりにしなよっ、てさ。その存在がのどかなおっさん。
次は、ハウスの外の、露地育苗の床作りに取り掛かろう。
雨降りに、映画
稲作シーズンが本格化しようとしているのに、雨ばかり。屋外作業は殆んど手付かずだが、種まきに向け、作業場のセッティングをこまごまとやっている。
ジェットヒーターを焚きながら、屋内作業をしながらの、息子との会話は充実していて、このうえなく楽しい。一昨日は、映画の話に花が咲いた。当年、19歳の息子の映画好きは、紛れも無く、この親父の影響を受けてのこと。
「くまさん…、」
息子から、そう呼ばれて19年。妻から、そう呼ばれて20年になる私に、
「DVD…、どうやった？」
と、彼が訊ねてきた。働き者の彼は、米作りの親父のもと、そしてパン作りの母のもとでバイトをしつつ、その一部を趣味にまわして、かつ、感動のお裾分けをもしてくれる孝行者。
４日前、彼から借りたのは、「ストレイト・ストーリー」という映画。実話に基づくその映画の主人公は、その名も、アルヴィン・ストレイトという73歳の老人。その彼が、杖無くして歩けなくなった矢先、十年前、喧嘩別れをして以来、音信不通になってしまっていた彼の兄が、倒れたという知らせが入ったあたりが、映画の序盤。
そこで、車の免許もなく、足腰が不自由になって、バスにも乗れない頑固な主人公の彼、「ストレイト」が、起こした「ストーリー」が、小型のトラクターで、兄のもとへ向かうというものだった。
時速8キロでしか走れない、小型のトラクターで560キロを野宿をしながら走破する、6週間の旅。

映画の冒頭、アイオワ州の満天の星空と、農村風景が映っていることに始まり、主人公・ストレイトが、兄のもとへ、自分の力だけで訪ねたい…と思う、「ストレイト」さ、頑固さと、道中の人々のかかわり合いを織り交ぜて、「ストーリー」が進む…。
私は、息子へ、「良かったよ。」と答え、ラストシーンと、冒頭の星空の映像のつながりを私ながら感じるところあり、思い出しつつ彼との会話を進めていると、もう、あっぷあっぷ。へその奥から、胃や心臓あたりへ染み渡って来て、涙流すか、叫ぶしかない感覚を隠して、あっち向いて、こっち向いて、上を向く。
「昔観た、高倉健さんの、幸せの黄色いハンカチを思い出したぁ…。」
何かで目がしみた素振りをしながら、
「それって、いいんか？」と、聞く息子に、
「いいにきまっとろうが、健さんぞ、健さん、俺の母校の先輩ぞ。観てみいーや。」
と、あっち向いて、上を見上げる。
It is the straight story.
雨降りに、比叡山
天候悪し、今日は26日。学生時代、お世話になったあの人の月命日。彼の眠る比叡山へ、おむすびぶら下げ、迫るこの稲作シーズンの決意表明に行って来た。山頂は、吹雪。ダウンジャケットを着てきて正解。猫背になりつつ、「真っ直ぐ過ぎた人だった」と、あの人のことを思う。その真っ直ぐさが、命を縮めてしまったのだと。
そして、お堂を出るとき、母校の先生が、話していたことを思い出した。

「私は、何事も真っ直ぐでなければ気に食わない。松の盆栽の枝振りが良いと言われるのを観ても、良いと思ったことが無い。松でも、山に真っ直ぐに立ってるやつがいい。」
土地柄だとは思うが、格好良さとは、自分を曲げずに貫くことだと信じて育った私。
しかし、世の中見渡して、真っ直ぐ過ぎると、得することが極めて少ないことを、遅ればせながら、ようやくわかってきたが、もう遅い。
後悔する理由（わけ）も見当たらなず、このままで、愚直な馬鹿さ加減のままの自分が、心地良い。
It is my straight story.

帰りの車中、息子が録音していたボブディランの「風に吹かれて」と、福山雅治の「道標」を、独り、差し替え、繰り返し聴き…。「道標」は、俺より少し格好良い福山君と合唱しながら帰ってきた。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>農家の春</strong></p>
<p>稲作農家に春が来た。野良仕事の手始めは、苗を育てるビニールハウスの中の、清掃と、整地。バックホーで草を削り、土をならす。ポンコツ機械のアームからオイル漏れを発見し、またもや修理代のことが頭を過ぎる。</p>
<p><img alt="育苗ハウスの整地" src="http://blog.chatta.jp/resources/member/000/430/0012794/ZQSuIsyL.jpg" class="aligncenter" width="360" height="270" title="2010年　春" /></p>
<p>大学へ自宅から通学する息子が、昨年から良きパートナー。休憩時間の会話は、さわやかで濃い内容になってきた。</p>
<p><img alt="育苗ハウスの整地" src="http://blog.chatta.jp/resources/member/000/430/0012791/bvvRON97.jpg" class="aligncenter" width="360" height="270" title="2010年　春" /></p>
<p>向こうに豆粒のように固まっているのは、平均年齢80歳の三人組、近所のおっさんたちが、缶コーヒーを手土産に、若手の働きぶりを見学しながら、日向ぼっこ。</p>
<p><img alt="育苗ハウスの整地" src="http://blog.chatta.jp/resources/member/000/430/0012792/jwYid85T.jpg" class="aligncenter" width="360" height="270" title="2010年　春" /></p>
<p>仕事の邪魔にならぬよう、ハウスの隅っこで約3時間、たっぷり語らって、こちらに「はよ、しもてぇ」と、手を振り去っていく。無理せず、もうそろそろ、仕事終わりにしなよっ、てさ。その存在がのどかなおっさん。<br />
次は、ハウスの外の、露地育苗の床作りに取り掛かろう。</p>
<p><strong>雨降りに、映画</strong></p>
<p>稲作シーズンが本格化しようとしているのに、雨ばかり。屋外作業は殆んど手付かずだが、種まきに向け、作業場のセッティングをこまごまとやっている。<br />
ジェットヒーターを焚きながら、屋内作業をしながらの、息子との会話は充実していて、このうえなく楽しい。一昨日は、映画の話に花が咲いた。当年、19歳の息子の映画好きは、紛れも無く、この親父の影響を受けてのこと。<br />
「くまさん…、」<br />
息子から、そう呼ばれて19年。妻から、そう呼ばれて20年になる私に、<br />
「DVD…、どうやった？」<br />
と、彼が訊ねてきた。働き者の彼は、米作りの親父のもと、そしてパン作りの母のもとでバイトをしつつ、その一部を趣味にまわして、かつ、感動のお裾分けをもしてくれる孝行者。<br />
４日前、彼から借りたのは、「ストレイト・ストーリー」という映画。実話に基づくその映画の主人公は、その名も、アルヴィン・ストレイトという73歳の老人。その彼が、杖無くして歩けなくなった矢先、十年前、喧嘩別れをして以来、音信不通になってしまっていた彼の兄が、倒れたという知らせが入ったあたりが、映画の序盤。<br />
そこで、車の免許もなく、足腰が不自由になって、バスにも乗れない頑固な主人公の彼、「ストレイト」が、起こした「ストーリー」が、小型のトラクターで、兄のもとへ向かうというものだった。<br />
時速8キロでしか走れない、小型のトラクターで560キロを野宿をしながら走破する、6週間の旅。</p>
<p><img alt="ストレイト・ストーリー/straight story" src="http://blog.chatta.jp/resources/member/000/430/0012873/Hi5G9DYn.jpg" class="alignleft" width="115" height="115" title="2010年　春" /></p>
<p>映画の冒頭、アイオワ州の満天の星空と、農村風景が映っていることに始まり、主人公・ストレイトが、兄のもとへ、自分の力だけで訪ねたい…と思う、「ストレイト」さ、頑固さと、道中の人々のかかわり合いを織り交ぜて、「ストーリー」が進む…。<br />
私は、息子へ、「良かったよ。」と答え、ラストシーンと、冒頭の星空の映像のつながりを私ながら感じるところあり、思い出しつつ彼との会話を進めていると、もう、あっぷあっぷ。へその奥から、胃や心臓あたりへ染み渡って来て、涙流すか、叫ぶしかない感覚を隠して、あっち向いて、こっち向いて、上を向く。<br />
「昔観た、高倉健さんの、幸せの黄色いハンカチを思い出したぁ…。」<br />
何かで目がしみた素振りをしながら、<br />
「それって、いいんか？」と、聞く息子に、<br />
「いいにきまっとろうが、健さんぞ、健さん、俺の母校の先輩ぞ。観てみいーや。」<br />
と、あっち向いて、上を見上げる。<br />
It is the straight story.</p>
<p><strong>雨降りに、比叡山</strong></p>
<p>天候悪し、今日は26日。学生時代、お世話になったあの人の月命日。彼の眠る比叡山へ、おむすびぶら下げ、迫るこの稲作シーズンの決意表明に行って来た。山頂は、吹雪。ダウンジャケットを着てきて正解。猫背になりつつ、「真っ直ぐ過ぎた人だった」と、あの人のことを思う。その真っ直ぐさが、命を縮めてしまったのだと。<br />
そして、お堂を出るとき、母校の先生が、話していたことを思い出した。</p>
<p><img alt="比叡山・京都" src="http://blog.chatta.jp/resources/member/000/430/0012888/83sbfjhC.jpg" class="aligncenter" width="360" height="270" title="2010年　春" /></p>
<p>「私は、何事も真っ直ぐでなければ気に食わない。松の盆栽の枝振りが良いと言われるのを観ても、良いと思ったことが無い。松でも、山に真っ直ぐに立ってるやつがいい。」<br />
土地柄だとは思うが、格好良さとは、自分を曲げずに貫くことだと信じて育った私。<br />
しかし、世の中見渡して、真っ直ぐ過ぎると、得することが極めて少ないことを、遅ればせながら、ようやくわかってきたが、もう遅い。<br />
後悔する理由（わけ）も見当たらなず、このままで、愚直な馬鹿さ加減のままの自分が、心地良い。<br />
It is my straight story.</p>
<p><img alt="比叡山・滋賀" src="http://blog.chatta.jp/resources/member/000/430/0012887/XRIKqbrj.jpg" class="aligncenter" width="360" height="270" title="2010年　春" /></p>
<p>帰りの車中、息子が録音していたボブディランの「風に吹かれて」と、福山雅治の「道標」を、独り、差し替え、繰り返し聴き…。「道標」は、俺より少し格好良い福山君と合唱しながら帰ってきた。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>2009年　秋</title>
		<link>http://nohju.jp/magazine/018</link>
		<comments>http://nohju.jp/magazine/018#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 30 Sep 2009 15:00:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nohju_master</dc:creator>
				<category><![CDATA[2009年　秋]]></category>
		<category><![CDATA[農樹通信]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://nohju.com/system/?p=5</guid>
		<description><![CDATA[遺産
