2007年 冬
見えにくい
岐阜に暮らす稲作農家の彼としばらく会ってない。彼は、毎冬、奥さんの実家のある島原に一家で里帰りしているというから、私が13年ぶりに九州へ帰るのなら、いっそ島原で会おうということになった。ところが、私は九州人とはいえ、長崎県南部に足を運んだ事が無く、土地感が無い。
「山ちゃん、博多から島原に行くには何が良いの?」
「電車で乗り継ぐより、博多からバスに乗るか、熊本から有明海を高速艇で渡るってのが良いんじゃない。」
と、いった電話のやりとりの最中、こちらはJR時刻表の最前頁の路線図を開いて、「ふんふん、それで最寄駅はどこね?」
と、聞くと、
「電車なら島原鉄道・島原駅で、高速艇は島原外港に着くんだわ。」
「ん…、…。」
「諫早から延びてる線が島原鉄道だ。」
確かにJR諫早駅は解った。しかし、諫早から伸びる島原鉄道らしき水色の路線の上にある駅名が読み取れない。
「…、んー。」
電話の向こうで、からかい気味に彼が言う。
「くまさん見えないの?老眼じゃないの?」
と、言われると、私は即座に反発して、酒が入っているから眼が霞んでいるのだ、ということにしておいて、電話を切った。翌朝もう一度路線図を開くと、またもや見えない。もしかして?と、恐る恐るスローモーションで時刻表を持つ手を遠ざけると、見え始めた。近付けると見えない。また遠ざけると、やはり見えたので、私はしょげかえった。
「あーあ、ろーがんだ、ろーがん。」
自分に振りかかってみると、この単語の響きは、誠に厭らしい。この日本語を造った先人に抵抗したくなり、
「英語ならもっと別な言い方をするのでは?」
と、三省堂のポケット辞書をめくってみた。まずlongsightedness(遠視)とあるので、
「ほーら見ろ、英語なら老いると言うニュアンスは無いじゃない。日本人は酷な言葉を造るものだ」
と、思うや、すぐ次に何か書いてある。近付け過ぎていた辞書を遠ざけてやると見えてくる。
(老眼になる)をOne’s sight deteriorates with age.(老眼鏡)は spectacles for the aged.と、書いてあるーと、いうことは、英語もまた、歳のせいだと言っているのだ。
「やめた!馬鹿馬鹿しい。何をやってんのかね、俺も暇なもんだね。」
と、自己嫌悪。ポケット辞書を眼から離したり近付けたり…、見えにくい眼で「老眼」を調べる俺は愚の骨頂だ。
再会
北九州への帰郷は13年ぶり、高校時代の友人とは20年ぶりの再会だ。まずは亭主も嫁さんも同窓生の夫婦のもとへ。
「おーい、来たー。」
「変わらんね。」
と、嫁さんの方に言われて戸惑った。白髪が増えて腹が出っ張った俺を見て、
「変わらんねは無いやろう」
と、言えば、
「男子の変貌ぶりはすごかよ。なかつくまくんは変わらん男子の最右翼くらいにあたるばい。」
と、いうことらしい。この家の主・やつこそ全く変わらず、高校の時そのままだった。まずは、プシュっとビール、
「1本目は出してやるけど、次からはセルフばい。冷蔵庫開けて勝手に飲んでくれんね。」
と、気がねが無い。先着の同窓の女子とこの夫婦と私で…、乾杯。近況に昔話、誰かのうわさ話と、あっちこっちに会話は飛ぶ。もつ鍋の準備にかかりながら、またプシュ。そのうちグラスに氷が入り、焼酎オンザロック、カランカラーン。嬉しくて、話したくて、聞きたくて、酒がいくらでも体に入っていく。
「中津隈、今日はとびっきりの刺身ば食わしてやるけんね。」
と、大皿刺し盛りがどかん。
「ほら食え、食え。行きつけとう魚やん親父に、俺がいーとばっかり奥から出してこんねっち言うたらちゃーんと出てくるったい。」
と、言うだけあって、一品一品が特級品であること一目瞭然。
「これ食うた?これ食わんね。」
「うまい。」
