畦草刈りの合間、
「うわーっ。」
と、大声を張り上げ、背伸びに、ストレッチをして、その場にへたり込む。草刈りの大切さは重々解っているものの、非生産的で辛いこの作業が好きな百姓がいるはずも無い。
「あっつー。くそーっ。」
「あーっ、しんどー。」
天高く大声でも張り上げて、命のベクトルを上に向けておかないと、お天道さんに照らし、熱せられ、勢い増す大地のエネルギーに、自分が融かされ、ここまま、土と化してしまいそう。決して大袈裟ではない、半端でない夏の草刈り。
もしもそんな私に、どこから来たのか、日傘を手にしたマダムが、
「青田広がる美しい日本の夏の到来、ね。」
なんて、呟こうものなら、乗りつけた乗用車をひっくり返してやろう。
「うわーっ。」
上を向いて、もういっぺん叫んでやる。あちこち、向こうの畑に、小さく見えるご老体。ゆっくり動いているようだが、どうせ聞こえてやしない。
ふと目の前に田んぼに目をやると、すぐそこの稲にトンボがとまっている。風に吹かれて、半球を描くほど稲が揺さぶられているのに、その先にじっととまっている。
「お前に聴覚は無いんだよなぁ。」
「うわーっ。」
青空のもと、大声出すと気分は爽快。
About 農樹
毎朝5時起床。米を研いで、炊飯器のスイッチを入れると、軽トラに乗り込むのが1日の始まり。そして2番目に入れるスイッチは、お役目授かる水利組合の、 水揚げポンプ。日によって、ここへ向かうまでに、方々の田んぼに寄り道しながらそこへ向かうこともあるが、今日は一番にそこへ。
上(かみ)、下(しも)あるポンプのうち、まずは上のポンプのスイッチをパチン。ウワーっと背伸びをして、軽トラに乗り込み、下で、パチン。今度は、「ふぁー、」と、あくびをしながら、軽トラをそろそろと…。
苗代や育苗ハウスがある、右手、道の下へ無意識に目線をやりながら、軽トラ進むこと、数秒。
「っん!」
ドッキン、そして、ハッとする。ほぼ無意識に右に向けていた目線の左側から、それも至近距離から声がする。
「おはよっ。」
と、聞こえたようで、
「っ、あっ。」
早朝5時半、左を向けば、助手席の窓から30センチのところに、おばちゃんの顔…。
「おはよっ。ははあーー。ひっひぃー。」
と、驚く私を笑いながら、差し出すその手には、魚が一本。
「昨日、息子が釣って来たで、食べてないか?」
ここで、ようやく目が覚めた…。
「…、えっ。あー、ありがとう。ツバス?いやハマチ…(35センチを境に呼び名が変わる)。これ、大きいね。」
「良かったら、食べてぇ。」
と、ニコニコしてるおばちゃんは、例のマサオさんの奥様、マチコさん。
「ありがとう。今晩いただくわー。」
相思相愛=是、豊かさ、也。
朝飯前のひと仕事、帰ってくると炊きたてご飯を味わい、そこから先が、農民・くまがおくる一日の、セカンド・ステージ。
夕方、野良から帰れば、
「くまさん、お魚さばいてくれるー?」
と、妻。魚をさばくのはいつも私の仕事。我が家では、かみさんがさばく魚は、イワシに限定。それ以外の魚は、全て私がさばくのは、彼女がそれを苦手とするからという理由もさることながら、「さばき」たい私がここにいるからだ。
その願望、自分のことだから、分析、解析は不要。一本の魚を前にして、出刃を右手に、
「お前をいただいてやる。」
と、にんまりする、くまがここにいる。
「おい、ハマチよ。上手にさばいてやったろうが!食らってやる!」
焼酎オン・ザ・ロック片手の夜の始まり、始まり。
About 農樹
笑いが落ち着くと、息子が、
「何ともいいよねぇ…、おっちゃんたち…。」
「…、…、くまさん、政治さんは、やっぱ、ミスチルの歌だ。」
と、言うのでピンと来た。
「花の匂い…か?」
「うん。」
私が貧乏学生時代、お世話になり、その後も深い親交があった方が、一昨年亡くなった時、しょぼくれ落ち込む親父に、これを聴けよと、息子が聴かせてくれた一曲が、ミスター・チルドレンの「花の匂い」。
彼が、今、この瞬間に何を言わんとしているのか、おおよそ理解できたので、今一度歌詞を確認してみた。
誰の命もまた誰かを輝かすための光
どんな悲劇に埋もれた場所にでも
しあわせの種は必ず植わってる
こぼれ落ちた涙が ちょうどいっぱいになったら
その種に水をまこう
曇った気持ちに晴れ間が差し込んできたので、早速、直輝ちゃんに、「政治さんのウォーキングコースを一緒に歩こう」と、メールを打った。
本日、16:30ウォーキング開始。
About 農樹
マサオさんの一件で大笑いしていると、息子が窓の外を差して、
「あっ、ツギオさん。ツギオさんがバイクで来た。」
と、言うので、外へ出て行くと、バイクにまたがるツギオさんが、我が家の奥の作業場の方へと進んで行く。
「ツギオさーん、どうしたん?」と、呼び止めれば、いつも飄々とした83歳か84歳になるそのおっちゃん、
「あー、やっと出会えたでよー。」