9月末、北海道へ行ってきた。「大将」の遺品整理のため、友人から借りたハイエースとともにフェリーで21時間、旭川に4日間、帰路と合わせて1週間の旅だ。
ちょうど1年前のこの時期にも、私は同じ行程を辿っている。その時は、大将の49日の法要に合わせて旭川に赴き、広島に住む、大将の義理の娘さんたちとともに、彼の骨を持ち帰り、比叡山・延暦寺へ葬った。そして今回、主をなくして空き家となってしまった彼の家を、次の冬が訪れるまでに解体すべく、中の遺品を整理してしまうのが目的だった。
「大将」との出会いは、25年前。私が鳥取の学生時分、足掛け3年、毎日欠かさず通った居酒屋、その名も「蝦夷」の「大将」が、彼である。
当時、私の親父は病に伏し、入退院の繰り返し。仕送りを受けるわけにもいかず、卒業していく先輩から、5万円で譲り受けたポンコツ車に、長靴とヘルメットを常備して、大学と土木現場、そして下宿を行き来する日々。
「どうにかなるやろ」
と、軽く思っていたのが運のつき。稼いだ金を学費に向ける優先順位は低く、どうしても滞納してしまう。学生係の掲示板に張り出される学費未納者の中に、私の名前が含まれなかったことは、一度も無い。払い込んだ者から消されていく名前の中で、最後に残るのが、いつも中津隈俊久だ。しかし、挫けず、腐らずいれば、世の中まんざらでもないもので、鳥取の繁華街のど真ん中、下宿代無料、布団屋の2階の部屋を紹介され、私は飛びついた。
「あの店に近い。」
大将の店には、それまで何度か先輩に連れられて行ったが、店を出てから、
「先輩、ごちそうさん」
と、千円札を渡すのが関の山だった。
いざ店の近所に住んでみると、ネオンに惹かれ、あの店に惹かれ、つい足が向いてしまうと、支払いの心配を打ち消すかのごとく足早になる。「居酒屋　蝦夷」で金を払ったことが無いわけではない。だが、支払いをした記憶が殆んど無い。近所に住み、一人で行くようになって、数回は払ったかな。そのうち、奥さんが、
「くまさん、今日はツケだよ。いいねえ、おとうさん。」
と、大将に振り、夫婦でにやりと笑っている。次回も、次回もまたその繰り返しで、その日も、私が帰りにもぞもぞしていると、
「クマ、払いはどうでもいいから、お前、毎日、蝦夷に来い。」
と、言われたのを良いことに、卒業まで皆勤した。旭川出身、姉さん女房の奥さんと、私と十も年の差が無い大将から、弟のように可愛がってもらったものだ。この後も、学費滞納の張り出しは続いたが、当時の私にとって、酒のおかわり自由の夕食が保障されている豊かさは、今でも表しようもない。
勉強熱心で、何事にもストイックに臨む大将に、小柄ながら、道産子の気質であろう、大らかで度胸者のおかみさん。そして、二人の共通項は、その茶目っ気、といったあたりが、常連さんを引きつけ、離さなかったのではなかろうか。私の青春時代真っ只中、最も濃い時を過ごした人。
10年前、奥さんの病状の悪化から、鳥取の店をたたんで、夫婦は旭川へ。町外れの自宅を改造して、小さな料理屋を営んだ。しかし病状は好転せず、4年前に奥さんが逝き、昨年は大将までもが逝ってしまった。
生前、
「俺が死んだら、クマ、その時はよろしく頼む。」
と、彼が言った時、茶化したりしなければよかったのに、彼の遺志を今更探ろうとすると、胸が強く痛む。それを一人で想像するには、心が破れてしまいそうになる。しかし、心が裂けずに保たれたのは、１年前に会うことができた、旭川のあの人々のおかげだった。最期に大将が、親交を深めた人々、その誰もが、今でも暖かく彼を想ってくれるからこそ私は救われる。
遺品整理に、人々が駆けつけてくれた。足掛け４日の作業の大半は、食器の類の持ち出しだった。小さな店だったにもかかわらず、心づくしの料理を盛るために、方々から集めた器の量が尋常でない。家の解体にあわせて、スクラップにするには忍びなく、運び出して、日常使いあうことができたら最善と、ほぼ家を空にできたとき、
「お見事、お見事。」
と、大将が笑ったような気がした。
彼の遺品を詰め込んだハイエースで、小樽港へ向かう。道中、過の人々から、
「ご苦労様。気をつけて。また会いましょう。この次は家族と一緒においでよ。」
と、電話やメールが入る。誰一人血のつながりはないのに、大将を介したこの縁は、いつまでも、間違いなく続く、彼が残してくれた私への遺産だ。
救世主
北海道から家に帰り着くと、息子がまだ起きていた。向こうでの出来事と、北の人々からの言葉を、ひと通り伝え終えると、
「行こうクマさん、今度は一緒に北海道に行こう。」
と、息子が言う。
この春から大学生。自宅から自動車で通学する息子は、長期休暇や休日の9割方、私の元で農作業のアルバイトをしている。その彼が、１年前から気にしてくれていたのが、今回の私の「使命」だった。苗作りの頃は、
「田植えが終わったら北海道行くんか？」
田植えが終われば、
「北海道は？」
と、尋ねる。
「状況が許さんから、こりゃー、稲刈りの合間に、時間作って行くしかないなあ。」
と、答えれば、秋、ここぞとばかりの活躍を見せ、休憩抜きでコンバインを動かす。籾摺りとなったら、１日中でも米を積み上げる。すると、作付けの85％を占めるコシヒカリの稲刈りが、9月を1週間残して終わってしまった。まさにタフで心優しき救世主。
春から、トラクターや田植え機に乗せても、自動車免許を取りたての少年には、大型で特殊なものだから、怖気づいてもおかしくないはずなのに、
「よし、やってみるよ。」
と、乗り込んで、基本をはずさず、見る見る上達する。苗作りや草刈りといった、地を這い、息が切れる苦しい作業も、
「何ともない、何のこれしき！」
と、ものともしない。思えば、日に日に頼もしくなる息子を、喜ばしく思えてならなかった今シーズン、これら、踏ん張りの一端に、親父を北海道へ向かわせようとの、心が込められていたのだと思えてならない。
「よし、これで行ける。9月23日に北海道に行く。」
と、私が言い放った時、彼が見せた、達成感にも似た表情がその理由だ。
ハートがある、人の心の機微がわかる、いつの間にかそんな男に、息子が育っていた喜びを抱えて、昨日最後の稲刈りを終えた。
明日10月21日は、「大将」の家の解体だ。近々また、おむすび作って、比叡山へ報告に行って来よう。救世主の運転で、ね。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h2>遺産</h2>
<p><a href="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/10/018-2009-002.jpg" rel="lightbox[47]"><img src="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/10/018-2009-002-300x200.jpg" alt="018 2009 002 300x200 2009年　秋" title="農樹通信コスモス" width="300" height="200" class="alignleft size-medium wp-image-422" /></a>9月末、北海道へ行ってきた。「大将」の遺品整理のため、友人から借りたハイエースとともにフェリーで21時間、旭川に4日間、帰路と合わせて1週間の旅だ。</p>
<p>ちょうど1年前のこの時期にも、私は同じ行程を辿っている。その時は、大将の49日の法要に合わせて旭川に赴き、広島に住む、大将の義理の娘さんたちとともに、彼の骨を持ち帰り、比叡山・延暦寺へ葬った。そして今回、主をなくして空き家となってしまった彼の家を、次の冬が訪れるまでに解体すべく、中の遺品を整理してしまうのが目的だった。<br />
「大将」との出会いは、25年前。私が鳥取の学生時分、足掛け3年、毎日欠かさず通った居酒屋、その名も「蝦夷」の「大将」が、彼である。</p>
<p>当時、私の親父は病に伏し、入退院の繰り返し。仕送りを受けるわけにもいかず、卒業していく先輩から、5万円で譲り受けたポンコツ車に、長靴とヘルメットを常備して、大学と土木現場、そして下宿を行き来する日々。<br />
「どうにかなるやろ」<br />
と、軽く思っていたのが運のつき。稼いだ金を学費に向ける優先順位は低く、どうしても滞納してしまう。学生係の掲示板に張り出される学費未納者の中に、私の名前が含まれなかったことは、一度も無い。払い込んだ者から消されていく名前の中で、最後に残るのが、いつも中津隈俊久だ。しかし、挫けず、腐らずいれば、世の中まんざらでもないもので、鳥取の繁華街のど真ん中、下宿代無料、布団屋の2階の部屋を紹介され、私は飛びついた。<br />
「あの店に近い。」<br />
大将の店には、それまで何度か先輩に連れられて行ったが、店を出てから、<br />
「先輩、ごちそうさん」<br />
と、千円札を渡すのが関の山だった。</p>
<p>いざ店の近所に住んでみると、ネオンに惹かれ、あの店に惹かれ、つい足が向いてしまうと、支払いの心配を打ち消すかのごとく足早になる。「居酒屋　蝦夷」で金を払ったことが無いわけではない。だが、支払いをした記憶が殆んど無い。近所に住み、一人で行くようになって、数回は払ったかな。そのうち、奥さんが、<br />
「くまさん、今日はツケだよ。いいねえ、おとうさん。」<br />
と、大将に振り、夫婦でにやりと笑っている。次回も、次回もまたその繰り返しで、その日も、私が帰りにもぞもぞしていると、<br />
「クマ、払いはどうでもいいから、お前、毎日、蝦夷に来い。」<br />
と、言われたのを良いことに、卒業まで皆勤した。旭川出身、姉さん女房の奥さんと、私と十も年の差が無い大将から、弟のように可愛がってもらったものだ。この後も、学費滞納の張り出しは続いたが、当時の私にとって、酒のおかわり自由の夕食が保障されている豊かさは、今でも表しようもない。</p>
<p>勉強熱心で、何事にもストイックに臨む大将に、小柄ながら、道産子の気質であろう、大らかで度胸者のおかみさん。そして、二人の共通項は、その茶目っ気、といったあたりが、常連さんを引きつけ、離さなかったのではなかろうか。私の青春時代真っ只中、最も濃い時を過ごした人。</p>
<p>10年前、奥さんの病状の悪化から、鳥取の店をたたんで、夫婦は旭川へ。町外れの自宅を改造して、小さな料理屋を営んだ。しかし病状は好転せず、4年前に奥さんが逝き、昨年は大将までもが逝ってしまった。</p>
<p>生前、<br />
「俺が死んだら、クマ、その時はよろしく頼む。」<br />
と、彼が言った時、茶化したりしなければよかったのに、彼の遺志を今更探ろうとすると、胸が強く痛む。それを一人で想像するには、心が破れてしまいそうになる。しかし、心が裂けずに保たれたのは、１年前に会うことができた、旭川のあの人々のおかげだった。最期に大将が、親交を深めた人々、その誰もが、今でも暖かく彼を想ってくれるからこそ私は救われる。</p>
<p><a href="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/10/018-2009-006.jpg" rel="lightbox[47]"><img src="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/10/018-2009-006-300x225.jpg" alt="018 2009 006 300x225 2009年　秋" title="農樹通信　小樽港" width="300" height="225" class="alignleft size-medium wp-image-504" /></a>遺品整理に、人々が駆けつけてくれた。足掛け４日の作業の大半は、食器の類の持ち出しだった。小さな店だったにもかかわらず、心づくしの料理を盛るために、方々から集めた器の量が尋常でない。家の解体にあわせて、スクラップにするには忍びなく、運び出して、日常使いあうことができたら最善と、ほぼ家を空にできたとき、<br />
「お見事、お見事。」<br />
と、大将が笑ったような気がした。</p>
<p>彼の遺品を詰め込んだハイエースで、小樽港へ向かう。道中、過の人々から、<br />
「ご苦労様。気をつけて。また会いましょう。この次は家族と一緒においでよ。」</p>
<p>と、電話やメールが入る。誰一人血のつながりはないのに、大将を介したこの縁は、いつまでも、間違いなく続く、彼が残してくれた私への遺産だ。</p>
<h2>救世主</h2>