「ほらあ、これ食うわんね。」
「うまかねー。」
するっと焼酎が入っては、目が潤む。高校時代、やつはサッカー部で私は剣道部。ともにクラブ活動は熱心だったが、成績は底辺をさまよう「できん」仲間、「悪さ」仲間の中でも、するっと心の中に入り込む優しさを持った男(やつ)。
我等が母校は、筑豊から洞海湾へ石炭を運搬する、その名も五平太船が行き交った堀川沿い、JR折尾駅付近にある。その街の背景から、労働者が多かったことや、駅周辺には大学、女子大、医大、普通高校に女子高とあり、学生も多かったからか、決して上等とは言えない飲食店が数多くあった。「できん」連中や、「悪さ」をしでかす連中は、夜に限らず町をふらふらしている酔っ払いをよそに、よくそういった店に出入りしていた。そんな店の中のひとつ、「はしもと」という名前を、
「覚えとうね?」
と、やつが言い出した。
「特ちゃんのね?」
特ちゃんとは、特製ちゃんぽんのことで、「はしもと」はとろみを効かせたちゃんぽんスープが特徴だった店。
「そうばい、特ちゃんのはしもとに、この前行ったったい。」
「へえー。」
「そしたらくさ、値上がりしとったったい。昔180円やったろうが、それが値上がりしとって200円になっとうたと…よっ。はははあ。」
「わはは、ひっー」
頑固でおおらかで、滑稽な故郷健在とばかり、そっくりかえって笑ってしまった。「20円値上げするんも、悩んで悩んでから上げたとやろーねー。」
語り明かして気がつけば朝6時。仮眠をとってから折尾駅に送ってもらった。「いっつでも帰って来い。いっつでも帰って来たらいーばい。」
…とかくさ、涙が出そうになるけん言わんでくれんね。帰るばい、九州ば忘れとったわけじゃなかもんね。ご無沙汰しとったのに、ありがとう、嬉しかったばい。「じゃあのお、またのお。」
島原での再会
友にJR折尾駅まで送ってもらい、電車で博多へ、そして島原行きのバスに乗り込む。3時間後には普賢岳が見えてきた。
「また変な出迎えしなきゃいいがなあ。」
人目を憚ることの無い、「ヤツ」には、再会そして別れの度、身が縮まる思いを味わされてきたから、出会う前には、心構えが必要なのだ。おそらく何か叫びながら抱きついてくるに違いない。
彼は警視庁を辞め、’95年から岐阜県八百津町で島原出身の奥さんと娘の3人で稲作を営んでいる。就農した年が同じなら、年齢も近く、家族構成、よそ者入植者で体育会系ときているものだから、気が合わない訳が無い。
間もなく島原駅前とのアナウンスに、そろそろ覚悟を決めると、交差点に向かうヤツの姿を発見。こちらが軽く右手を挙げると…、きたっきたー、大股を広げ、諸手を大きく振っている。バスを恐る恐る降りると、やれやれ。信号待ちの交差点の向うから、
「くまさーん、ようきたー。おーい、まっとったばーい。」
通行人が振りかえり、そして立ち止まる。間もなく青信号に変わったから救われたものの、この場面で信号が変るまで叫び続けるのがヤツの習性なのだ。この後大抵は所構わず、大柄な男同士の抱擁となるのが常だが、今回、私がそこそこ荷物を抱えていたおかげで免れた。
さて、今宵2人の宿へ向かう途中、バドワイザーを2、3本ひっかけただけで、前日の酔いが舞い戻りほろ酔い気分。いかん、これでは本日の一戦を乗り切れない。食事は、有明海を臨む風呂で、体内の残存アルコールを抜いてからにしよう。
風呂上り、彼の奥さんと共に3人、老舗旅館の料理に舌鼓を打ちはじめると、今宵も酒が、するする喉を通り抜け始めるから恐ろしい。愁うべき酒のみの性。互い身の上に共通点が多いので話しの呑み込みが早く余計な説明が要らない。会話はハイピッチなキャッチボールのごとく進むから、盃も進む。
「こうして島原で飲めるなんてね…。」
「農業をするだけで精一杯だったけれど、こんな余裕も、少しはできたってことだね。」