と、金を紙に添えて差し出す。金に添えられた紙は、この朝方6時30分、私がポストに投げ込んだ稲苗代金の請求書。投函から何と、1時間半後に支払いに来 てくれるとは、ツギオさんの性分。このおっさん、何事も先回りして、後回しにすることを嫌う性質で、常に先のことが気になるようだ。
毎年のことながら、ツギオさんは、4月に必ず3度、種まき作業の現場にやってくる。
「種まきしよってんかい?ちょこっと覗かせてくれよぉ。」
と、言うや否や、場内を徘徊し始める。
「おー、上手に播けるもんじゃなあ。」「苗は連休にできるかい?」「娘たちが帰ってきて植えてくれるんじゃ。」「5月の3日に取りに来たらできとるかい?」
毎年同じ事を呟き、うろうろするから、次に何を言うのか分かっている。次は、自分は年寄りだから、もう田んぼは作りたくもないけれど、娘たちが、連休には必ず田植えに帰るから、作れ、作れというもんで、また今年も作るのだ、と。そして、ほら来た、
「ここの米はうまい、うまいて言うてくれるもんじゃでな。」
と、本来米作りが大好きなおっさんなのだ。我が息子も、今年は、出入りするおっさんたちの、人となりが分かってきたとあって、このツギオさんがやって来ると、ニタニタしている。
「苗代払いに来たんじゃ。振り込みはじゃまくさいでな、金受け取ってくれ。釣りはよいでなぁ。」
と、言うので金額確かめると、千円のお釣り。
「ツギさん、あかん、あかん、お釣り受け取ってくれ。ほら千円。」
と、言っても聞く耳持たず。
「よいでぇ、釣りはいらん。お前がそれで一杯やっとくれ。頼むで、釣りは返さんといてくれ。それより、良い苗作ってもらって、こっちは喜んどんじゃ。頼むでよー、わしが生けっとる間、苗作っておくれよぉ。」
と、ほらね、おっさん、米作りが好きなのだ。
ツギオさんが置いていった千円を「お前にやる」と、息子に手渡しながら、その様子を話せば、また、
「わははー、ひーっ」
と、笑いが起きる。
「くまさん、ツギオさんね、何回か来てたよ。バイクが入っていったなあって見てたら、裏でぐるぐる回って出て行って…。くまさんが帰るまでに3回くらい、入って来ては、ぐるぐるして出て行った。」
「わははー、ひーっ」
「そうか、それでツギさん、さっき、やっと出会えたでよーって言ってたわけね。」
「わははー、ひーっ」
と、二人で大笑い。
To be continued
About 農樹
昨日の早朝、いつもより遅れて、私が係りをしている水利組合の揚水ポンプのスイッチを入れに行くと、その近くに住んでいるマサオさんがうろうろしていた。 いつもなら遅くとも6時までにそこへ行くのだが、この日に限って、この春、稲苗を販売した先々の家のポストへ、請求書を投げ込みながら向かったので、7時 頃そこへ到着。つまり、どうも、マサオさんは早朝1時間近く、私の到着を待っていたことになる。
常日頃、大変お世話になっているマサオさんは、我が息子評するところ、「癒される爺ちゃん」、なのだそうだ。さもあらん…。飾り気もへったくれも、全く あったもんじゃない。5月というのに肌寒かった、ついこの間まで、ドテラを羽織って、キャップをかぶり、足元は長靴といういでたちで、畑や近所を徘徊、こ てこての地の言葉でまくし立てる強気のおっさん、79歳。過の政治さんとも馬があっていたようで、これまた私と我が家族の、愛すべきおっさんが、マサオさ ん。
この朝は、私の姿を見つけるなり、
「おー、お前を待っとんたんじゃー。」
だと…。なぜかと聞けば、
「トラクターの使いようが、どうも、わからんのじゃ。」
と、いうではないか。近年、めっきり足腰が弱ったせいでリタイアしたとは言え、数年前までバリバリの専業農家だったおっさんが、農家のシンボルの使いようがわからん、とは…。思わず、
「ボケてきたわけじゃ無かろうなぁ」
と、つぶやいてしまいつつ、
「ここと、ここをこうして…。ここに気をつけたら、いいよ…。」
と、デモンストレーションしてみせると、
「おお、おお、そうじゃ、そうじゃのぉ、思い出したでよぉ。」
そして、
「くまさん、待っとれよ。お前がおるうちに、わし、運転するでのぉー、見とってくれーや。」
と、帰ろうとする私を制止する。バリバリー、と、ディーゼル音を響かせトラクターが動き始めると、喜々たる笑みを浮かべ、そのうち、久しぶりの感覚に陶酔の表情になるおっさん。しばらくして、見守っている私の姿が再度目に入るや、
「おお、お前、帰って良いでよぉ。おっきにー。」
です、と…。ああー、マサオさん。そして、もうひと言。
「ボケて来よるわけや無いでのぉー。物忘れがひどーなって来ただけやでよぉー。」
です、と…。ああー、マサオさん。
家に帰ると、午前8時。通学前の息子にことの顛末を話せば、
「それぞ、マサオさんって感じで、いいよねぇ。わはは、ひぃー。」
と、そっくり返って大笑い。
あーあ、愛すべき我が友よ。
To be continued