2007年 春
故郷にて
春になり、またもや故郷のことを思い出す。
島原から博多へ戻り、小倉方面に向かう電車に乗り込む。兄貴に電話をかけると、折尾駅の改札口で子供達が出迎えてくれるという。兄貴と13年ぶりに出会う私だから、小学生の子供達とは、当然初対面。写真でしか知らない2人と果たして落ち合えるのだろうかと、心細く改札へ向かった。まだ距離があって、暗く確認できないが、随分手前から、それらしき子供の影が動いている。駅員と何やら喋っているようだ。駅員と子供達のシルエットがあまりに馴れ親しげに映るものだから、我が血筋に違いあるまいと、確信をもって近付いた。すると、どうだ、『俊久君』と書いたプラカードを持っている。
「京都のおじちゃんばい」
と、呼びかけると、
「こっちばい、おとうさん待っとるけん、としひさくん」
と、返してくるじゃないか。こりゃやられた、俺は40過ぎたおっさんばい…。
充分物心ついてから私が生まれた9歳年上の兄貴にとって、弟はいつまでも、「チビ」なのだ。おかげで2人の小学生から、1泊2日がかりで「としひさくん」と呼ばれ続けてしまった…、まあ、これでよかー。
兄貴一家の新居に着くと、宝ジェンヌばりの美貌の兄嫁さんに出迎えてもらい、早速両親の仏壇に手を合わせた。
「ご無沙汰をしていました、御免。」
と、手を合わせる僅かな時間の中で、両親と兄の4人で過ごした頃の、何気ない日常が次々と、鮮やかに頭を過ぎっていった。
九州から帰ってからの冬のある日、息子がミスチル(ミスター・チルドレン)の1曲を聴かせてくれた。それは、あるアルバムに収録された中の『あんまり覚えてないや』という1曲だ…。その曲は、それまでの願いや、素晴らしいひらめきが形となって現れたり、手に入れることができた時のことは、以外と鮮やかなものではないものだ…。それを
『あんまり覚えてないや』
と、歌いながら、貴重な出来事こそ、克明に覚えているに違いないはずなのに、『あんまり覚えてないや』
そして、
『もったいない〜♪』
と。そして、その後にこう続いていった。スローテンポで…、
じいちゃんなったお父さん
ばあちゃんになったお母さん
歩くスピードはトボトボと
だけど覚えてるんだ 若かった日の二人を
あぁ きっと忘れない
キャッチボールをしたり 海で泳いだり
アルバムにだって貼り付けてあるんだもの
ちゃんと覚えてるんだ ちゃんと覚えてるんだ
ちゃんと覚えてるんだ こんなに
ドライブに出かけたり お小遣いをくれたり
たまに口喧嘩したり すぐに仲直りしたり
ちゃんと覚えてるんだ ちゃんと覚えてるんだ
ちゃんと覚えてるんだ こんなに
話しは前後するが、兄貴一家と過ごした翌朝、久方ぶりの里帰りの目的のひとつである、母校剣道部の初稽古に顔を出した。道場に入るや、私達に、よく稽古をつけてくれていていた、当時は大学生のFさんが、
「なかつくまっ、おおー」
と、駆け寄って、矢継ぎ早に話しかけてくれた。
今も地元に残り、母校を見守り続けるFさん曰く、この20数年間の中に、忘れられない試合があるのだと言う。それが、私が高校3年の時の、全国玉竜旗剣道大会での、大会3日目・ベスト64進出をかけた試合なのだと言う。高校剣士にとって、高校球児に置き換えるなら、甲子園出場にも匹敵するその一戦を、もちろん私も忘れられない。
もつれにもつれた試合の最後、大将戦で私が勝ち、ベスト64進出を果たすことができたのだが、F先輩が忘れられないと言ってのは、それがただ単に、劇的だったという単純な理由からではないことを私は察している。
かつては、玉竜旗大会を制した母校剣道部。F先輩の現役の時は、ベスト8まで駆けあがっている。しかし、それを境に、極端な低迷期を迎えていたところに、私達が入部して、OB会は色めいた。
「今年の新入生なら…、」
全国制覇も望めるというのだ。そんな声を耳にしながら、同期生みな稽古に励んだが、個性溢れる有望株が1人、他校の多勢対1人の喧嘩で失神。それが原因で休学、そして、退部。また1人は、女に走って離脱。ついでに、どうでもいいような連中が、喫煙やその他の理由で離脱してしまうと、同級生は、「やっちん」と、昨年遥々、私を綾部まで訪ねてきてくれた、「黒チャン」の3人になってしまったのだ。
やっちんは、膝の故障を抱え、涙ながらに稽古を重ねる。黒チャンは全くの初心者ながら、高校に入って剣道を始め、努力に、努力の無口な男。私はと言えば、新チームの主将になると、間もなく母親が逝ってしまい、満身創痍の3年最後の大会だった。2年生2人を加えた我がチームの、あの試合で私が克明に覚えていること…。それは、自分の一戦では無い。
試合の流れが、相手に傾きかけた時に登場した黒チャンが、粘って、粘って引き分けに持ち込んだ。あの黒チャンが…と、控える私に奮起の心を与えてくれたことが1つ。そして、大将戦に勝利した直後、両チーム整列して挨拶を交わす前に、竹刀を控えの席に置きに行かなくてはならないのに、私の膝がガクガクと笑っている…。そこへ、竹刀を俺に渡せとばかりに、駆けよって来てくれたやっちんの姿…、それこそが忘れられない。その他のことは、『あんまり覚えてないや』。
初稽古の後はOB会の会場に移る。受け付けに近付くと、今度は、OB会の会長を務めるTさんが、
「なかつくまかーっ、おおー」
と、堅く握手してくれ、その後約10時間飲んだ。
Tさんにも、しこたま稽古をつけていただいたものだ。
「なかつくま、よう帰って来た。お前の剣には力があった、力のある剣やった。よう、覚えとるたい。」
と、手を握りあう度、目がかっかと熱くなるじゃないか。
「覚えられとるばい、俺は…」
幸せものだ。
「覚えていること、覚えられてること…、決して忘れられないこと…、それには育みがあるよなあ。」
ミスチルは、育みあう幸せを、この歌で歌い上げているような気がしてきた。そして、最後の一節、
♪世界中を幸せに出来はしなくたって
このメロディーをもう一度繰り返す♪
俺が育みあった人々。いま一度思いおこして『このメロディーをもう一度』口ずさんでみようとするか、ね。