本日、晴天の

テーマ:農民/くま語録

2011/3/11、甚大な被害を受けた宮城県石巻市。そんな場所で開催された東北ジャム2013@石巻。90年代のロックシーンを席巻したHi- STANDARDが、活動休止を経て2011年に開催したAIR JAM。その流れを汲み、東北の地で地元の方々とボランティア、バンドマン達によって作られたフェスが東北ジャム2013@石巻。

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2011/3/11、俺が医療分野の学生だった頃。バイトを通じて農樹の魅力や改めて両親の凄さに触れたこと、或いは、この道で自分が目指すべき道や夢が 生まれたことが勿論、俺が大学中退して農樹の道を選択した理由。だけど迷い続けていた俺が、最後に決断するきっかけとなったのは東日本大震災でした。被災 地に救援物資を送り届ける、食料品パニックを起こした百貨店に米をピストン輸送する、避難所で餓死者が出た、その経験の中で「人間に一番必要なものは食べ 物」と気付き、それを根底から支える農業、農業を次世代に伝えていくべく、ゼロから両親が積み重ねてきた農樹の道を選んだのでした。

前日に石巻の街を歩き回り、廃墟となった家や瓦礫を見た。途中で腹減って石巻餃子の店に入ると、おばあちゃんに「水・揚・焼、全部食べな。女の子でも3皿 食べれるよ。お兄さんなんだから、メシも食べな。」と言われ食ったら死にそうになった。夕飯に牛タン食いに行って、「京都から来ました。」って言ったら 「わざわざありがとう。」って兄ちゃんがカルピスをサービスしてくれて腹タプタプになった。そんな温かい人達と出会う中でいつのまにか、被災地とか関係な く俺は石巻好きだなあ―って思ってた。

という訳で、東北ジャム2013@石巻!オーディエンスとして、支援物資を抱えて参加しました。支援物資は近日発売予定の「農樹餅」。俺は去年、全く笑え ない年越しを過ごした訳なので、大切な人を亡くしたり今でも辛い気持ちを抱える人が、年越しぐらい「美味いな」って一瞬でも幸せな気持ちになれる様に、と いう想いを込めて選びました。渡した先はボランティア団体「team K」さん。震災で友人を亡くされた代表が立ち上げ、遺体捜索、瓦礫撤去、公園作り、支援物資調達、音楽イベント等でのブース出展、と様々な活動をされてま す。代表と名刺交換も長話もさせて頂き、継続的な活動を約束しました。「絶対喜んでくれますよ!」と、皆さんの笑顔が嬉しかったなあ!

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東北ジャムの会場は上の写真のone park。津波で外壁はボロボロ、中に入れば6~7mの位置に水の跡が残る。この場所に音楽好きが集まって音が鳴って、みんな笑顔ってすげえなああ -!!って思った。出会ったスタッフや友達は本当に温かくて最高。ブースや屋台を巡れば、厨房で普通にバンドマンが手伝ってる。本当にピースフルな素晴ら しい空間だった。いや、どんだけ書いてもあの場の空気は伝える自信無いや。そんだけ最高だった:-)

ライブで暴れ、走り回り、踊って唄い、ダイブして人の上に乗ったり地面に落ちて下敷きになったり…って最中に一旦会場を抜け出して語り部のおっちゃんと改 めて街を見て回った。「写真も撮ってください、私の話を帰って伝えてください。」というおっちゃんの言葉を受けて、この場に書かせて頂こうと思います。

小学校教師である語り部のおっちゃん。2011/3/11当日は卒業式だった。式が午前中に終わり、仲間と麻雀をして遊んでいる最中、強い揺れが襲ってき た。慌てて、自分と奥さんの両親を自分の家に連れて帰る。家の前で足元に水が来てることに気付いた。津波。初めは「これが津波か。」って好奇心だった。そ の時、奥さんが「早く2階に上がりなさい!」と怒鳴った。意味も分からず2階に上がると、もう2階ギリギリまで水が押し寄せていた。雪が降りしきり、停電 で凍えて夜が迫りくる中、声を聞いた。「助けてください!」子供の声だった。300m程離れた家の屋根に子供がいた。「待ってなさい!」少し勢いを弱め、 膝下ほどの水位になった津波の上流に向かって、一歩踏み違えれば死が待ってる恐怖と戦いながら、子供の待つ家に辿り着いた。子供は三人いた。一人を肩車、 二人を両脇に抱え、自分の家を目指した。その途中、声を聞いた。「助けてください。身動きが取れないんです。」女の人だった。子供を三人抱えて、低体温に なっていたおっちゃんは言った。「ごめんなさい。」翌日、その場所から遺体が発見された。後悔と申し訳無さで、一年間その場所を通れなかったおっちゃん は、意を決して旦那さんに会いに行き、ご焼香を頼んだ。その旦那さんが言った。「妻の最期を聞けて良かった。辛かったのに来てくれてありがとう。妻は晩酌 が好きだったから、あなたが毎晩ビールを一本増やして妻の分も晩酌してください。」

