土造りから稲づくりまで、丹波のお米なら農樹

農業生産法人 株式会社 農樹

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神とクマ

近頃お取引先からある依頼があったことをきっかけに、神様のことを学んだ。
「なかつくまが神様だとよ。」
と言うこと無かれ、こう見えても毎年新米を市内の神社と伊勢神宮に奉納しているのだ。新米を奉納している神社の宮司さんのお力頂戴し、学んだ内容をご紹介。

現・伊勢神宮の歴史は、第10代崇神(すじん)天皇まで宮中でお祀りしていた天照大御神(あまてらすおおみかみ)の遷座(平成26年から数えて2,072年前)がはじまりで、皇大神社(通称、元伊勢内宮・福知山市大江町)・内宮の後20数か所を経て現在の三重県伊勢市に至っているとのこと。
また皇大神社・外宮に祀られる豊受大御神(とようけのおおみかみ)は天照大御神へ食事を供進する神であり、天照大御神が丹波国(たんばのくに)を離れ遷宮を重ねた後、伊勢の現在の地に鎮座してからも約480年間、丹波に鎮まり続けていること。
伊勢の天照大御神に呼ばれて現在の伊勢神宮・外宮に遷座した豊受大御神は、もともと丹波国の神であったと言えるようだ。
豊受大御神はお米の生産を司る神であり、ここに鎮まる頃、このあたりは「田庭(たにわ)」と呼ばれ、後に“たにわ”が“たんば”に変化したのだとか。豊かな恵みをもたらすことを意味する「田」そして、住みよく穏やかなところを意味する「庭」が現在の「丹波」の語源。今でいう丹後も丹波に含まれていたそうだ。これらから察すると、日本における米作り発祥の歴史に極めて近い地域なのだと言えるのではなかろうか。

ざっと以上のようなことで、俺はありがたい土地で米作りをしているものだ。九州生まれで農業とは無縁、米のうまさを知らずに育ち、農学部に入り、妻と知り合い、農業開発の仕事に就いて、辞めて、妻の故郷で米を作っているわけで、自分勝手に運命的な物語を思い浮かべてみる。そう、
「導かれたんだ」
と思ってしまえば一層ありがたい。

田植えを始めました

周到な準備を重ね、本日4月25日田植え開始。
「冬は何をしてるの?」
稲作農家=冬は暇とばかり、同じ質問をかれこれ概ね20年何度受けたことか。
「ばーろー、これを見てさらせ。」

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とーしろ~さん達にわかるわけないから説明しなかっただけのこと。新米販売の予定に合わせて苗をつくる。数千枚の苗を田植え予定に寸分違わず合わせるために周到な準備をしているんだな、これが。とーしろ~さん達は牧歌的な田植えの風景を思い浮かべてくれるも良し、てーペーペー、だっけ?そんなどっちでも良いこと談義に花でも咲かせておくんなせー。

予測と準備を怠らないこと、予測できる能力を持てることが大事、それがプロフェッショナル。

世の中がややこしい。すました顔して議論や論議で飯食う奴らがこざかしい。

プロフェッショナルの楽しさ、おすそ分けしてしてあげようか、。

伝えるぞ

田植え終了までと戦闘モードに切り替え、無休で走り続けること45日。
いかん、足にきている…疲労が両足に乗っかっている。
踏み出す一歩がいつもの一歩でなく、自分の足でないような感覚。
稲作20年生、人間50年生、老いを感じるこの春。
これから毎年、こんな現象に遭遇していくのだろう。
まあ、身体の衰えも笑いのネタにしてしまうとするか。

これからは培った知恵の数々を1年1回伝承する人生さ。

愛する、

この男に…

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俺が代表やぞ

春真っ盛り、阿吽の呼吸で駆け回るなかつくま親子。朝6時、朝飯食いながら仕事の打ち合わせ。
先日、7時に田んぼに向かうトラックの中で、あそこと、あそこと…、今日から入る4枚の田んぼだけは深みがあるから他の田んぼとは工程を変えよう。荒起こ しは丁寧にしておこうなどと再確認。前日、トラクターに乗る前に育苗ビニールハウスの換気を頼んでいたのに忘れてしまって荒起こしを進めていたことを反省 していたはずの息子が、
「うん、うん。その4枚間違ってしまったらどうしよ?!」
とおちょけて冗談飛ばしたところへ、間髪入れずに
「頸にしてやるわっ!」
と叫ぶと、ひっくり返った裏声で、
「う、そー~」
ですと。こんな時こいつがカ・ワ・ユ・クて、抱きしめたくなる。俺の横でさらに茶目っ気たっぷり呟く息子がまたカ・ワ・ユ・イ。
「俺が代表やぞ。」
近々㈱農樹に移行する時、代表取締役社長は息子・一樹が就く。創設者である私目は平社員、そう、私目は”社長”呼ばれることなく生涯を終える脱サラ農家な わけで、それを是として誠にカッコいいと悦に入っている。そこのところが、今やアイコンタクトで日々を送る息子と俺の決め事、進む道。だからこそ腹の底か ら笑えるこの場面、お互いを演じて笑いきる。わーー、ひっー、はっーとね。
今週月曜日にあやべ市民新聞の取材を受けた記事がこれ。記事掲載の前日、新聞社から確認の電話があり、
「農樹は法人ですか?代表者はどなたになりますか?」
法人移行していることと、その節は一樹が代表者になるから今回の記事も一樹代表で、という電話のやり取りを横で聞いていた息子がニタニタして、
「俺が代表って新聞に載るんか。」

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詳しくはここをクリック

そう言っていたのに記事では”中津隈俊久代表”となっていて、息子呟く、、、
「俺が代表やぞ…」

弊社の記事が綾部新聞に掲載されました

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