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農業生産法人 株式会社 農樹

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農樹通信

2007年 秋

稲刈りが終われば、村人から、
「落ち着いたやろ、暇になったやろ」
と、声をかけられるが、とんでもない。お米の注文に対応しつつ、来年に向けて草刈りやねき上げ(田圃と田圃の境に溝を掘る)、漏水箇所の補修に加えて余計な仕事、けもの避けの電気柵の電線回収が待っている。籾タンクに貯蔵している籾摺りや、袋詰した玄米を倉庫に積み上げる作業は雨降りの仕事。籾摺りが片付けば、ピストン輸送で籾殻をせっせとダンプに積み込み処分する。大方の農家と違って、その仕事のどれもがワンサイクルやツーサイクルで終えられる量ではないのだ。農業を始める時は、もう少し「スローテンポで生きていく」はずだった。これほど田圃を預かるはずではかった。ふうっと、大きくため息を吐いてしまうこともしばしば。ええい、働くばかりではつまらん、息抜きも大事、息抜きも…。

魚釣り

16年ぶりになるだろうか、近頃魚釣りをするようになった。決して高級とは言えない舞鶴湾での投げ釣りだが、自衛隊の艦船や行き交う船を眺めながら、当りが来るのを待つのは心地良いものだ。空は青く波はきらめき、潮の香り優しい舞鶴の海へ餌を付けて一投目を投じるのは朝八時半。2本目の竿も投じると、シュルシュルッとリールの糸がほどけてポチャン…、
「よおしっ、いいとこ行った。」
さあ、これからが早起きした人間様にも餌をいただける番となる。カパッとワンカップを開けてひと口ぐびっ、
「んー、うまい。」
チクワかじってまた一口。メザシを噛み噛み、ぐびっと、
「あー、たまらん、ういーっ。」
極楽、極楽…。そこは平日の午前9時、舞鶴の海。
「サラリーマンしょくーん、きょうもいちにち、げんきにはたらきたまえー」
と、叫びたくなる俺の心は歪んでいるのだろうか。
この釣りの友は75歳、私を我が子のように扱ってくれるおっさんだ。
「ここは30年来通うとるんじゃ。」
と、言うだけに、釣り場に向かう裏道から、魚と人の餌の調達場、竿を振り込むポイントに至るまで熟知している。思い出話しがまたおもしろい。
「10年、15年、もっと前じゃったろうか…、」
おっさんがとり付かれたように、毎日ここに通っていた時分、毎日一人で釣りに来る小学生がいた。そして、毎日のようにそれを咎めに来る母親に、おっさんはある時言ったそうだ。
「あんたあ、そう勉強じゃ、宿題じゃあて言わんときな。この子はワシが見るところなあ…、」
上手に餌の支度をし、仕掛けをこしらえ、竿を振る前の段取り、その後の振る舞いに目を見張るものがある。たかが魚釣りではあるけれど、自分の目的達成のために、いかにすれば限られた時間で、より多くの成果を得られるかを考え、行動する力がある。
「やる時はやる子じゃでよお…、とワシは見た。この子に限ってワシは言うちゃる。がみがみ言わんとなあ、子が思うように狂わせちゃりないや。」
と、のたまったらしい。そして後日、おっさんがかかった魚に竿を引きずられ不覚にも、海の中へと持って行かれ、悔やんでいたところ、翌日もまた、釣り場に来ると、何とその竿が置かれていたのだという。少年が、おっさんのためにひとりで船を漕いで回収したのだそうだ。
「あの子も大きゅうなっとるじゃろなあ。」
道路からひょいと降りたその釣り場は、行き交う人々との声のかけ合いもまた楽しい。散歩の足を止め声をかけてくる人、遠足の小学生達などなどある中で、
「釣れてますかあ」
と、若者が車を止めて声をかけてきた。太い声できりりとした顔立ちにハンチング帽、長身で男前の好青年が、ガードレールを乗り越え語りかける。
「んー、今ふたーつ上げたとこじゃ」
と、おっさんが返すと、
「竿も餌もいーやん。まだまだ上がるよ。」
「そうか、そうか。」
と、若者との会話が弾むうち、
「ところでおっちゃん、名前は…?」
「ん、あん時の坊主?」
と、二人の思い出のアルバムが蘇えり動き出す。

「おー、お前なんぼになった?」
「27。今トヨタで働いとるんよ」
「おおきくなったのお」
「おっちゃん、年とったなあ」
「足がしびれるようになってのお、もう百姓はやめじゃ」
「魚釣りができとったらええやん」

海を眺め、時におっさんの横顔を見ながら、良き思い出話を子守唄のように心地よく聞いていた私の心はさらに和み、やわらかな息をつく。

「お前が拾うてきて、置いといてくれたじゃろ。あの竿、覚えとるかあ?あれのお、引き上げたらのお、魚がまだひっついとったでよお」
「ほんまかあ…。おっ、ひいとる、おっちゃん、ほらっ」
「おっ、よし、よし」

おっさんの竿にかかった魚を取り上げたり、餌を付けたりと嬉々としている青年の姿のその先に、彼の車の窓から顔をのぞかせ、微笑み続ける女性がいる。妻なのか恋人か、1時間以上もほったらかしにされながら、老釣師と戯れる彼を笑って見ている。
「この彼にこの彼女あり」
と、また心地良く深い息をはいた。

その日の夜、妻と息子にこの物語を話し始めると、二人は微笑みながら話しに耳を傾け、聞き入った。物語が完結すると息子は、
「いいねえ」
と、遠くを見るような眼で、その光景を思い浮かべている様子。妻はときたら、
「その彼と彼女は夫婦やないね。付き合い始めてまだ1ヶ月以内というところやね。それくらいの熱々ほやほややなかったら、普通、1時間ほったらかされて黙って待っとらんわ」
だ、と…。
俺は「浪漫」が解る息子がいてくれて…、よー。この上なく嬉しいわ…、ふうー。