卒業式がもう少し伸びていれば下校した子供達が犠牲にならずに済んだのに、と悔やむおっちゃん。好きな女の子に告白して、「部活の最後の大会が終わったら 返事する。」と言われて、その返事を一生聞くことが出来ない少年。出来の良いお兄ちゃんがいてグレてた次男は、妹の為に自分が良いお兄ちゃんになろうと決 意した。息子を自宅の畳の下から発見し、自分の母親が自分の息子を守ろうと抱いたまま息絶えていたのを見たお父さん。いつも遊ぶ裏山に避難しようと提案し たのに先生に聞いてもらえず、命を落とした大川小学校の子供達。住宅街だった場所は空き地に、でもローンは残り、タテ割りの行政の中で金を剥ぎ取られる住 民の方々。「足手まといになりたくない。」と自ら命を絶ったおじいさん。「お墓に避難します。」と自ら命を絶ったおばあさん。小さい子供を守る為に食べ物 に神経質になってノイローゼになってしまったお母さん。語り部のおっちゃんから、少し話をしたBRAHMANのTOSHI-LOWさんから教えて頂きまし た。そして、「伝えろ」と。

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故に、BRAHMANのACT、本当に心の奥底から震えた。
「変わらない日常 変わらない世界 変わらない自分 本日、晴天の」
「当たり前に浮かんで 当たり前に消えてく」
「当たり前に 夜は明けて」

何かさ、ニュースで報道もされなくなって「もう何だかんだ復興したんじゃね?」って思ってる人もいるかもなんだけど、実際まだまだ。風化させてはならな い。無視は出来ない。「いつまでも被災地じゃない」って突き進むカッコいい人達がいる。もっともっと光を届けるべきだし、もっともっと光はあの場所から日 本中に差し込むだろうって思います。

2011/3/11が今の俺の人生を変えるきっかけ。そして暗い話だけど、やっぱ母親のことは切り離せない。母親の命日は元旦。それが俺が餅をあの場所に 届けた理由。白血病、治療で苦しんで感染症で死んだ母親。持っていく差入、食べさせて大丈夫かって本当に不安だった。死んだ時、自分が殺したんじゃない かって悩んだ。もうね、今はそんな湿っぽいこと言ってると、背後にいる母親に怒られるよなーって思うので言わないけど。今、不安な思いをしている守るべき 存在がいる方々に同じ思いはしてほしくない。

でも今は、それ以上に思う。俺は最高の街や人に触れ、一緒に頑張ろうって友達や仲間も出来て、すっげー楽しい遊び場があって、何よりあの街が人が大好きになった。だったら、そこで困ってる人や足りないものがあって、協力しない理由なんてねーじゃんって。

受け取りまくったものを胸に、金曜日オーストラリアへ!前回のブログで「俺はどこに行くでしょう?」ってやつの答えはオーストラリアっす。何度も紹介して る、東北への義捐金を集めるチャリティーウォークでオーストラリアを徒歩で横断中の現代の侍、そして俺の大親友、岩田ユーイチ君に農樹米で力を。そして少 しの間だけど、共に歩き、東北に光を。海外に今の日本を知ってもらって、絶対に風化させない様に。頑張って歩くぜーー!!

BEYOND WALK(http://beyondwalk.com/blog/)

因みにユーイチ君がチャリティーウォークを決意したのは、去年のAIR JAMがきっかけ。そして、俺が本気で共に歩もうと決意したのが、東北ジャム。何か繋がってんな。繋げてこうぜ!!

一樹

コバルトブルーの風の中

テーマ:農民/くま語録

 

京都→立川→浦和→日本橋→ソウル→大連→ハノイ→メダン→滋賀→横浜→京都→大阪→シーズンイン→府中→和歌山→仙川→立川→京都→相模原→北海道→収 穫シーズンイン→日本橋→浦和→シーズン終了→新潟→浦和→立川→相模原→日本橋→大阪→名古屋→京都→新潟と続いた今年の旅も一区切り。新潟最終日はマ イ誕生日だったので、新潟に駆け付けてくれた親父と美味い酒をガブ飲み→カラオケ行って二人でTHE BACK HORNのコバルトブルー(勝手に農樹の公式テーマソング認定)歌う→二人でマッサージ店(正統派の)に突入→調子付いた親父が一人でラーメン屋に突入 (不味かった模様)…という楽しい夜を過ごしました:-)

これっすね。コバルトブルー。

で、地元に戻り、工場で日々の精米や発送作業、事務所で新商品をあーでもないこーでもない打合せしたり、久々のフィールドワークに向けて機械整備したり… と仕事をしつつ。割と時間もあるので、20kmランニングして死にかけたり、夕方から飲みまくって夜9時に就寝したり、火鍋(中国の激辛鍋)食って胃腸壊 れかけたり、田舎の解放感にヤラれて道路のど真ん中に寝っ転がって車に轢かれかけたり、久々に友達と飲んで酔っ払って街の片隅で凍死しかけたり、昨日は大 好きなストレイテナーのライブ行ってむち打ちで青痣作って帰ってきたり…と、穏やかな日々を送っております!

