お年玉

テーマ:農民/くま語録

正月3日。朝方事務室をのぞくと1通のファックス。それはJR京都伊勢丹さんから我が家へ届いた発注書。本年最初のお米のご注文は、首を長くして待っていた伊勢丹さんからの初のご発注と相成り、これぞまさにお年玉。
早速息子の部屋へ行き、
「来たぞー、発注書が来た!」
「おー、来たかー。そんじゃ、行くかぁっ!」
そして、かみさんのところへ行き、
「来たぞー、発注書来たから、今から精米。雪も心配無さそうだから行くぞ。」
と言うと、
「行くの?じゃ、私も行く。」

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ここで言う、「行く」は、京都へ「行く」を意味していて、JR京都伊勢丹へ米を抱えて納品に「行く」ことを言っている。昨年来我が『農樹米』をJR京都伊 勢丹さんが商品採用いただけるとの連絡をいただいてからこの方、書類やその他のやりとりを進めつつ、お取り引きの開始、初回の発注はいつぞやと心待ちにし ていた年末年始。タイミングが良ければ初回の納品は自ら京都へ車を走らせようと心に決めていたところ、正月3日、それも本年我が家の初荷がそれになると は、
「こりゃあ春から縁起がいい。」
でき過ぎた話に家族の心も躍りたつ。
百貨店、その中でも『伊勢丹』に我が家の商品が並ぶことは、ついこの間まで漠然とした憧れに過ぎなかったのに、今や現実。

約二ヶ月前、初めてJR京都伊勢丹を訪ねた時、担当の方に笑顔で迎えていただいた。そして開口一番、事前に送っていたお米を評して、
「いただきました。艶、香り、味や食感申し分無く、素晴らしかったですよ。」
「ホームページも隅々まで読みました。」
「大変なご苦労があったでしょうが、よくここまで成されましたね。素晴らしいですね。」
と、立て続けにお褒めいただき夢心地。嬉しさのあまり顔は熱くなり、汗と涙が滲んできたことを思い出す。
私は、ただ単に米を売っているわけではない。そこに我が想いや人となりを添えて差し出してきたつもりでいるから、こんな言葉をいただいたときは無為に喜び、嬉しさに言葉を無くしてしまう。

3人での納品は仰々しく思われるかもしれない。しかし、当の3人にしてみれば我が家の歴史がそうさせた、ごく当たり前な形振りだったと思う。2011年1月3日は思い出の日と刻み込もう。

正月とあって京都市内は渋滞し、納品を済ませたのは家を出てから3時間後の午後2時。レストランで昼食をとったのが午後3時。行きの運転で疲れたであろう 息子に代わって、帰りの車のハンドルは私が握った。市内を抜け、京都縦貫道路を走り始めてしばらくすると車内の会話が無くなった。
「二人とも、年末の疲れが残っているのに、よくも今日は行くぞ、行こうよ、と言ってくれたものだ…。」
と、次の言葉を思い出す。
No rain, no rainbow.
Hope shines eternal.
ただ今、我が家で親父株上昇中。
「男はやっぱし、手柄をたててなんぼのもんよ。」
近頃、家中で粗雑にされること無くいられる私は、次なる手柄をたてん…、と今日から仕度を始めた。

来週1月13日から18日までの6日間、私はJR京都伊勢丹の売り場に立つことになっている。「プロモーション」というものらしい。
『農民、くま、参上ってか。』

感謝の心

テーマ:農民/くま語録

我が家から自動車走らせ約15分。綾部市、高津八幡宮の「新穀感謝祭」なるものに馳せ参じ候。
まさに読んで字の如し、天の恵みをいただき、生けることへの感謝をしめす、というもの。ご当地の知人から紹介いただき、これぞとばかり、私は米と餅を奉納 させていただいた。おまけに祭事のなかで、拝殿までをもさせていただき、玉串奉納、二礼・二拍手・一礼…と、恐悦至極でございまする。

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私の日常は、人から見られるところ、信仰の度合いは非常に浅く見られがちだが、あながちそうではない。我が家には神棚や仏壇も無く、日々そこに手を合わせ ることも無く、寺の檀家でも神社の氏子でもない。しかし、日々、時々刻々、常に心の中で、山や空、海や太陽や月など、何かに向かって、「ありがとう」を呟 いている。職業柄、自然界に生かされているということを実感しながら生きる日々。自ずと「ありがとう」と、感謝の気持ちを抱いているのだ。