<p>北海道から家に帰り着くと、息子がまだ起きていた。向こうでの出来事と、北の人々からの言葉を、ひと通り伝え終えると、<br />
「行こうクマさん、今度は一緒に北海道に行こう。」<br />
と、息子が言う。<br />
この春から大学生。自宅から自動車で通学する息子は、長期休暇や休日の9割方、私の元で農作業のアルバイトをしている。その彼が、１年前から気にしてくれていたのが、今回の私の「使命」だった。苗作りの頃は、<br />
「田植えが終わったら北海道行くんか？」<br />
田植えが終われば、<br />
「北海道は？」<br />
と、尋ねる。<br />
「状況が許さんから、こりゃー、稲刈りの合間に、時間作って行くしかないなあ。」<br />
と、答えれば、秋、ここぞとばかりの活躍を見せ、休憩抜きでコンバインを動かす。籾摺りとなったら、１日中でも米を積み上げる。すると、作付けの85％を占めるコシヒカリの稲刈りが、9月を1週間残して終わってしまった。まさにタフで心優しき救世主。<br />
春から、トラクターや田植え機に乗せても、自動車免許を取りたての少年には、大型で特殊なものだから、怖気づいてもおかしくないはずなのに、<br />
「よし、やってみるよ。」<br />
と、乗り込んで、基本をはずさず、見る見る上達する。苗作りや草刈りといった、地を這い、息が切れる苦しい作業も、<br />
「何ともない、何のこれしき！」<br />
と、ものともしない。思えば、日に日に頼もしくなる息子を、喜ばしく思えてならなかった今シーズン、これら、踏ん張りの一端に、親父を北海道へ向かわせようとの、心が込められていたのだと思えてならない。<br />
「よし、これで行ける。9月23日に北海道に行く。」<br />
と、私が言い放った時、彼が見せた、達成感にも似た表情がその理由だ。<br />
ハートがある、人の心の機微がわかる、いつの間にかそんな男に、息子が育っていた喜びを抱えて、昨日最後の稲刈りを終えた。</p>
<p>明日10月21日は、「大将」の家の解体だ。近々また、おむすび作って、比叡山へ報告に行って来よう。救世主の運転で、ね。<a href="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/10/018-2009-003.jpg" rel="lightbox[47]"><img src="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/10/018-2009-003-300x209.jpg" alt="農樹通信　比叡山延暦寺" title="農樹通信　比叡山延暦寺" width="300" height="209" class="alignleft size-medium wp-image-487" /></a></p>
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		</item>
		<item>
		<title>2009年　春</title>
		<link>http://nohju.jp/magazine/017</link>
		<comments>http://nohju.jp/magazine/017#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 31 Dec 2008 15:00:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nohju_master</dc:creator>
				<category><![CDATA[2009年　春]]></category>
		<category><![CDATA[農樹通信]]></category>

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		<description><![CDATA[堪えよう
高校卒業を控えて、滅多に学校へ行く必要も無くなった息子と、今日の昼は、親子丼を作って食べる。
「できたぁ、食うかぁ。」
「おー、食うかぁ。」
二人でがっついていると、テレビには中川昭一君が、イタリアでやっちまった画像が映っては消え、番組の出演者達が、
「薬を飲みすぎただけでこうなりますか」
「これは酒を飲んでいますよね」
など、真面目に話している。こりゃ、面白い。
番組は中川君の一日を時系列に、
「大臣の動き、ここまでは不自然ではないのですが…」
なんて、大真面目にやっている。これほどマスコミが心踊る出来事が続く政権は、滅多になかろう。麻生政権はマスコミの上得意だ。新聞、雑誌、テレビ、ラジオの各社、この不景気に経費節減できて嬉しかろうよ。永田町界隈を徘徊してさえいれば、得ダネなのだから。いやぁ、誠に面白い。踊る阿呆に、見る阿呆。はっはぁ、昼間っから、よたよたのおっさん眺め、にたつく俺も阿呆。
日本人として、恥ずかしさも、情けなさも、憤りをも、それらもろもろ親子丼と一緒にごっくんしよう。おっさんがしでかしたことを、見世物として捉えようではないか。日本では、日々を一生懸命働いて、まじめに納税の義務を果たしていれば、こんな滑稽な一幕を先生方から、見せてもらえる国家なのだ。勤勉で純情な、世界の田舎もんの日本人は、数十年もの長きにわたって、飽きもせず、お祭りのような選挙を続けてきたわけだ。そのお祭りで選ばれし先生方は、学芸会のような議会の場で、予めの質問に官僚様がご用意下すった答弁を「読む」と、読み間違える。もーっ、たまらん、面白くてたまらん。田舎もんの、田舎もんによる、田舎もんのための選挙と政治、とでも言うに相応しい。お国のことより、我が暮らし。民衆は利権を求め、政治家先生は権力を求めて、双方馴れ合いの世は続く。
息子にはこの騒ぎを説明しておこうと、話しかける。
「Ｇ７っちゅう先進７カ国財務相・中央銀行総裁会議に日本を代表して出席したのが、この中川。経済危機の最中の国際会議だから、どれほど良い相談ができたか、世界の注目が集まっていたわけさ。そしたら、なんと、記者やカメラの前にぶいぶいに酔っぱらって出て来よった。こいつは。」
「…、ふーん。○○よりひどいなぁ、これは。」
「ひどいやろう。情けない、とっとと辞めさせりゃいいのにのぉ。ところで一樹、今、何よりひどいって言うた？」
「ん？くまさんよりひどいって言うた。」
「うっ、…。」
親子丼を噴き出しそうになるのを堪える私は、かろうじて息子に、
「このアホ！俺とこんなやつ比べるな！」
と、切り返すのが精いっぱいで、
「くまさん、これとそう変わらんよ。」
と、息子からくる、さらなる一撃に、そそくさと丼の残りをかきこんで、ごっくん、退散、退散。
近頃、親父面して下手なことほざけば、さらりと、そしてぐさりと切り返されるようになってきた。この時、本当は内心、
「俺がやる時はもっとすごいさ」
と、言おうかとも思ったが、自慢にもならないので、ぐっと堪えた。
徹底的にやろう
後日、ビートたけしが、何かの席で語っていたそうだ。
「中川さんは中途半端でいけねえな。Ｇ７のあれは、最初っから机の上で突っ伏しているとか、ゲロでも吐いて帰るくらいでなきゃね。」
そうだそうだ！半端もんめ。
たけしの言葉で、思い出した出来事がある。私の近所の友達が数年前、地元消防団の役員を仰せつかっていた時期があった。その日の夜、彼は、歴代の消防団長が列席する、年度初めの重要な集会を控えていた。しかし、そんな素振りを見せること無く、その日の日中、町内の仲間たちと、私の仕事を手伝ってくれた。仲間たちが集まり、加勢してくれた日の夕方は、酒を酌み交わすのが常となっており、その日も夕方から、気心知れた連中で酒をかっくらった。重労働の後の酒宴、1時間もすると、皆、相当に酔いが回ってくる。ましてや、人気者の彼には人一倍酒が注がれ、いよいよろれつが回らなくなったころ、
「こりぇかあ、ぼかぁ、しょーぼーーにひってきぁす。ごっつぉーさん。」
と、立ち上がろうとするが、正常に立ち上がれない。表情も酔っぱらい特有の緩みきったものに変り果てているから、誰もが止める。しかし、行くと言い出したらもう聞かない。彼は、つかまり立ち、あちこちにすがるように歩き、消防団の集会へと旅立った。
何度か転んで、擦り剥き傷を負いながら、その集会にたどり着いたのは、歴代団長様方の、御挨拶も終わり、大先輩方のご機嫌よろしく、乾杯の盃がかざされた、まさにその時だったそうだ。
「ドアを開けて、いやぁ、おそくなりましたぁ、もうしわけぇ、まで言ったら、おおーっ、ゲーって、俺はそこにゲロまき散らしましたがなあ。」
と、彼の後日談だ。
彼の話を嬉しげに聞くのは、先日のメンバー、手にはグラス。
「上等、上等。ほれほれぇー。」
と、また彼のグラスに、なみなみと酒が注がれる。
そうさ、半端じゃないんだ、僕たちは…。最近、彼は、我が家のホームページの立ち上げに苦心してくれている。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h2>堪えよう</h2>
<p><a href="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/01/017-2009-008.jpg" rel="lightbox[48]"><img src="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/01/017-2009-008-300x225.jpg" alt="017 2009 008 300x225 2009年　春" title="農樹通信　さくら" width="300" height="225" class="alignright size-medium wp-image-542" /></a>高校卒業を控えて、滅多に学校へ行く必要も無くなった息子と、今日の昼は、親子丼を作って食べる。<br />
「できたぁ、食うかぁ。」<br />
「おー、食うかぁ。」<br />
二人でがっついていると、テレビには中川昭一君が、イタリアでやっちまった画像が映っては消え、番組の出演者達が、<br />
「薬を飲みすぎただけでこうなりますか」<br />
「これは酒を飲んでいますよね」<br />
など、真面目に話している。こりゃ、面白い。<br />
番組は中川君の一日を時系列に、<br />
「大臣の動き、ここまでは不自然ではないのですが…」<br />
なんて、大真面目にやっている。これほどマスコミが心踊る出来事が続く政権は、滅多になかろう。麻生政権はマスコミの上得意だ。新聞、雑誌、テレビ、ラジオの各社、この不景気に経費節減できて嬉しかろうよ。永田町界隈を徘徊してさえいれば、得ダネなのだから。いやぁ、誠に面白い。踊る阿呆に、見る阿呆。はっはぁ、昼間っから、よたよたのおっさん眺め、にたつく俺も阿呆。</p>
<p><a href="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/01/017-2009-005.jpg" rel="lightbox[48]"><img src="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/01/017-2009-005-300x199.jpg" alt="017 2009 005 300x199 2009年　春" title="農樹通信　親子丼" width="300" height="199" class="alignleft size-medium wp-image-511" /></a>日本人として、恥ずかしさも、情けなさも、憤りをも、それらもろもろ親子丼と一緒にごっくんしよう。おっさんがしでかしたことを、見世物として捉えようではないか。日本では、日々を一生懸命働いて、まじめに納税の義務を果たしていれば、こんな滑稽な一幕を先生方から、見せてもらえる国家なのだ。勤勉で純情な、世界の田舎もんの日本人は、数十年もの長きにわたって、飽きもせず、お祭りのような選挙を続けてきたわけだ。そのお祭りで選ばれし先生方は、学芸会のような議会の場で、予めの質問に官僚様がご用意下すった答弁を「読む」と、読み間違える。もーっ、たまらん、面白くてたまらん。田舎もんの、田舎もんによる、田舎もんのための選挙と政治、とでも言うに相応しい。お国のことより、我が暮らし。民衆は利権を求め、政治家先生は権力を求めて、双方馴れ合いの世は続く。<br />