さて。長い旅のことを書こうと思うけど、何だかすっげー色々あって書ききれないのでハイライト。

2月、トランジット含めてソウル→大連→ソウル→ハノイ→クアラルンプール→メダン→クアラルンプール→ハノイ→ソウル→日本を一週間程で周る強行日程。 訪れた先で農場や米の乾燥工場を見せてもらったり、会社を訪ねれば温かい現地の友人が出来たり、凄い方々と飲んだり、時間ある時に一人で散歩したりしたか な。

大連。

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訪れた農場のスケール感は凄かったなあ!

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廃墟となった漁港で見た夕焼け。

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豪雪で立ち往生する車が続出。みんなで押したのも思い出。

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この胡麻団子のデカさは笑った。一緒にいた現地の方がカタ言で「デカスギルヨ」と呟いて爆笑。

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ハノイ。

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この肉、犬です。衝撃。
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メダン。

ナシゴレンばっか食ってた。

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訪れた米の乾燥工場、社長の息子と。日本女性とヤクザが大好きな25歳でした(笑)

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日本では米の乾燥過程は大体機械。が、インドネシアでは人力。コンクリート一面に拡げた米の上をトンボ着けたバイクが爆走して均等に乾燥出来る様にする。…衝撃!

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出会った少年に「写真撮ってやるよ」って言ったら、わざわざ塀の上に乗った。

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ただこの旅では、大連で雪の降りしきる中、地面に頭こすりつけて小銭を貰うお婆さん。ハノイで、ガリガリの赤ん坊を抱くお母さん。メダンで、下肢が壊死し たお爺さんが泣きながら金をくれと言ってきたり。彼らとの出会いが、「飢えの無い世界を構築」という夢を生んだ。一歩一歩。

日本に話を移せば、何よりも超寒い春と超雨降らない夏。
特に夏の水不足の時に現場駆け回った結果、過去最高の収量&品質を達成出来たのは最高でしたな!

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出張ではまず、自分の産まれた横浜/上大岡で仕事出来た!

日本橋三越本店で過去最高の結果残せたのは誇りだし、「世界の未来の為に頑張って」「あなたに出会えてよかった」」という言葉が胸に残ってる。お金もらう立場で「頑張って」と言って頂ける職ってなかなか無いよなあ。感謝!

「日本一の米どころ」新潟で、「さすが勝負しに来ただけある」って言葉は自信になった!

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立川伊勢丹のエネルギッシュな現場に立つと、いつも背筋伸びる思いです。マネージャーの方が、「この子、一生懸命なんだよ」って俺を周りに紹介して下さったのには感激した!

府中は母親の様な存在の方と仕事することが多かったけど、会う度に「成長したね」って言ってくれて、自分を見つめる一つの指標だと思ってます。

相模原伊勢丹は今年初めてプロモーションさせて頂いたけど、ファンの方がついて下さった様で何より。それと相模原の二郎は美味い!

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浦和は何と言っても一番長いし、今では「カズキ」って呼んでもらえたり、ホームな気分。

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やっぱ育った関西、京都と大阪でファンの方が増えてることも嬉しい。

あるセミナーで出会った和歌山のラーメン屋オーナーは年近いけど、マジで尊敬する方。

今は埼玉に店を新しくオープンされた様で久々に会いに行きたいなあ!

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滋賀でバンドやってる友達の自主企画、すっげーライブ観せてくれて元気もらった!

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rapt.友達とか抜きにして良いバンドですわ!

北海道で親友と見た朝日は最高だった!親友とはこの前のブログで紹介した岩田ユーイチ君ね。
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アニキの様な存在の料理人(俺の奥の方)が大阪で自分の店を開いたんだけど、米は農樹使って頂いてます:-)

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この一年で多くの世界や人に出会い、悔しさも喜びも味わい、夢に向かう気持ちが強くなりました。ただ、その夢の方向性というか何というか、少し変化しまし て。簡単に言うと、これまでは「自分の夢を叶える」がゴールだったんだけども、今は「その夢を叶えることによって他に対し何が出来るか」を意識する様にな りました。目の前の人、村、社会、世界、地球に対して農樹はどの様に関わっていくか。一つ、sastainableな農業ってのがキーワードなんだけど、 今度また詳しく書きます。こう思える様になったのは、狭い世界で自分のことばっか考えてた俺が、出会いや周囲の人や世界に触れ、それに生かされてることに 気付いたからじゃないかな。

来週は石巻へ!

で、今月末には米の配達しやす!その為の準備で、Under Armer/Heat Gear、五本指ソックス、手袋、ウインドブレーカー、ランシュー、ハイドレーション、バックパック、網代笠、農樹前掛、サングラス、日焼け止め、ビザ、 パスポート…などなど揃えております。
さあ、俺はドコへ行くでしょうか??

答えは次回!(かも)

一樹

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プロフィール

くま語録

くま

京都北部・綾部市物部地区で米を育てつつ、「農樹」を育てる農民。通称:くま
中津隈俊久(なかつくま としひさ)
’64年生、福岡県北九州市出身。
自作自演プロジェクト「農民パラダイス計画」のリーダー。

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