先日、園子温(そのしおん)監督作品、『ちゃんと伝える』というタイトルの映画を観た。正確に言えば、その映画のDVDを息子に借りて観た…。
ヤツをちょいとつつけば、打ち出の小槌のごとくお勧め映画が配給されるからありがたい。
その、『ちゃんと伝える』…。余命わずかな末期がんの父と、これまで十分に語り合うこともなかったが、残る限られた時間を父と向き合おうと決めたサラリー マンの息子の物語。皮肉にも息子までが父の主治医から余命宣告をされながら、それでも父との約束を果たそうとする息子…。身の周りで在りそうで無さそう な、無さそうで在りそうなオリジナルストーリー。
映画の場面、場面で、ついつい涙がこぼれ、20年前に死んだ親父と自分の当時を思い返せば、「思い」をちゃんと伝え合った記憶が乏しすぎることを恨めしく思う。親父が弱弱しくなっていったときの自分が、様々な意味であまりにも未熟で鈍感だった、と。
そして今、自分はもうすぐ二十歳になる息子の父親…。
親父になって父を思えば、世間になびかず、力に巻かれず、愚直にも自由であるを最良とする我が気質は親ゆずりなのだと思う。損得勘定抜きに感情走って馬鹿 をみても、たから笑って、その損な話をも自慢げに話すあたりは、「ちゃんと」伝えられてしまったようで、そして、無意識にそれを「ちゃんと」日々実践する 自分は、上手に世間を渡る術も学べる若者にとって、迷惑千万な親父かもしれない。
しかし、自分は…、
父親としての値打ちを高めて、息子から高い評価を得ようなどとする考えに及ばない不器用者。壁にぶつかって、強いはずの自分が実は弱くて、だからと言って 弱いだけの人間では無いということを、飾らず、そしてみっとも無さも、隠さず高らかに笑って語ろう…。親父というもの、完成されていては窮屈だ。発展途上 の男くらいでちょうどいい…、わっはっは。
誰に似たのか?無骨な平成男児と伝えあう、切磋琢磨の日々是好日、万歳。