息子にはこの騒ぎを説明しておこうと、話しかける。<br />
「Ｇ７っちゅう先進７カ国財務相・中央銀行総裁会議に日本を代表して出席したのが、この中川。経済危機の最中の国際会議だから、どれほど良い相談ができたか、世界の注目が集まっていたわけさ。そしたら、なんと、記者やカメラの前にぶいぶいに酔っぱらって出て来よった。こいつは。」<br />
「…、ふーん。○○よりひどいなぁ、これは。」<br />
「ひどいやろう。情けない、とっとと辞めさせりゃいいのにのぉ。ところで一樹、今、何よりひどいって言うた？」<br />
「ん？くまさんよりひどいって言うた。」<br />
「うっ、…。」<br />
親子丼を噴き出しそうになるのを堪える私は、かろうじて息子に、<br />
「このアホ！俺とこんなやつ比べるな！」<br />
と、切り返すのが精いっぱいで、<br />
「くまさん、これとそう変わらんよ。」<br />
と、息子からくる、さらなる一撃に、そそくさと丼の残りをかきこんで、ごっくん、退散、退散。<br />
近頃、親父面して下手なことほざけば、さらりと、そしてぐさりと切り返されるようになってきた。この時、本当は内心、<br />
「俺がやる時はもっとすごいさ」<br />
と、言おうかとも思ったが、自慢にもならないので、ぐっと堪えた。</p>
<h2  style="clear: both">徹底的にやろう</h2>
<p><a href="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/01/017-2009-007.jpg" rel="lightbox[48]"><img src="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/01/017-2009-007-300x225.jpg" alt="017 2009 007 300x225 2009年　春" title="農樹通信　春" width="300" height="225" class="alignleft size-medium wp-image-541" /></a>後日、ビートたけしが、何かの席で語っていたそうだ。<br />
「中川さんは中途半端でいけねえな。Ｇ７のあれは、最初っから机の上で突っ伏しているとか、ゲロでも吐いて帰るくらいでなきゃね。」<br />
そうだそうだ！半端もんめ。<br />
たけしの言葉で、思い出した出来事がある。私の近所の友達が数年前、地元消防団の役員を仰せつかっていた時期があった。その日の夜、彼は、歴代の消防団長が列席する、年度初めの重要な集会を控えていた。しかし、そんな素振りを見せること無く、その日の日中、町内の仲間たちと、私の仕事を手伝ってくれた。仲間たちが集まり、加勢してくれた日の夕方は、酒を酌み交わすのが常となっており、その日も夕方から、気心知れた連中で酒をかっくらった。重労働の後の酒宴、1時間もすると、皆、相当に酔いが回ってくる。ましてや、人気者の彼には人一倍酒が注がれ、いよいよろれつが回らなくなったころ、<br />
「こりぇかあ、ぼかぁ、しょーぼーーにひってきぁす。ごっつぉーさん。」<br />
と、立ち上がろうとするが、正常に立ち上がれない。表情も酔っぱらい特有の緩みきったものに変り果てているから、誰もが止める。しかし、行くと言い出したらもう聞かない。彼は、つかまり立ち、あちこちにすがるように歩き、消防団の集会へと旅立った。<br />
何度か転んで、擦り剥き傷を負いながら、その集会にたどり着いたのは、歴代団長様方の、御挨拶も終わり、大先輩方のご機嫌よろしく、乾杯の盃がかざされた、まさにその時だったそうだ。<br />
「ドアを開けて、いやぁ、おそくなりましたぁ、もうしわけぇ、まで言ったら、おおーっ、ゲーって、俺はそこにゲロまき散らしましたがなあ。」<br />
と、彼の後日談だ。<br />
彼の話を嬉しげに聞くのは、先日のメンバー、手にはグラス。<br />
「上等、上等。ほれほれぇー。」<br />
と、また彼のグラスに、なみなみと酒が注がれる。<br />
そうさ、半端じゃないんだ、僕たちは…。最近、彼は、我が家のホームページの立ち上げに苦心してくれている。</p>
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		<title>2008年　夏</title>
		<link>http://nohju.jp/magazine/016</link>
		<comments>http://nohju.jp/magazine/016#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 31 Aug 2008 15:00:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nohju_master</dc:creator>
				<category><![CDATA[2008年　夏]]></category>
		<category><![CDATA[農樹通信]]></category>

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		<description><![CDATA[熱き夏
7月に入ると、
 ｢お天道さん、あんた怒っとんね？｣
 と、空を見上げて呟いてしまうくらい、肌を焦がし、痛みを感じさせるような日差しが降り注いだ。そんな暑さがやって来て、息子の高校野球最後の、短くも熱い夏もやって来ては去って行った。
 彼は高校1年の秋に、腰椎分離症を抱えてしまって、もがき苦しんで、2年の秋まで満足に練習もできなかった。俺だったら腐って辞めているに違いないだろうに、治療とトレーニングを並行し、辛抱と努力を重ねて、迎える事ができた最後の夏。残すところ、私からしてやれることは、試合の全てに出かけ、背番号15に心の中で賞賛を、そして、チームへ声援を精一杯送ってやることくらいだ。私は、試合ごとに熱く、勝ち上がるごとに熱くさせられた。そして、中年のおっさんを青春真っ只中に引き込んでくれた連中に
 ｢ありがとう｣
 と、言いたくなる。さらに、
 ｢こいつらに一日でも長く野球をさせてやりたい。｣
 と、願ったのだが、ベスト４進出をかけた試合で敗れ去った。
 欲を言えばきりが無く、残念だが、清清しい。熱くなれることがある幸せと、散っても花を咲かそうと努力を重ねたことの尊さを知り、彼もおそらく清清しく、そして、少しは自分を誇らしく思っているのではなかろうか？今夜は中華料理でねぎらってやろう。
 応援団のバスが、選手達より一足早く学校に着き、息子を待っている間に、友人からメールが入った。球場を後にするとき、
 ｢これで青春も終わりですたい｣
 と、打っておいた私のメールに対する返信だ。
 ｢大丈夫、貴方の生き様そのものが青春です。｣
 だと…。うっ！
策士
その夜、中華レストランで、オーダーを済ませて料理が運ばれるまでの間に、
 ｢野球を続けさせてくれてありがとう｣
 と、彼なりの言葉で話し始めるから、ほろっと来るではないか。
 ｢こんなこと言える男に育っていたのか…｣
 と、今日までのことに思いを馳せる間もなく、
 ｢進学させて欲しいので、お願いします。｣
 と、息子が切り出してきた。故障をして、トレーニングや治療を重ねながら野球を続けるうち、医療系の大学に関心を寄せていることは知っていた。しかし、それまであまりに漠然としたことでしかこちらに伝えられなかったし、お互いに、進路について語り合うことを避けるような空気もあった。だが、今回は違う。いかんせん話しを切り出すタイミングが良すぎる。この時を見計らって、伝える言葉も用意されていた。つまり私は、ヤツの策略にまんまとはまってしまったわけだ、と思えばおかしくなった。親父を手玉にとる息子を後押しせざるをえんだろう…。
区切り
妻はそれまでに、息子が話す学校の名をいくつか耳にするたびに、本屋で立ち読みなどしていたらしく、ちょいとした医療系大学の通になっていた。息子もこの日を境にして、積極的に進路指導の先生と話し、オープンキャンパスとやらにも出かけ、資料も日に日に増えてきた。さすがの私も資料に目を通し、妻の話しに耳を傾けるようになると、そのうち、
 ｢ここが、あいつの思いに最も近かろう。｣
 と、いう学校が見えてくる。妻も、
 ｢私もここだと思う。｣
 けれども、
 ｢払えるん？｣
 と、言うじゃないか。
 ｢ここを読んどいて…ね。｣
 と、開かれた学費のページに記された金額を見て、あっ！開いた口が塞がらない。
 ｢…、まあ、オープンキャンパスから帰ってきてからの話しということで…｣
 と、お茶を濁す。
 その日、ヤツは意気揚揚と帰ってきた。
 ｢最高だった。感動した。｣
 なぞとほざいて、鼻の穴が膨らんでいる。例の大学のオープンキャンパスから帰ってきたのだ。台所で母親相手に雄弁になっている。
 「こりゃあやばい、やばい。」
 と、私は盃片手、テレビに熱中しているそぶりで通し、適当に酔っ払って早々と寝た。
 すると翌日、
 ｢クマさん、話しがあるんですけど…｣
 と、ヤツが来たー。
 ｢昨日行ってきたらさあ、俺の気持ちにぴったりのとこやったんよ。｣
 ｢…。｣
 ｢行かせて欲しいです。｣
 ｢…。｣
 ｢お願いします。｣
 ｢全く、お前はひどいヤツやなあ。よりによって俺の誕生日に、目から火噴きそうな学費のとこに行かせてくれってか？｣
 ｢まあ、まあ。ねえ、クマさん、まだまだ元気やん。頑張ってくれよ。必ず親孝行するからさ。｣
 ｢なにぬかす、俺だって、元気そうに見えるだけで、一つや二つ病気を抱えとるかもしれん。｣
 ｢クマさんなら、まだ大丈夫。そんなこと言わずに元気でいてくれよ。｣
 ｢なんじゃ、学費出してもらわんといかんから、元気でいてくれってか。｣
 ｢まあ、まあ。クマさん、酒はいいと思うよ。でもタバコはやめなよ。｣
 ｢俺は意思が弱いけん、ニコレットの力でも借りんとやめられん。｣
 この時、一瞬ヤツの鼻の穴が膨み、そして会話は続く。
 ｢お願いします。しっかりやりますから、ねえ、クマさん、お願いします。｣
 ｢まあな、こんなこと値切っても仕方ねえ。俺だってお前の親父だから、ここを志望するだろうとは思うとった。｣
 ｢と、いうことはいいの？｣
 ｢ほんとに、お前はひどいやっちゃ、こんな誕生日のプレゼントってありかあ。｣
 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h2>熱き夏</h2>
<p><a href="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2008/09/016-2008-001.jpg" rel="lightbox[12]"><img class="alignleft size-medium wp-image-363" title="016-2008-001" src="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2008/09/016-2008-001-300x225.jpg" alt="016 2008 001 300x225 2008年　夏" width="300" height="225" /></a>7月に入ると、<br />
 ｢お天道さん、あんた怒っとんね？｣<br />
 と、空を見上げて呟いてしまうくらい、肌を焦がし、痛みを感じさせるような日差しが降り注いだ。そんな暑さがやって来て、息子の高校野球最後の、短くも熱い夏もやって来ては去って行った。<br />
 彼は高校1年の秋に、腰椎分離症を抱えてしまって、もがき苦しんで、2年の秋まで満足に練習もできなかった。俺だったら腐って辞めているに違いないだろうに、治療とトレーニングを並行し、辛抱と努力を重ねて、迎える事ができた最後の夏。残すところ、私からしてやれることは、試合の全てに出かけ、背番号15に心の中で賞賛を、そして、チームへ声援を精一杯送ってやることくらいだ。私は、試合ごとに熱く、勝ち上がるごとに熱くさせられた。そして、中年のおっさんを青春真っ只中に引き込んでくれた連中に<br />
 ｢ありがとう｣<br />
 と、言いたくなる。さらに、<br />
 ｢こいつらに一日でも長く野球をさせてやりたい。｣<br />
 と、願ったのだが、ベスト４進出をかけた試合で敗れ去った。<br />