と、締めくくり、宿での酒宴は幕を閉じた。
島原の屋台
奥さんが実家へ引き上げると、酔いどれ2名はふらふら街へ繰り出した。さほど開いている店は無かったが、梯子酒をしなくてはおさまりがつかないので、まずは1軒目。店主が酔っ払って、何を話しているのか解らない鉄板焼きの店を経て、次は、駅前の屋台へとハシゴした。
相撲がめっぽう強いという屋台の主人は、にこやかで愛想が良く、その面白くて滑稽な話しが、こってり味付けされた九州弁で、テンポの良く出て来るものだから時の経過を忘れてしまう。
主人もまた、ぐびりとコップ酒をやりながら、3人でわいわいやっていると、60歳くらいの小柄な目つき怪しい酔っ払いが1人、彫りと皺が深い顔を暖簾の内にのぞかせ、だらりと腰掛けた。
「いらっしゃい、なにんされますか?」
と、主人が声をかけると、おっさんは、うなだれた頭をじわりと持ち上げて、
「…、…、さーけぇ」
「はいっ、冷やですか?燗ですか?」
「…、…、あつかーん」
おっさんの注文を聞くと、主人は酒を注いだチロリを、屋台の外のコンロにかけて、すぐまた談笑の輪に戻ってきた。図体も声もでかい男たちが、暫らくわいわい騒いでいると、今度は、隣りの屋台のおばちゃんから声がかかる。
「たぎっとるばぁい」
「ありゃあ」
主人は慌ててチロリを取り上げ、たぎった酒をコップに注ぐ。
「あつっ、あつかー」
と、言いながら、熱くて持っていられないコップを、もう一度持ち直し、反対の手に持った空のコップにジャーと移す。
「あつっ、あつっ」
右から左へジャー…、
「あつかーぁ」
左から右へジャー…。おいおい、沸いた酒を冷まし売る気か?主人は、何度かジャーを繰り返し、その様子を、黙って見ているおっさんの前に
「はい、熱燗」
と、悪びれることも無く出しちゃった…から、絶句した。どうなることか、この場面の行く末を恐る恐る見ている我々の隣で、おっさんが、ちびりとこの「熱燗」を口にした。
「あつかー」
と、コップを差し戻す。ほら、みたことか…。酒、注ぎなおせよと、内心思っていると、主人は、こともあろうに、
「あつかですか」
と、自分もおっさんの酒をすすってみる。そして、
「ほぉ、あつかね」
と、コップを両手にまたジャージャーして
「はいっ、これでどげんですか?」
と、おっさんに差し出すから、我々の眼も、口も開きっぱなしとなる。そして、おっさんが、再びそれを口にして、
「まーだあつかー」
と、返したところから、笑いが止まらなくなってきた。
今度は、主人が入念に、ジャーーー、ジャーーーして、おっさんに差し出す前に一口すすって温度を確かめる。そして、今度は自信ありげに、
「これでどげんですか」
と、胸を張って出した。さあ、この結末は、と息をのむ我々。おっさんは、コップを手に取り、ゆっくりと口に運んで、ちびり、
「…、…、これでよかー」
と、納得げにうなづく。
たまらんばい、笑いが止まらん、たまらんばい、九州はこれでよかー。
島原での別れ
楽しく騒げたおかげで、翌日はきつい二日酔いを免れた。島原城を散策して、奥さんの実家で、ちゃんぽんをご馳走になると、そろそろ博多行きのバスの時間が迫ってきた。
「普通に別れようよ…な、山ちゃん…」
と、願いつつバスに乗り込んだが、なかなか発車しない。ヤツが何かしでかす前に、一刻も早く発車して欲しい。しかし、願いは天に届くこと無く、バス前方から、
「おー、くまさん!」
と、大声がする。ヤツがバスに乗り込んで来た。運転席の横に立って、手を振っている。
「んー…」
私に手を振っている。
「くまさん、元気でな」
「わかったから降りろ」
「またなあ」
「いいから降りろ」
力無く叫ぶ私をよそに、大音声で「気をつけてなー、元気でなー」と言い放って降りて行った。たまらんばい、でもまあ、これでよかー。