TOP>2006年 春
2006年 春
故郷の友は…
私はかれこれ12年、ここ20年でたったの3回、故郷に続く関門橋を渡っていない。この冬、不思議に、私の素晴らしき高校時代を思い出し、家族に話して聞かせていた…、そんな矢先、高校の剣道部の先輩・後輩から、突然電話が鳴った。故郷を離れてから波瀾づくめで、当時の剣道部の皆からは行方不明になっていた私を、1年後輩のT君が、インターネットを駆使して見つけ出してくれたことによるものだった。その後、方々にT君が私の所在を伝えてくれたおかげで、20年ぶりにやりとりできるようになった。まずは私から、皆々様へメールを送ってみた。
皆さん、長―かごと、ご無沙汰しましてすみまっしぇん。中津隈です。…略…、京都の綾部市で稲作農家になっとります。…略…、今年高校生になる息子の成長とともに、九州の懐かしき思い出が、食卓の話題に頻繁に上がるようになった今日この頃、まさに1月20日、T君から突然電話をいただきました。ありがとう、T君。インターネットで私の居所を調べてくれたそうで、本当にありがとうございました。Tとその日、一緒に博多で飲んでいたJさん、Rさんとも電話でお話しすることができ、感涙したたりました。
高校卒業後、私は……略……。
私の独り息子が15歳。只今、野球に夢中です。純粋でひたむきな少年と対峙するこの頃、タイムスリップできるなら、東筑高校時代をもう一度…、と思う頻度が多くなってきたなあ、と感じていた矢先の1月20日、Tからもらった電話は、まさにタイムスリップでした。その時、電話で話したT、Jさん、Rさん…、電話の向うで目に浮かんだあんたたちゃー、みーんな坊主頭ばい!
その後、Mことミセス・Hが電話をくれて…。それがくさー、Mの顔が電話の向うで思い浮かぶとよー。シワひとつなか色白の華奢な女子高しぇいのMの顔たいねー。あーーーー、うれしかーーーー。
もひとつ言わしてくれんね。Tとか、Jさんとか、Rさんとか、Mとかの話に出てくるあの人、この人…、これがまた、ぜーんぶ、ぱんぱん顔が浮かんで、涙が出てくるとです!涙の向うの顔がこれまた、坊主頭やったり、ブルマー姿やったりばっかりで…くさ、本当に嬉しかです。
思えば通じるものというのでしょうか?私にとっては、どこにいてもふっと目に浮かび、忘れ得なかった皆様。こうしてメールできることに感謝、感謝、感謝です。どうかいま一度、皆様もタイムスリップしていただき、中津隈を記憶に復活させてくださいませんでしょうか。
すると…、
Oさんから、
波瀾万丈のメールありがとうございます。 20年振りですか。 当方、……。
Mさんから、
ほんとにお久しぶりです。年末のJからの一本の電話で、ここまで盛り上がることになろうとは・・、
Jさんから、
Jです。計り知れない苦労があったようですが、持ち前の明るさ、学生時代から衰えることなく健在の様で、何よりです。1月20日の夜は、ほんとに会話できて感動してます。Tに感謝です。
Rさんから、
Rです。お米を作っているの?今、私は……、
ミセスHから、
ふるさとに対して食いつきたくなる気持ち、よくわかるよ。毎年帰省している私ですらそうなのに、隈ならなおさらだと思います。で、黒ちゃんのアドレスお知らせします。
等々、続々と返信。そして、私が返信、また返信。そして、同級の「黒ちゃん」に電話をしてみた。すると、なんと彼が、遥々綾部にやって来てくれたのだ。
その日は、朝からそわそわ、そして夕方駅へお出迎え。「おーー…。」もうたまらん。手を握ると顔が火照って、涙がこぼれかけた。我が家に着くなり、「懐かしかー、飲も、飲も。」「おー。」
飲んでは互いの近況を、飲んでは思い出を、あいつやこいつの近況を語って、笑って、美酒に酔いしれた。1泊・2日で、20年分語り尽くす事はできず、別れの時はすぐに来てしまった。
「九州、帰って来いよ…、次は九州で会おう。」
「おー、今年こそは帰るばい…。」
目が涙でいっぱいになった。
高校時代、私は彼の弁当を、しょっちゅう盗み食いして追い掛け回されたものだ。それでも、20年以上音信不通だった私のために、遠く訪ねてくれてありがたい。彼を見送ると、不覚にも長渕剛の「乾杯」を口ずさんでしまった。
♪ふるーさとのともーは、いまーでもきみーの、こころーのなかーにいまーすかー♪
涙が溢れる、もうとまらん、俺は幸せもんバイ。
翌日、息子が高校の合格通知を持って帰って来てくれた。
「お前も良い仲間に巡りあえ!」
さあ、春が来た。ディーゼル音高らかに、いざ出陣!