 <a href="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2008/09/016-2008-007.jpg" rel="lightbox[12]"><img src="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2008/09/016-2008-007-300x225.jpg" alt="016 2008 007 300x225 2008年　夏" title="016-2008-007" width="300" height="225" class="alignleft size-medium wp-image-536" /></a>欲を言えばきりが無く、残念だが、清清しい。熱くなれることがある幸せと、散っても花を咲かそうと努力を重ねたことの尊さを知り、彼もおそらく清清しく、そして、少しは自分を誇らしく思っているのではなかろうか？今夜は中華料理でねぎらってやろう。<br />
 応援団のバスが、選手達より一足早く学校に着き、息子を待っている間に、友人からメールが入った。球場を後にするとき、<br />
 ｢これで青春も終わりですたい｣<br />
 と、打っておいた私のメールに対する返信だ。<br />
 ｢大丈夫、貴方の生き様そのものが青春です。｣<br />
 だと…。うっ！</p>
<h2>策士</h2>
<p>その夜、中華レストランで、オーダーを済ませて料理が運ばれるまでの間に、<br />
 ｢野球を続けさせてくれてありがとう｣<br />
 と、彼なりの言葉で話し始めるから、ほろっと来るではないか。<br />
 ｢こんなこと言える男に育っていたのか…｣<br />
 と、今日までのことに思いを馳せる間もなく、<br />
 ｢進学させて欲しいので、お願いします。｣<br />
 と、息子が切り出してきた。故障をして、トレーニングや治療を重ねながら野球を続けるうち、医療系の大学に関心を寄せていることは知っていた。しかし、それまであまりに漠然としたことでしかこちらに伝えられなかったし、お互いに、進路について語り合うことを避けるような空気もあった。だが、今回は違う。いかんせん話しを切り出すタイミングが良すぎる。この時を見計らって、伝える言葉も用意されていた。つまり私は、ヤツの策略にまんまとはまってしまったわけだ、と思えばおかしくなった。親父を手玉にとる息子を後押しせざるをえんだろう…。</p>
<h2>区切り</h2>
<p>妻はそれまでに、息子が話す学校の名をいくつか耳にするたびに、本屋で立ち読みなどしていたらしく、ちょいとした医療系大学の通になっていた。息子もこの日を境にして、積極的に進路指導の先生と話し、オープンキャンパスとやらにも出かけ、資料も日に日に増えてきた。さすがの私も資料に目を通し、妻の話しに耳を傾けるようになると、そのうち、<br />
 ｢ここが、あいつの思いに最も近かろう。｣<br />
 と、いう学校が見えてくる。妻も、<br />
 ｢私もここだと思う。｣<br />
 けれども、<br />
 ｢払えるん？｣<br />
 と、言うじゃないか。<br />
 ｢ここを読んどいて…ね。｣<br />
 と、開かれた学費のページに記された金額を見て、あっ！開いた口が塞がらない。<br />
 ｢…、まあ、オープンキャンパスから帰ってきてからの話しということで…｣<br />
 と、お茶を濁す。<br />
 その日、ヤツは意気揚揚と帰ってきた。<br />
 ｢最高だった。感動した。｣<br />
 なぞとほざいて、鼻の穴が膨らんでいる。例の大学のオープンキャンパスから帰ってきたのだ。台所で母親相手に雄弁になっている。<br />
 「こりゃあやばい、やばい。」<br />
 と、私は盃片手、テレビに熱中しているそぶりで通し、適当に酔っ払って早々と寝た。<br />
 すると翌日、<br />
 ｢クマさん、話しがあるんですけど…｣<br />
 と、ヤツが来たー。<br />
 ｢昨日行ってきたらさあ、俺の気持ちにぴったりのとこやったんよ。｣<br />
 ｢…。｣<br />
 ｢行かせて欲しいです。｣<br />
 ｢…。｣<br />
 ｢お願いします。｣<br />
 ｢全く、お前はひどいヤツやなあ。よりによって俺の誕生日に、目から火噴きそうな学費のとこに行かせてくれってか？｣<br />
 ｢まあ、まあ。ねえ、クマさん、まだまだ元気やん。頑張ってくれよ。必ず親孝行するからさ。｣<br />
 ｢なにぬかす、俺だって、元気そうに見えるだけで、一つや二つ病気を抱えとるかもしれん。｣<br />
 ｢クマさんなら、まだ大丈夫。そんなこと言わずに元気でいてくれよ。｣<br />
 ｢なんじゃ、学費出してもらわんといかんから、元気でいてくれってか。｣<br />
 ｢まあ、まあ。クマさん、酒はいいと思うよ。でもタバコはやめなよ。｣<br />
 ｢俺は意思が弱いけん、ニコレットの力でも借りんとやめられん。｣<br />
 この時、一瞬ヤツの鼻の穴が膨み、そして会話は続く。<br />
 ｢お願いします。しっかりやりますから、ねえ、クマさん、お願いします。｣<br />
 ｢まあな、こんなこと値切っても仕方ねえ。俺だってお前の親父だから、ここを志望するだろうとは思うとった。｣<br />
 ｢と、いうことはいいの？｣<br />
 ｢ほんとに、お前はひどいやっちゃ、こんな誕生日のプレゼントってありかあ。｣<br />
 ｢ははは、ありがとうございます。｣<br />
 私の誕生日の晩餐には、手作りのにぎり寿司がずらりと並んだ。妻からはリボンが掛けられた酒、息子から、これもリボンが掛けられた包みが…。中身はニコレット。<br />
 ｢まったく、ひどいヤッちゃ、うちの息子は。｣<br />
 と、言うと、妻が返す。<br />
 ｢クマさん、何年タバコ吸ったん？｣<br />
 ｢んー、19歳吸い始めで25年かあ。｣<br />
 ｢四半世紀やん、いい区切りやん。｣<br />
 だとさ…。44歳働き盛り、ええーい、禁煙４週目に突入だあい。</p>
<h3>追記</h3>
<p>息子は、学校帰り、ドラッグストアに立ち寄って、ニコレットを手にすると、自分が制服姿であることに気付いたそうだ。近くにいる店員さんに、<br />
 ｢構わないですか？｣<br />
 と、尋ねると、他の店員さんを巻き込んで、その場で相談が始まったという。その結果、<br />
 ｢高校生に販売するわけにはいきません。｣<br />
 と…。そして、慌てた息子は、携帯電話で妻に、<br />
 ｢大変だ、高校生にはニコレットを売ってくれないらしいから、買っといて！｣<br />
 と、連絡をとり難無きを得たのだそうだ。<br />
 <a href="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2008/09/016-2008-008.jpg" rel="lightbox[12]"><img src="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2008/09/016-2008-008-300x225.jpg" alt="016 2008 008 300x225 2008年　夏" title="農樹通信　夏のヒマワリ" width="300" height="225" class="alignleft size-medium wp-image-537" /></a>私の44回目の8月5日は、なんだか嬉し、悲し、やっぱし嬉しの日となった。<br />
 それから2週間もすると、朝晩涼しく、明け方は寒ささえ感じるようになってきた。ニコチンへの依存度は下がり、自分がアクティブになっていることに気付く。日中は日差し柔らかく、秋の気配。<br />
 今年は暑さの中、熱くなりながらも、清清しく、嬉しさに満ち満ちた、いい夏だった。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>2008年　春</title>
		<link>http://nohju.jp/magazine/015</link>
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		<pubDate>Mon, 31 Mar 2008 15:00:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nohju_master</dc:creator>
				<category><![CDATA[2008年　春]]></category>
		<category><![CDATA[農樹通信]]></category>

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		<description><![CDATA[
よっ、日本一！
表彰されたのは私じゃないが、そんなの関係ねぇー。グランプリなのだ。日本一なのだ。その栄冠に輝いたのだ。
表彰されたのは、京都市中京区の竹内康宏さん。数年前からお付き合いしているお米屋さんだ。五ッ星お米マイスターである氏が、｢2007年度お米マイスター全国ブレンド技能グランプリ｣なるコンクールに、我が家の米を主原料に、ブレンド米を創作して出品。全国3944名のお米マイスターの中で、｢いっとーしょう！！｣になったのだ、と…、よっ、日本一。
今年度のコンクールは、｢寿司飯｣用ブレンドがテーマで、出品した作品は、｢粒がはっきりして、付着良好、20時間後も硬くなりにくい｣との評価を得たのだとか…、いいじゃなぁい。うちのお米の特徴が出てるじゃなぁい…、よっ、日本一。よくぞ使うてくだすった。
この度のことをたとえるなら、氏が個性豊かな選手を束ねた胴上げ監督で、うちのお米はそのチームの4番バッター。さしずめ私が選手の親であり、トレーナーといったところかぁ。ばんざーい。
私達の出会いは大阪。米の産地関係者や生産者、そしてお米マイスターが会する交流会でのことだ。米の業界ではここ京都、ましてや綾部の米など全く無名の存在。そうとはつゆ知らず、のこのこと出かけて行った会場で、なみいる有名産地に群がる人々に、
｢産地じゃないよ、お米の作者が誰かだよ。｣
と、訴えるも、
｢へえー、きょうとお〜｣
と、目を合わしてももらえず、鼻にもかけられない有り様だった。私は、
｢くっそー、あんたたち、香港でも行ってルイ・ビトンあさって、本物やったぁっ、偽物やったぁって、喜んだり悔しがったりしときゃーよか、ふんっ。｣
と、心の中で叫んでいた。
そこへ、

｢僕は京都の米をもっと扱いたいねんー。｣
と、かの監督はやって来てくれた。私の米を手に取る監督のまわりの人達が、
｢綾部って、どの辺り。｣
などと、たあいの無いやりとりをする中、
｢もっと白う精米せんの？｣
と、精米のプロから見ると、これは如何なものかと言わんがばかりの問いに、
｢これの方が美味いかと思うて…｣
と、私が答えると、間髪入れず、
｢僕もそう思う｣
と、監督が言い残すと集団がわいわいと立ち去った。
私と一つ違いで、チームのスカウトも兼任する監督のやり方は、有名校の選手を物色するものではない。数日後、監督から、
｢そっちへ伺おうと思いますが…。｣
と、電話が鳴り、
｢今の米の業界、こんなんやけど、僕はこの商売死ぬまで続けようと思うてます。｣
との言葉。以来、季節を問わず行き来を繰り返し、なにおか言わんやのお付き合いが今日に至っている。
農家は田舎にしか居ない。当たり前のことだが、ただし、農家は田舎に居るだけではいけない。世の中には、「上」があることを思い知りながら、研鑚することが必要だ。監督と知り合って、
｢こんなんもあんねん、くまさん、こんなんだってあんねん。｣
様々な米を手に取らせてもらいながら、
｢くまさん、全国区に打って出るには…、｣
どうしよう、こうしようという米作り談義を、積み木を積んでは崩し、崩しては積むうちにチームは躍進したように思う。これが、俗に言う｢コ・ラ・ボ｣っちゅうもんじゃろか？
ハンディやコンプレックスも時には力になる。先の交流会で、
｢きょうと？あやべっ？｣
と、私をあしらうように言ったおっさん達の視線の先には、新潟の看板があった。京都から来ました｢農樹｣という得体も知れぬ看板では、ブランド好きの人々相手には屁のつっぱりにも成らないということ。
