作り手
■中津隈 一樹 (’90年生まれ、神奈川県横浜市出身)農樹二代目・株式会社 農樹 代表取締役
学生時代は野球に没頭するも、大きな故障をした経験からスポーツトレーナーを目指し、医療系大学に入学。そして2011年3月、東日本大震災。多くの方が危機に瀕した時、農樹の米が救援物資となり、それを自ら輸送する中で感じた農業の尊さ。同時に気付いた、ゼロから農樹を必死に築き上げてきた両親の信念。「農樹を発展させ、次の世代に繋いでいくのが自分の使命だ」と、衝動的に大学へ退学届を提出。2011年4月より農樹の道を歩み始め、現在に至る。
2014年、農樹法人化にあたり、「株式会社 農樹」の代表取締役に就任。
人間が生きるに必要不可欠な食、その根幹を支える農業が衰退していく現代で、農樹が優れた農業経営体のモデルケースとなり、若者が次々と農業を志す社会へ。その輪は広がり続け、誰も飢える事のない世界がそこにある。
夢に向かって進み続けます!
■中津隈 俊久 (’64年生まれ、福岡県北九州市出身)株式会社 農樹 代表取締役の父 (通称・クマさん)
夢やロマンこそ男の一義とする土地柄で、玄海灘を遊び場にしながら育ったせいか、その目は大陸に…。俺が砂漠を緑に変えちゃるたい!と鳥取大学で農業土木を専攻。在学中1年間休学し、陸路シルクロード制覇・放浪の旅へ出る。
復学後、卒論をまとめると、東京の土木・建設コンサルタント会社に就職。開発途上国の農業・農村地域開発の仕事に携わるうち、日本農業への「想い」が高まり、1年がかりで妻を説得、’95年、30歳にして退社。
無謀にも、基盤は「ゼロ」のまま農業を始めてしまって、味わった生活苦。ふーら、ふらになりながら経営基盤の整備、充実を図り今日に至る。ああ、波瀾の人生、これ楽しからずや。妻は大変…、ありがとう。
夢半ば、農民パラダイス計画の実現に山野跋渉の日々。
幼い頃から動物に興味があり、高校卒業の時に競走馬の牧場へ就職しようとするも親から猛反発をくらう。
測量の勉強をするため学校に通うも一年後、やはり気持ちは抑えきれず親には『北海道行ってくるわ』と自由の身へ。約十年勤めた後、新しい事始めるなら『今』と親戚の紹介で『農樹』中津隈親子と出会い農業への熱い想いに衝撃を受ける。
『俺は農家でバリバリやってます』と胸はって言えるよう今まで世話になった人達、これから世話になる人達へ感謝の気持ちを忘れず必死に頑張ります!
馬鹿にされようが夢はどんな形でもいい米作りと大好きな馬とのコラボ!