これまでは、それで充分だと思っていた。
ところが、学生時代の友人の言葉…。
「クマ、お前は、八幡さんのご加護を受けているらしい、ぞ。」
と、その彼の親しい神官の言葉を伝えてくれた。
「近くの八幡さんに、米を奉納しろ。それから、伊勢神宮もだ。」
とのこと…。
「ほ、…ほうっ。」
そこで、拝殿。玉串奉納、二礼・二拍手・一礼…というわけだ。心の中だけでは無く、物理的に感謝の心を表すことが、これほど清々しいものとは…、大きな発見だ。

強烈な猛暑の中での、今年の農作業は恐怖に近いものがあった。それでもどうにか、収穫を終えることができた喜びは、どう表現すればいいのかわからないが、 こんな表わし方があったのだ。当たり前のことなのに、つい忘れてしまっていたことを反省してしまう。同時に、友人に感謝。そして高津の人々に感謝の心を捧 げたい。

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今、私の事務室には、二つのお札が並んでいる。ひとつは無論、この度いただいた高津八幡宮のお札。もうひとつは伊勢神宮のお札である。伊勢神宮へは、高津 八幡宮より、ひと足早くお米を奉納させていただいていたわけなのだが、両者を並べると、一目瞭然、高津八幡宮のお札のほうが、大きさや厚みが勝っている。
「おいおい、天下のお伊勢さん…、」
いやいや、これより先を言うのは止そう。清くなった心のまま…でいたいから。
これからも奉納を続けさせていただきましょ。なんてったって、高津八幡宮の宮司は、女性なのだ。20代独身なのだ。

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おっとっと、我が心、清らかなれ!

起きた

テーマ:農民/くま語録

『稲刈り終了』と、前回ブログの更新をしてから今日でちょうどひと月。前回の絞めの言葉は、「もう限界、寝る!」。
あれからひと月…。ブログ上では、まさにひと月眠ってしまった。もちろんこの間、寝て暮らしてたわけではないが、あくせく働いた日は決して1日も無い。何 一つとして一生懸命になることもせず、根を詰めて邁進することなどさらさら無い毎日を、これで良いか悪いか自問自答する気もおこらない。
今やれば良いと分かっている事も、「ん、またあとで…」。
今日やれば良いはずなのに、「ん、また明日…」。
そんな自分を勝手に、シーズン後の『燃え尽き症候群』と呼んで、手前に都合よく、甘やかし続けた一ヶ月。元来、嫌いなことは後回しにする性質だから、パソコンの前に居たくない、メールの返信、ブログの更新…、「はい、また明日」の繰り返し。

しかし、もう起きよう。

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ここへ来て、米のこと…、農業のこと…、農村のこと…、もの申しておかねばと、クマの心もざわめきだした、ぞ。

稲刈り終了

テーマ:農民/くま語録

本日夕刻、とうとうゴールにたどり着き、稲刈り終了。3週間強の戦闘から、無事帰還。「ふーっ、やれやれ…。」
体に悪いほど根をつめて働き通した今、脳が疼くは、足取りたどたどしく、両肩は石のように硬くなり、
「なーんも、したー、なかー。(何もかも手につかない。俺をどうにでもしてくれ。)」と、大の字になろうとしている。

平成22年は、良くも悪くも忘れがたく、それもこれも、さらにこれからのことは、次に起き上がってから自問自答。
もう限界、寝る!

わかんない

テーマ:農民/くま語録

4条刈りコンバインを操作中、振り向けば、すっかり男の顔をした我が子がいる。今や、3条刈りのコンバインを我が手足の如く操りながら、俺を追いかけてくる「男」となった君は今何を考えているのだろう。
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気がつけば、『わかんない』(作詞・作曲井上陽水)を口ずさんでいる。
http://www.youtube.com/watch?v=81aJ5iManLQ&feature=youtube_gdata
雨にも風にも負けないでね
暑さや寒さに勝ちつづけて
一日、すこしのパンとミルクだけで
カヤブキ屋根まで届く
電波を受けながら暮らせるかい?

南に貧しい子供が居る
東の病気の大人が泣く
今すぐそこまで行って夢を与え
未来の事ならなにも
心配するなと言えそうかい?

君の言葉は誰にもワカンナイ
君の静かな願いもワカンナイ
望むかたちが決まればつまんない
君の時代が今ではワカンナイ

この曲を知ったのは、沢木耕太郎著「バーボンストリート」。俺が二十歳になった頃だったろうか?
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明日もやろかい。4+3の7条刈り。

プロフィール

くま語録

くま

京都北部・綾部市物部地区で米を育てつつ、「農樹」を育てる農民。通称:くま
中津隈俊久(なかつくま としひさ)
’64年生、福岡県北九州市出身。
自作自演プロジェクト「農民パラダイス計画」のリーダー。

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