監督もまた京都・祇園で言われた言葉に、20年来コンプレックスを抱えているのだと聞いたことがある。それは、
｢大学卒業して、米屋稼業に入ったころな、くまさん。祇園で飲んでてん。その時お姉ちゃんに言われた言葉が忘れられんわ。｣
｢へぇー？｣
｢くまさん、その姉ちゃんなんて言うた思う？｣
｢さぁー？｣
｢お米屋さんー？ふーん…。なんや皮剥いて売るだけの商売やん…てえ｣
｢きつーっ｣
｢…って言うかあ。ずーっと僕、それがコンプレックスやねん。｣
と、いう話し。
一樹の陰、一河の流れも他生の縁。同じ木陰に雨宿りし、ともに同じ河の水をくむことは、たとえ知らない者どうしであっても、すべて縁によるもの…、意味のあることだと言うではないか。監督との出会いは言うまでも無いが、あの交流会でのブランド嗜好の人々も、祇園の姉ちゃんも、とても大きな意味を持ってくる…、なんて格好良いことを不肖・中津隈が考えられるのも、なんてったって｢ゆうしょう｣したからに他ならない。
春が来る。忙しくなる前に、
かんとくーっ、賞状ぶらさげて祇園でいーっぱい飲もかぁ。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2008/04/015-2008-001.jpg" rel="lightbox[16]"><img src="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2008/04/015-2008-001-300x225.jpg" alt="015 2008 001 300x225 2008年　春" title="015-2008-001" width="300" height="225" class="aligncenter size-medium wp-image-374" /></a></p>
<h2>よっ、日本一！</h2>
<p>表彰されたのは私じゃないが、そんなの関係ねぇー。グランプリなのだ。日本一なのだ。その栄冠に輝いたのだ。<br />
表彰されたのは、京都市中京区の竹内康宏さん。数年前からお付き合いしているお米屋さんだ。五ッ星お米マイスターである氏が、｢2007年度お米マイスター全国ブレンド技能グランプリ｣なるコンクールに、我が家の米を主原料に、ブレンド米を創作して出品。全国3944名のお米マイスターの中で、｢いっとーしょう！！｣になったのだ、と…、よっ、日本一。<br />
今年度のコンクールは、｢寿司飯｣用ブレンドがテーマで、出品した作品は、｢粒がはっきりして、付着良好、20時間後も硬くなりにくい｣との評価を得たのだとか…、いいじゃなぁい。うちのお米の特徴が出てるじゃなぁい…、よっ、日本一。よくぞ使うてくだすった。<br />
この度のことをたとえるなら、氏が個性豊かな選手を束ねた胴上げ監督で、うちのお米はそのチームの4番バッター。さしずめ私が選手の親であり、トレーナーといったところかぁ。ばんざーい。</p>
<p>私達の出会いは大阪。米の産地関係者や生産者、そしてお米マイスターが会する交流会でのことだ。米の業界ではここ京都、ましてや綾部の米など全く無名の存在。そうとはつゆ知らず、のこのこと出かけて行った会場で、なみいる有名産地に群がる人々に、<br />
｢産地じゃないよ、お米の作者が誰かだよ。｣<br />
と、訴えるも、<br />
｢へえー、きょうとお〜｣<br />
と、目を合わしてももらえず、鼻にもかけられない有り様だった。私は、<br />
｢くっそー、あんたたち、香港でも行ってルイ・ビトンあさって、本物やったぁっ、偽物やったぁって、喜んだり悔しがったりしときゃーよか、ふんっ。｣<br />
と、心の中で叫んでいた。<br />
そこへ、</p>
<p><a href="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2004/09/002-2004-001.jpg" rel="lightbox[16]"><img class="aligncenter size-medium wp-image-372" title="農樹通信" src="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2004/09/002-2004-001-300x225.jpg" alt="002 2004 001 300x225 2008年　春" width="300" height="225" /></a></p>
<p>｢僕は京都の米をもっと扱いたいねんー。｣<br />
と、かの監督はやって来てくれた。私の米を手に取る監督のまわりの人達が、<br />
｢綾部って、どの辺り。｣<br />
などと、たあいの無いやりとりをする中、<br />
｢もっと白う精米せんの？｣<br />
と、精米のプロから見ると、これは如何なものかと言わんがばかりの問いに、<br />
｢これの方が美味いかと思うて…｣<br />
と、私が答えると、間髪入れず、<br />
｢僕もそう思う｣<br />
と、監督が言い残すと集団がわいわいと立ち去った。<br />
私と一つ違いで、チームのスカウトも兼任する監督のやり方は、有名校の選手を物色するものではない。数日後、監督から、<br />
｢そっちへ伺おうと思いますが…。｣<br />
と、電話が鳴り、<br />
｢今の米の業界、こんなんやけど、僕はこの商売死ぬまで続けようと思うてます。｣<br />
との言葉。以来、季節を問わず行き来を繰り返し、なにおか言わんやのお付き合いが今日に至っている。<br />
農家は田舎にしか居ない。当たり前のことだが、ただし、農家は田舎に居るだけではいけない。世の中には、「上」があることを思い知りながら、研鑚することが必要だ。監督と知り合って、<br />
｢こんなんもあんねん、くまさん、こんなんだってあんねん。｣<br />
様々な米を手に取らせてもらいながら、<br />
｢くまさん、全国区に打って出るには…、｣<br />
どうしよう、こうしようという米作り談義を、積み木を積んでは崩し、崩しては積むうちにチームは躍進したように思う。これが、俗に言う｢コ・ラ・ボ｣っちゅうもんじゃろか？<br />
ハンディやコンプレックスも時には力になる。先の交流会で、<br />
<a href="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2008/04/015-2008-003.jpg" rel="lightbox[16]"><img src="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2008/04/015-2008-003-300x214.jpg" alt="015 2008 003 300x214 2008年　春" title="農樹　シンボル" width="300" height="214" class="alignleft size-medium wp-image-455" /></a>｢きょうと？あやべっ？｣<br />
と、私をあしらうように言ったおっさん達の視線の先には、新潟の看板があった。京都から来ました｢農樹｣という得体も知れぬ看板では、ブランド好きの人々相手には屁のつっぱりにも成らないということ。<br />
監督もまた京都・祇園で言われた言葉に、20年来コンプレックスを抱えているのだと聞いたことがある。それは、<br />
｢大学卒業して、米屋稼業に入ったころな、くまさん。祇園で飲んでてん。その時お姉ちゃんに言われた言葉が忘れられんわ。｣<br />
｢へぇー？｣<br />
｢くまさん、その姉ちゃんなんて言うた思う？｣<br />
｢さぁー？｣<br />
｢お米屋さんー？ふーん…。なんや皮剥いて売るだけの商売やん…てえ｣<br />
｢きつーっ｣<br />
｢…って言うかあ。ずーっと僕、それがコンプレックスやねん。｣<br />
と、いう話し。</p>
<p>一樹の陰、一河の流れも他生の縁。同じ木陰に雨宿りし、ともに同じ河の水をくむことは、たとえ知らない者どうしであっても、すべて縁によるもの…、意味のあることだと言うではないか。監督との出会いは言うまでも無いが、あの交流会でのブランド嗜好の人々も、祇園の姉ちゃんも、とても大きな意味を持ってくる…、なんて格好良いことを不肖・中津隈が考えられるのも、なんてったって｢ゆうしょう｣したからに他ならない。</p>
<p>春が来る。忙しくなる前に、<br />
かんとくーっ、賞状ぶらさげて祇園でいーっぱい飲もかぁ。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
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		<title>2007年　秋</title>
		<link>http://nohju.jp/magazine/014</link>
		<comments>http://nohju.jp/magazine/014#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 30 Sep 2007 15:00:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nohju_master</dc:creator>
				<category><![CDATA[2007年　秋]]></category>
		<category><![CDATA[農樹通信]]></category>

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		<description><![CDATA[稲刈りが終われば、村人から、
｢落ち着いたやろ、暇になったやろ｣
と、声をかけられるが、とんでもない。お米の注文に対応しつつ、来年に向けて草刈りやねき上げ（田圃と田圃の境に溝を掘る）、漏水箇所の補修に加えて余計な仕事、けもの避けの電気柵の電線回収が待っている。籾タンクに貯蔵している籾摺りや、袋詰した玄米を倉庫に積み上げる作業は雨降りの仕事。籾摺りが片付けば、ピストン輸送で籾殻をせっせとダンプに積み込み処分する。大方の農家と違って、その仕事のどれもがワンサイクルやツーサイクルで終えられる量ではないのだ。農業を始める時は、もう少し｢スローテンポで生きていく｣はずだった。これほど田圃を預かるはずではかった。ふうっと、大きくため息を吐いてしまうこともしばしば。ええい、働くばかりではつまらん、息抜きも大事、息抜きも…。
魚釣り
16年ぶりになるだろうか、近頃魚釣りをするようになった。決して高級とは言えない舞鶴湾での投げ釣りだが、自衛隊の艦船や行き交う船を眺めながら、当りが来るのを待つのは心地良いものだ。空は青く波はきらめき、潮の香り優しい舞鶴の海へ餌を付けて一投目を投じるのは朝八時半。2本目の竿も投じると、シュルシュルッとリールの糸がほどけてポチャン…、
｢よおしっ、いいとこ行った。｣
さあ、これからが早起きした人間様にも餌をいただける番となる。カパッとワンカップを開けてひと口ぐびっ、
｢んー、うまい。｣
チクワかじってまた一口。メザシを噛み噛み、ぐびっと、
｢あー、たまらん、ういーっ。｣
極楽、極楽…。そこは平日の午前９時、舞鶴の海。
｢サラリーマンしょくーん、きょうもいちにち、げんきにはたらきたまえー｣
と、叫びたくなる俺の心は歪んでいるのだろうか。
この釣りの友は75歳、私を我が子のように扱ってくれるおっさんだ。
｢ここは30年来通うとるんじゃ。｣
と、言うだけに、釣り場に向かう裏道から、魚と人の餌の調達場、竿を振り込むポイントに至るまで熟知している。思い出話しがまたおもしろい。
｢10年、15年、もっと前じゃったろうか…、｣
おっさんがとり付かれたように、毎日ここに通っていた時分、毎日一人で釣りに来る小学生がいた。そして、毎日のようにそれを咎めに来る母親に、おっさんはある時言ったそうだ。
｢あんたあ、そう勉強じゃ、宿題じゃあて言わんときな。この子はワシが見るところなあ…、｣
上手に餌の支度をし、仕掛けをこしらえ、竿を振る前の段取り、その後の振る舞いに目を見張るものがある。たかが魚釣りではあるけれど、自分の目的達成のために、いかにすれば限られた時間で、より多くの成果を得られるかを考え、行動する力がある。
