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農樹通信

2006年 冬

仰木彬先輩

母校の先輩、オリックスの前監督・仰木彬さんが亡くなった。’05年のシーズン中、一度も神戸の球場に足を運ばなかったことが悔やまれる。前回監督を務められていたころは、イチロー対松坂の対決を見たがる息子を連れて、何度も神戸に通った。神戸の球場はドーム球場ではなく、美しい天然芝だ。その上を颯爽と3塁コーチャーズボックスに向かう、当時の背番号72が今も目に焼き付いている。そのシャキッと伸びた背中に「いっちょやったるぞ。」という静かな気迫を感じ、「せんぱーい、俺もやっちゃるばい。」と、駆け出し農民の私は呟いたものだ。
仰木さんの七変化ともいえるオーダーの組み方や、人をあっと言わせる采配ぶりを誰が名付けたか「仰木マジック」と呼ぶ。だが、私は、もうひとつのマジックがあると思うのだ。仰木さんが選手を管理したり、理論の詰め込みをしないのに、そのもとで育つ選手が次々と大成していったことこそ、マジックではないだろうかと思うのだ。
近鉄時代の野茂選手と仰木さんの会話。
「自分のフォームで長い間やってきましたから、それでやらせてください」
と、言う野茂選手に、
「まあ、いいだろう」
と。ついでに、
「調整には自信がありますから、好きにやらせてください」
と、言う野茂選手に、笑って、
「まあ、いいだろう」
と、仰木さん。しかし目だけは笑わず、
「結果を出してくれれば何も言わないよ」
と、ポツリと言ったそうだ。
また、オリックスの監督に最初に就任した時のこと…。その頑固さから、前任の監督に干されていた若きイチロー選手のことを、基本形とは違うが良いタイミングで打っている。面白いのではないかな、と思うようになり、また、妙な媚を売らず、マスコミの変な質問には、
「その意味はわかりません」
と、答えている姿に、
「こりゃ、おもしろい」
と、思ったそうだ。頑固で、それまで培ってきたものにプロとして、男としての思い入れがある。そんなヤツに、
「決して押しつけるなよ」
と、だけコーチに告げて、
「男は腕白ぐらいが、ちょうどいい」
と、ばかりに、
「よかよか」
と、九州弁を連発したそうだ。
農樹通信 福岡県立東筑高校いつも心が熱く、これぞと思ったことは徹底してやる。遊びもまたしかり。苦難にあっても、「どうも無かー!任しとかんねっ」と腕まくりしたがるのが九州男児。多くを語ろうとせず、その行動で自分の意思をを示すことが男の粋。無愛想で、誤解を招くこともあるが、噛み砕けば、無類の優しさとひょうきんさを持っている。そうそう、俳優・高倉健さんも我が先輩。火野葦平の「花と龍」や五木寛之の「青春の門」などの舞台が我らの故郷、血が滾る土地柄たーい。
仰木さんは、野茂や吉井、イチローにも田口にも…、自分が信じる価値観、もう変えることのできない自分自身をさらけ出し、その男気を示し続けたのだと思う。そして、懐大きく「あいつはやれるはず」。また、優しくも厳しく「やれてこそ男、結果を出せてこそ男」と、黙して語らぬ男・仰木に選手は惚れ、なにくそっと奮起・大成していったのだと思うのだ。
おー、質実剛健、侠気果断(母校の校訓)。入れ替えようのない熱い血が流れる父のもとで育まれている稲よ、息子よ、大成するんだぞ。
’06年のシーズンは、仰木さんを偲んで神戸に通おうと思う。