2006年 秋
厄はいつ落ちる
9月になると稲刈りだ。この夏は、春に骨折してしまった右足に、「しっかりせんか!」とはっぱをかけつつ、リハビリを兼ね、歩きに歩いて、生育管理に精を出した。おかげで、稲は上々のでき映えだ。コンバインも乾燥機も籾摺り機も充分整備してある。こう来ると、どんなに良いお米が穫れるやろかと、気分も弾む。
期待に胸膨らませて、意気込んで、刈り取り開始。まずは、一番刈り終了。籾を乾燥機へ放り込んで、翌日には、乾燥終了だ。それをタンクへ移し替える。これを籾摺りしてしまえば、今年の米のお姿拝見となるのだが、そのお楽しみは先送りにして、二番刈りへいざ出陣。
数日後、いよいよ、籾タンクに放り込んであった、一番刈りの籾摺りをしてみる。「プリプリの米、おー、きれい。」
春に受けた、厄年のハプニング・右足骨折、苦難、異常気象も見事に乗り越え、どうだ、男・中津隈ここにありーっ、と叫びたくなるプリップリの玄米が出てくる出てくる。18年産米のキャッチフレーズは、
「本厄なにするものぞ」、ってのも、良かろうか?
「七難八苦乗り越えて」、もなかなかいいぞ、なぞとほくそえんでると、30キロ毎袋詰めして、積み上げていく米袋が何と軽いことか。
「そーれほいほい。」
「これが5ヶ月前に、くるぶしを骨折した男の成せる技か?」
「俺は鉄人やろか?」
「んんっ、足に金属打ち込んでましたね。」
「なーんのことなかー、ほいほい。」
「それにしても、よか米ねー。」
と、自画自賛。
だが、それから間もなく、秋雨前線が活発になり、雨が続いた。8月に僅かの降雨しか無く、晴天続きだったから、嫌な予感はしていたが、それが当たった。土砂降りの雨が丸3日降り続いて、倒れかけていく稲に、容赦なく、また雨。そして、さらに雨。いよいよ、雨がやむ間を見計らって、稲刈りするといったあり様になってしまった。
長雨の合間の稲刈りは、人にも機械にも辛いものだ。コンバインのあちこちで、稲や泥がつまって、それを取り除くときの情けなさといったらない。好天なら屁でもない稲刈りが、辛い仕事の波になって押し寄せる。くたくたになって、その日の仕事を終えても、作業進捗は知れたものだ。お天道様に、恨み節は聞き入れてもらえず、気持ちは焦るばかり。
コンバインもまた、稲を刈り取るバリカンに似た刃の切れ味が悪くなるばかりか、爺さんの入れ歯のように、ぶかぶかなってしまうあり様だ。注油を怠ることはないが、これほど泥を噛まされたら、ガタツクの必至。その刃に駆動を伝えるクランクもいかれてしまって、双方交換したら、はい20万円…、だとさ。
こちらがギブアップする寸前に、お天道様の気まぐれは持ちなおし、ダウン寸前にコシヒカリを刈り終えた。そうすると、この秋の疲労のみならず、おそらく春のトラブルから始まる疲れの蓄積が、マグマのように溢れ出てきた。肩や足腰が張り、夕方になると力が抜け、頭はぼんやりして、記憶力が極端に低下している自分に気付く。
近頃、身の回りのものまで、私と仲良く、がたつき始めた。手始めにアイロンが壊れ、かなりの年代物だったので仕方なかろうと、かみさんと電気屋に行くと、今時のアイロンはコードレスになっていて驚いた。それから2、3日後、かみさんが、
「今度は、洗濯機が壊れた。」
と、言うので、何か引っかかっているだけだろうと分解してみた。異物なんか何も無いのに、駆動シャフトが回っていない。
「買い替えるしかないか。」
配送料と据えつけ費用を節約したので、結局丸1日、我が身を洗濯機に捧げてしまうはめに。
まだ続く…。ファクスが壊れていることがわかって、泣く泣く電気屋へ向かうべく、支度をしいてると、
「くまさん、電子レンジも壊れた。」
と、妻の声。何もかもが、がたがたぴっちゃん、あー、厄はいつ落ちる。
電話機もパソコンも、怪しい動きをしていることを、俺は知っている。