｢やる時はやる子じゃでよお…、とワシは見た。この子に限ってワシは言うちゃる。がみがみ言わんとなあ、子が思うように狂わせちゃりないや。｣
と、のたまったらしい。そして後日、おっさんがかかった魚に竿を引きずられ不覚にも、海の中へと持って行かれ、悔やんでいたところ、翌日もまた、釣り場に来ると、何とその竿が置かれていたのだという。少年が、おっさんのためにひとりで船を漕いで回収したのだそうだ。
｢あの子も大きゅうなっとるじゃろなあ。｣
道路からひょいと降りたその釣り場は、行き交う人々との声のかけ合いもまた楽しい。散歩の足を止め声をかけてくる人、遠足の小学生達などなどある中で、
｢釣れてますかあ｣
と、若者が車を止めて声をかけてきた。太い声できりりとした顔立ちにハンチング帽、長身で男前の好青年が、ガードレールを乗り越え語りかける。
｢んー、今ふたーつ上げたとこじゃ｣
と、おっさんが返すと、
｢竿も餌もいーやん。まだまだ上がるよ。｣
｢そうか、そうか。｣
と、若者との会話が弾むうち、
｢ところでおっちゃん、名前は…？｣
｢ん、あん時の坊主？｣
と、二人の思い出のアルバムが蘇えり動き出す。
｢おー、お前なんぼになった？｣
｢27。今トヨタで働いとるんよ｣
｢おおきくなったのお｣
｢おっちゃん、年とったなあ｣
｢足がしびれるようになってのお、もう百姓はやめじゃ｣
｢魚釣りができとったらええやん｣
海を眺め、時におっさんの横顔を見ながら、良き思い出話を子守唄のように心地よく聞いていた私の心はさらに和み、やわらかな息をつく。
｢お前が拾うてきて、置いといてくれたじゃろ。あの竿、覚えとるかあ？あれのお、引き上げたらのお、魚がまだひっついとったでよお｣
｢ほんまかあ…。おっ、ひいとる、おっちゃん、ほらっ｣
｢おっ、よし、よし｣
おっさんの竿にかかった魚を取り上げたり、餌を付けたりと嬉々としている青年の姿のその先に、彼の車の窓から顔をのぞかせ、微笑み続ける女性がいる。妻なのか恋人か、1時間以上もほったらかしにされながら、老釣師と戯れる彼を笑って見ている。
｢この彼にこの彼女あり｣
と、また心地良く深い息をはいた。
その日の夜、妻と息子にこの物語を話し始めると、二人は微笑みながら話しに耳を傾け、聞き入った。物語が完結すると息子は、
｢いいねえ｣
と、遠くを見るような眼で、その光景を思い浮かべている様子。妻はときたら、
｢その彼と彼女は夫婦やないね。付き合い始めてまだ1ヶ月以内というところやね。それくらいの熱々ほやほややなかったら、普通、1時間ほったらかされて黙って待っとらんわ｣
だ、と…。
俺は｢浪漫｣が解る息子がいてくれて…、よー。この上なく嬉しいわ…、ふうー。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2005/08/005-2005-002.jpg" rel="lightbox[18]"><img src="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2005/08/005-2005-002-300x225.jpg" alt="005 2005 002 300x225 2007年　秋" title="農樹通信005-2" width="300" height="225" class="alignleft size-medium wp-image-377" /></a>稲刈りが終われば、村人から、<br />
｢落ち着いたやろ、暇になったやろ｣<br />
と、声をかけられるが、とんでもない。お米の注文に対応しつつ、来年に向けて草刈りやねき上げ（田圃と田圃の境に溝を掘る）、漏水箇所の補修に加えて余計な仕事、けもの避けの電気柵の電線回収が待っている。籾タンクに貯蔵している籾摺りや、袋詰した玄米を倉庫に積み上げる作業は雨降りの仕事。籾摺りが片付けば、ピストン輸送で籾殻をせっせとダンプに積み込み処分する。大方の農家と違って、その仕事のどれもがワンサイクルやツーサイクルで終えられる量ではないのだ。農業を始める時は、もう少し｢スローテンポで生きていく｣はずだった。これほど田圃を預かるはずではかった。ふうっと、大きくため息を吐いてしまうこともしばしば。ええい、働くばかりではつまらん、息抜きも大事、息抜きも…。</p>
<h2 style="clear: both">魚釣り</h2>
<p><a href="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2007/10/014-2007-001.jpg" rel="lightbox[18]"><img src="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2007/10/014-2007-001-300x225.jpg" alt="014 2007 001 300x225 2007年　秋" title="農樹通信014" width="300" height="225" class="alignright size-medium wp-image-388" /></a>16年ぶりになるだろうか、近頃魚釣りをするようになった。決して高級とは言えない舞鶴湾での投げ釣りだが、自衛隊の艦船や行き交う船を眺めながら、当りが来るのを待つのは心地良いものだ。空は青く波はきらめき、潮の香り優しい舞鶴の海へ餌を付けて一投目を投じるのは朝八時半。2本目の竿も投じると、シュルシュルッとリールの糸がほどけてポチャン…、<br />
｢よおしっ、いいとこ行った。｣<br />
さあ、これからが早起きした人間様にも餌をいただける番となる。カパッとワンカップを開けてひと口ぐびっ、<br />
｢んー、うまい。｣<br />
チクワかじってまた一口。メザシを噛み噛み、ぐびっと、<br />
｢あー、たまらん、ういーっ。｣<br />
極楽、極楽…。そこは平日の午前９時、舞鶴の海。<br />
｢サラリーマンしょくーん、きょうもいちにち、げんきにはたらきたまえー｣<br />
と、叫びたくなる俺の心は歪んでいるのだろうか。<br />
この釣りの友は75歳、私を我が子のように扱ってくれるおっさんだ。<br />
｢ここは30年来通うとるんじゃ。｣<br />
と、言うだけに、釣り場に向かう裏道から、魚と人の餌の調達場、竿を振り込むポイントに至るまで熟知している。思い出話しがまたおもしろい。<br />
｢10年、15年、もっと前じゃったろうか…、｣<br />
おっさんがとり付かれたように、毎日ここに通っていた時分、毎日一人で釣りに来る小学生がいた。そして、毎日のようにそれを咎めに来る母親に、おっさんはある時言ったそうだ。<br />
｢あんたあ、そう勉強じゃ、宿題じゃあて言わんときな。この子はワシが見るところなあ…、｣<br />
上手に餌の支度をし、仕掛けをこしらえ、竿を振る前の段取り、その後の振る舞いに目を見張るものがある。たかが魚釣りではあるけれど、自分の目的達成のために、いかにすれば限られた時間で、より多くの成果を得られるかを考え、行動する力がある。<br />
｢やる時はやる子じゃでよお…、とワシは見た。この子に限ってワシは言うちゃる。がみがみ言わんとなあ、子が思うように狂わせちゃりないや。｣<br />
と、のたまったらしい。そして後日、おっさんがかかった魚に竿を引きずられ不覚にも、海の中へと持って行かれ、悔やんでいたところ、翌日もまた、釣り場に来ると、何とその竿が置かれていたのだという。少年が、おっさんのためにひとりで船を漕いで回収したのだそうだ。<br />
｢あの子も大きゅうなっとるじゃろなあ。｣<br />
道路からひょいと降りたその釣り場は、行き交う人々との声のかけ合いもまた楽しい。散歩の足を止め声をかけてくる人、遠足の小学生達などなどある中で、<br />
｢釣れてますかあ｣<br />
と、若者が車を止めて声をかけてきた。太い声できりりとした顔立ちにハンチング帽、長身で男前の好青年が、ガードレールを乗り越え語りかける。<br />
｢んー、今ふたーつ上げたとこじゃ｣<br />
と、おっさんが返すと、<br />
｢竿も餌もいーやん。まだまだ上がるよ。｣<br />
｢そうか、そうか。｣<br />
と、若者との会話が弾むうち、<br />
｢ところでおっちゃん、名前は…？｣<br />
｢ん、あん時の坊主？｣<br />
と、二人の思い出のアルバムが蘇えり動き出す。</p>
<p>｢おー、お前なんぼになった？｣<br />
｢27。今トヨタで働いとるんよ｣<br />
｢おおきくなったのお｣<br />
｢おっちゃん、年とったなあ｣<br />
｢足がしびれるようになってのお、もう百姓はやめじゃ｣<br />
｢魚釣りができとったらええやん｣</p>
<p><a href="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2007/10/007-2007-004.jpg" rel="lightbox[18]"><img src="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2007/10/007-2007-004-300x225.jpg" alt="007 2007 004 300x225 2007年　秋" title="農樹通信　舞鶴港で釣り" width="300" height="225" class="alignright size-medium wp-image-449" /></a>海を眺め、時におっさんの横顔を見ながら、良き思い出話を子守唄のように心地よく聞いていた私の心はさらに和み、やわらかな息をつく。</p>
<p>｢お前が拾うてきて、置いといてくれたじゃろ。あの竿、覚えとるかあ？あれのお、引き上げたらのお、魚がまだひっついとったでよお｣<br />
｢ほんまかあ…。おっ、ひいとる、おっちゃん、ほらっ｣<br />
｢おっ、よし、よし｣</p>
<p>おっさんの竿にかかった魚を取り上げたり、餌を付けたりと嬉々としている青年の姿のその先に、彼の車の窓から顔をのぞかせ、微笑み続ける女性がいる。妻なのか恋人か、1時間以上もほったらかしにされながら、老釣師と戯れる彼を笑って見ている。<br />
｢この彼にこの彼女あり｣<br />
と、また心地良く深い息をはいた。</p>
<p>その日の夜、妻と息子にこの物語を話し始めると、二人は微笑みながら話しに耳を傾け、聞き入った。物語が完結すると息子は、<br />
｢いいねえ｣<br />
と、遠くを見るような眼で、その光景を思い浮かべている様子。妻はときたら、<br />
｢その彼と彼女は夫婦やないね。付き合い始めてまだ1ヶ月以内というところやね。それくらいの熱々ほやほややなかったら、普通、1時間ほったらかされて黙って待っとらんわ｣<br />
だ、と…。<br />
俺は｢浪漫｣が解る息子がいてくれて…、よー。この上なく嬉しいわ…、ふうー。</p>
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		<title>2007年　夏</title>
		<link>http://nohju.jp/magazine/013</link>
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		<pubDate>Tue, 31 Jul 2007 15:00:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nohju_master</dc:creator>
				<category><![CDATA[2007年　夏]]></category>
		<category><![CDATA[農樹通信]]></category>

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		<description><![CDATA[水
昨今、気象庁は何かにつけて、観測史上始まって以来という。今年も、梅雨明けの遅さは記録的だそうだ。梅雨が長く、雨量が多かったおかげで、ため池の水は、オーバーフローするまでになっているが、その裏返しの、暑くて雨が少ない夏がやってくるかもしれないと思っていると、案の定、約ひと月、雨が降らない。夕立さえない、猛暑日の連続だ。
