もう10年以上前、田んぼを預かるペース急上昇するも、お米の販路が急には広がらない。生産量と販売量が同じペースで伸びるわけもなく、大阪などへ商談会に出かけて行くが、近畿圏のお米屋さんたちはほとんど立ち止まりも見向きもしない。汚いものでも見るかのように、
「きょ~とってよ~。」
と冷ややかな言葉を浴びせられ、
「産地で米の味は決まりません。隣の田んぼでも別物です。誰が作るかで違いがでるのです。」
などなど、口上述べる間に過ぎ去られる。全国的に京都米なんてその程度。アメリカ大リーグで言えば、マイナーの1Aあたりが京都米、京都米なんて売りの文句にほど遠い。
「い~まにみとれ~。」
京都で米を作って世間に出ても、京都であることがマイナスイメージにすらなる当時の業界、京都を’売り’になんてまったくできねー、ナンセンス。そもそもそんな気も薄かったから答えは簡単、’農樹’で売ること、ブランド化すること。はい、これ決定。
次の収穫までに売り切れるか冷や冷やの1年、そしてまた1年の繰り返しは苦痛だったけどね、石の上にも10年!
より露出が効く「場」が京都伊勢丹の棚にできた次には大阪。そして関東・浦和、立川、府中とへ続いて
そう、商標登録をとったわけ。誰にもまねをさせないのもひとつ。しかしそれは、直球勝負!一直線!で、やってきた我が家のプライド。多くを語らず生きます、みせます、’農樹’を高みへと。
2月20日、『農樹』がお江戸・日本橋に、いよいよお目見えするに至ったのだ。
どーよ、おぃっ!