 ため池には、十分に水があるから、渇水の心配はない。しかし、毎日早朝、池のノミを抜きに行き、順番に水を田んぼへ給水してまわるのも、相当な労働なのだ。雨さえ降れば、ひと息つけるものだが、灼熱のお日さんのもと、田んぼ一枚毎の水の回り具合を見て、次を見て、歩いて歩いて、また次の田んぼへと給水。首筋とＴシャツの、袖から先は真っ黒に日に焼けし、もともと色白な体の、首から上と腕だけ真っ黒けのコントラストは見事なもので、温泉に行くのが、はなはだ恥ずかしい裸体に変身してしまった。
 猛暑の中、体内へ供給する水分量も著しく伸びる。500ccのペットボトルをラッパ飲みしては、トラックの荷台へ、こんころこんとやっていると、生茶に爽健美茶、おーぃお茶に十六茶と、飲料水の展示会場さながらになる。
 これに、草刈りという誰もが嫌う作業が絡んだならば、私とともに働いてくれている氏とともに、その日の作業の最後の1時間だけ、水分補給を我慢する。そして、吐く息をぜーぜーさせながら我が家まで帰って来て、開けたらプシュッと音がする琥珀色の液体を、自らへのご褒美にふるまってやることになっている。
 「ぷはぁー、たまらんー」
 「うぃっ」
 フィールドにおける水分補給は、ノンアルコール飲料2000 cc、アルコール飲料1000 cc…、これが午前中に仕事をやめてしまう場合でのこと。生きとし生けるもの、水は命なのだ。いくら汗を噴出しているとは言え、半日で3000cc飲めば当然水っ腹、妻はビールっ腹と冷ややかに見る。
 「まあ、よかよか」
 自分に褒美を与える理由は他にもあるのだ。
 忘れもしない、昨年4月1日、足首を骨折してしまい、今でこそ明かせる、あの時は、絶体絶命のピンチに立たされた。立ち止まるわけにいかない自分に、今でき得るベストを尽くそう…と、言い聞かせながら、種蒔き、手術、また種蒔き…、ギプスを着けたままトラクターで代掻き、そして、田植え。
 夏は、リハビリを兼ねた草刈り。稲刈りは長雨で田んぼの土がゆるんで泥まみれ。思い出すのもおぞましい昨シーズン。
 しかし、体が満足に動かせないと頭は良く働き、物事をよく考えることができるものだ。一昨年は1町歩、昨年は2町歩と、尻上りに田んぼが増えていく中で、作業体系や施肥体系、その他抱えていた経営上のジレンマや不安を洗いだし、考え、再構築してみる。結論が出なくても、ヒントが生まれ、それらを、今シーズンは片っ端から実行してみた。そうすると、今年はうまく作業が流れていき、余力がうまれるから、好転スパイラルは上へ上へと登って行く。余力が好結果を生み、いつにもまして、田んぼは輝いて、進化しているという実感がある。日照りも、叩きつける夕立も、どこ吹く風よとばかりに稲も私もここに立っている。神様は試練を乗り越えられる者にこそ試練を与えられるのだ！と夕陽を背に興に入り、今宵また自分に褒美を与える理由はここにある。
ピンチの裏側
夏の甲子園で佐賀県の公立・佐賀北高が優勝した。佐賀の公立高校が全国制覇したのだ。佐賀なのだ、公立校なのだ。たまらなく、心熱くなり、目元熱くなりながら、
 「よかったのぉ」
 「ほんと、よう頑張ったのぉ」
 と、連日、朝、昼、晩ごとにテレビに映る佐賀北高の彼らを祝福していた。そしてその都度、我が家にいる高校球児の今と重ね合わせながらテレビに見入ってしまうと、目から涙が溢れる。知らぬ間に、妻が横にいることに気づいた時は、即座に頭を上に向け、
 「よかった、よかった」
 と、立ちあがって、顔を拭き拭きその場を去る、といった数日間のある日…。ひとり昼飯を食べていると、テレビで、「佐賀北」をやっていた。
 「おう、やっとる、やっとる（むしゃ、むしゃ）」
 キャスターが、
 「…、…、…。佐賀北高・野球部の部室の前には、『ピンチの裏側』という詩が掲げてあるんです。…、…、…。ご紹介します。」
 と、…。私は飯を、むしゃ、むしゃしながら見ていると…、その『ピンチの裏側』とやらという詩を読み始めた。

 神様は決して
 ピンチだけをお与えにならない
 ピンチの裏側に必ず
 ピンチと同じ大きさのチャンスを用意して下さっている
 愚痴をこぼしたりヤケを起すと
 チャンスを見つける目が曇り
 ピンチを切り抜けるエネルギーさえ失せてしまう
 ピンチはチャンス
 どっしりかまえて
 ピンチの裏側に用意されている
 チャンスを見つけよう
 
「…うっ、うっ」
 また涙がこぼれきた。さあて、そろそろ、13回目の稲刈りだ！
No rain, no rainbow.
 Hope shines eternal.
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h2>水</h2>
<p><a href="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2007/08/013-2007-002.jpg" rel="lightbox[21]"><img src="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2007/08/013-2007-002-300x224.jpg" alt="013 2007 002 300x224 2007年　夏" title="農樹通信　猛暑日" width="300" height="224" class="alignleft size-medium wp-image-441" /></a>昨今、気象庁は何かにつけて、観測史上始まって以来という。今年も、梅雨明けの遅さは記録的だそうだ。梅雨が長く、雨量が多かったおかげで、ため池の水は、オーバーフローするまでになっているが、その裏返しの、暑くて雨が少ない夏がやってくるかもしれないと思っていると、案の定、約ひと月、雨が降らない。夕立さえない、猛暑日の連続だ。<br />
 ため池には、十分に水があるから、渇水の心配はない。しかし、毎日早朝、池のノミを抜きに行き、順番に水を田んぼへ給水してまわるのも、相当な労働なのだ。雨さえ降れば、ひと息つけるものだが、灼熱のお日さんのもと、田んぼ一枚毎の水の回り具合を見て、次を見て、歩いて歩いて、また次の田んぼへと給水。首筋とＴシャツの、袖から先は真っ黒に日に焼けし、もともと色白な体の、首から上と腕だけ真っ黒けのコントラストは見事なもので、温泉に行くのが、はなはだ恥ずかしい裸体に変身してしまった。<br />
 猛暑の中、体内へ供給する水分量も著しく伸びる。500ccのペットボトルをラッパ飲みしては、トラックの荷台へ、こんころこんとやっていると、生茶に爽健美茶、おーぃお茶に十六茶と、飲料水の展示会場さながらになる。<br />
 これに、草刈りという誰もが嫌う作業が絡んだならば、私とともに働いてくれている氏とともに、その日の作業の最後の1時間だけ、水分補給を我慢する。そして、吐く息をぜーぜーさせながら我が家まで帰って来て、開けたらプシュッと音がする琥珀色の液体を、自らへのご褒美にふるまってやることになっている。<br />
 「ぷはぁー、たまらんー」<br />
 「うぃっ」<br />
 フィールドにおける水分補給は、ノンアルコール飲料2000 cc、アルコール飲料1000 cc…、これが午前中に仕事をやめてしまう場合でのこと。生きとし生けるもの、水は命なのだ。いくら汗を噴出しているとは言え、半日で3000cc飲めば当然水っ腹、妻はビールっ腹と冷ややかに見る。<br />
 「まあ、よかよか」<br />
 <a href="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2007/08/013-2007-001.jpg" rel="lightbox[21]"><img src="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2007/08/013-2007-001-300x225.jpg" alt="013 2007 001 300x225 2007年　夏" title="農樹通信013" width="300" height="225" class="alignleft size-medium wp-image-383" /></a>自分に褒美を与える理由は他にもあるのだ。<br />
 忘れもしない、昨年4月1日、足首を骨折してしまい、今でこそ明かせる、あの時は、絶体絶命のピンチに立たされた。立ち止まるわけにいかない自分に、今でき得るベストを尽くそう…と、言い聞かせながら、種蒔き、手術、また種蒔き…、ギプスを着けたままトラクターで代掻き、そして、田植え。<br />
 夏は、リハビリを兼ねた草刈り。稲刈りは長雨で田んぼの土がゆるんで泥まみれ。思い出すのもおぞましい昨シーズン。<br />
 しかし、体が満足に動かせないと頭は良く働き、物事をよく考えることができるものだ。一昨年は1町歩、昨年は2町歩と、尻上りに田んぼが増えていく中で、作業体系や施肥体系、その他抱えていた経営上のジレンマや不安を洗いだし、考え、再構築してみる。結論が出なくても、ヒントが生まれ、それらを、今シーズンは片っ端から実行してみた。そうすると、今年はうまく作業が流れていき、余力がうまれるから、好転スパイラルは上へ上へと登って行く。余力が好結果を生み、いつにもまして、田んぼは輝いて、進化しているという実感がある。日照りも、叩きつける夕立も、どこ吹く風よとばかりに稲も私もここに立っている。神様は試練を乗り越えられる者にこそ試練を与えられるのだ！と夕陽を背に興に入り、今宵また自分に褒美を与える理由はここにある。</p>
<h2 style="clear: both">ピンチの裏側</h2>
<p><a href="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2007/08/013-2007-003.jpg" rel="lightbox[21]"><img src="http://nohju.jp/wordpress/wp-content/uploads/2007/08/013-2007-003-300x228.jpg" alt="農樹通信　高校野球で佐賀北高優勝" title="農樹通信　高校野球で佐賀北高優勝" width="300" height="228" class="alignleft size-medium wp-image-445" /></a>夏の甲子園で佐賀県の公立・佐賀北高が優勝した。佐賀の公立高校が全国制覇したのだ。佐賀なのだ、公立校なのだ。たまらなく、心熱くなり、目元熱くなりながら、<br />
 「よかったのぉ」<br />
 「ほんと、よう頑張ったのぉ」<br />
 と、連日、朝、昼、晩ごとにテレビに映る佐賀北高の彼らを祝福していた。そしてその都度、我が家にいる高校球児の今と重ね合わせながらテレビに見入ってしまうと、目から涙が溢れる。知らぬ間に、妻が横にいることに気づいた時は、即座に頭を上に向け、<br />
 「よかった、よかった」<br />
 と、立ちあがって、顔を拭き拭きその場を去る、といった数日間のある日…。ひとり昼飯を食べていると、テレビで、「佐賀北」をやっていた。<br />
 「おう、やっとる、やっとる（むしゃ、むしゃ）」<br />
 キャスターが、<br />
 「…、…、…。佐賀北高・野球部の部室の前には、『ピンチの裏側』という詩が掲げてあるんです。…、…、…。ご紹介します。」<br />
 と、…。私は飯を、むしゃ、むしゃしながら見ていると…、その『ピンチの裏側』とやらという詩を読み始めた。</p>
<p>
<strong> 神様は決して<br />
 ピンチだけをお与えにならない<br />
 ピンチの裏側に必ず<br />
 ピンチと同じ大きさのチャンスを用意して下さっている<br />
 愚痴をこぼしたりヤケを起すと<br />
 チャンスを見つける目が曇り<br />
 ピンチを切り抜けるエネルギーさえ失せてしまう<br />
 ピンチはチャンス<br />
 どっしりかまえて<br />
 ピンチの裏側に用意されている<br />
 チャンスを見つけよう<br />
 </strong></p>
<p>「…うっ、うっ」<br />
 また涙がこぼれきた。さあて、そろそろ、13回目の稲刈りだ！</p>
<p><strong>No rain, no rainbow.<br />
 Hope shines eternal.</strong></p>
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