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京都伊勢丹-ファイナル-
京都伊勢丹でのプロモーション。最終日ともなると、朝から体のあちこちがきしんでいる。特にふくらはぎは重症で、
「あと1日だから、持ちこたえろよ。」
と、その朝ホテルをチェックアウトする前、患部へパンチの嵐。
一週間、10時の開店から夜8時の閉店まで、短時間の休憩をはさみながら10時間以上立ちっぱなしなのだから、さもあらん。
その日、その日をどうにか持ちこたえ、毎夜ホテルへと帰る道すがら、居酒屋で焼酎オンザロックを一杯飲み干すまでに、足が痺れ始める。もちろん店を出るまでには、三杯程度は飲んでいたが、通常の私の酒量からは程遠い…。
「ホテルに帰れなくなりそう、」
だから、
「もう少し飲みたい」
のに、毎日未練たらたら、打ち止め。そして、帰れば撃沈。
パンチを食らわした足でポジションについた最終日。足を止めてくださる方々との応対の合間、合間に一週間を思い起こせば、数多の良い出会いや再会を果たせたことに感謝。
また、田んぼに向かう日々を送る中で決して見えなかったことに気づいて、感謝。今回のチャンスを与えてくださった伊勢丹さんと、サポートしてくれた家族や友に感謝、感謝。そう想いをめぐらせ、この場が愛おしく思えてくるうち、閉店の時が来た。
明日からこの場に立つ方の手前、気ぜわしく片付けをしていると、
「ご苦労様でした。なかつくまさん。」
「春には、綾部に参ります。」
などなどお声がかかり、
「ありがとうございました。どうぞ来てくださいね、待ってますよ。また会う日まで…。」
と、やり取りをしていると、
「なかつくまさん、春までにもう一回いかがでしょうか?」
と、お声がかかり、早やプロモーション第二弾、3月中に決定となった。
意気揚々と土産話を抱えて帰路に着く。大雪後の夜道を、そろそろ車を走らせ、帰りつくと深夜。危うく、
「皆の者、起きて参れ!」
と、叫ぶでしまうところをぐっと堪えて、祝杯片手に、翌朝家族が目にとめやすい場所に張り紙をすべく、太いマジックで書き込みをした。
『お疲れさーん、ご苦労さーん。鍋の用意ありがとさーん。疲労困憊につき、食わずに寝るわ。吉報二つ。その一、2キロパックのお米のみならず、5キロパッ クもプロパー商品にご採用ですと!その二、春までに、プロモーション第二弾、決定!どうだ、参ったか。明日は、目を覚ますまで起こさんといて。』
翌朝から、私の処遇が一段と良くなった。
About 農樹
京都伊勢丹その2
プロモーション二日目の1月14日、夕方。息子がやって来ててくれた。
実はこのプロモーションの話をいただいた時、彼は小心者の親父のために、援護射撃すべく、参戦の心積もりをしてくれていた訳なのだが、残念にもその日程 が、彼の大学のテスト週間と重なってしまった。しかし、それでも大雪の中、都合をつけて来てくれる…。さりげく、心優しく、粋な青年であることよ。
「ありがとう。気をつけて帰れよ。」
「おー。」
100倍の勇気を置いて、私の親友は帰路に着く。
その翌日は三日目土曜日。四日目、日曜夕方まで限定で妻が応援にやって来た。されど、目の下には『隈』。
「俺の言うことが、解っているのか?どうなのか?ぶっ倒れないか?このまま帰そうか?」
と、心配なほど、疲労困憊の様子。立ったまま寝ているかのような妻を見て、いやはや、参戦させて後悔の一念。妻曰く、
「二日空けて来るために、今日は1時に起きた。」
だとか…。
「俺の甲斐性の無さなのか?」
と、ネガティブな思考を切り替えて、
「そうまでして夫を支えようとしてくれる気持ちがあったのね。」
と、長らく消えたと思っていた夫婦愛の灯りの種火が、どうにか残っていたように思えば、一応、さらに勇気百倍。
また、広島から、そして大阪からと友人が駆けつけてくれたことへ、感謝の気持ちを伝える術が無い。
広島からは、私の青春時代に親交を深めた今は亡きご夫妻のお嬢さん方。
「まみちゃん、みきちゃん、遠路遥々、わざわざありがとう。次はもっとじっくり会おう。勇気百倍でした。」
大阪からは、故郷福岡の母校・東筑(とうちく)高校の同窓生・T君。
「なかつくま?」
「ん…?」
「Tです。東筑の81期の…。」
「おーーー。」
と、堅い握手をするや、目が潤む。
「ブログ見て、来たんよ。」
なんだとさ。もー、泣きたくなるところを、どうにか抑えて、勇気100倍の4乗よ。
「幸せ、俺は幸せ。幸せも1億倍ばい。」
About 農樹
JR京都伊勢丹にて
1月13日から18日までの6日間、JR京都伊勢丹様のお取り計らいのおかげで、地下2階のフーズマーケットの一角にて、我がお米のプロモーションに立た せていただくことができた。長いようで短かった6日間。炊飯器でご飯を炊き、その場で小さなおむすびを作る。それを差し出しながらお客様とのやり取り、そ して販売…。
代々続く農家でも無く、有名産地の農家でも無く、○○農法などと掲げているわけでもなんでも無い私が、百貨店という場において、ただのおむすびを手渡すとき、お客様へ投げかける言葉、第一声は、
「私が育てたお米です。」
これよりほか何があろうか?
実はこのプロモーションを前に、平然を装いながら内心、
「見向きもされなかったら…、鼻であしらわれたら…、うわー、どうしよう。」
と、小心者の私は心配し、極度の緊張を抑えに抑えて初日を迎えたわけだ。
お米の世界で京都府綾部市などは、産地として知名度皆無。おまけに私は非農家出身の農民16年生。伝統も深みもないないづくし。野球で言えば、マイナー リーグ以下。そのマイナーリーグの選手が、メジャーの舞台へとお呼びがかかった時、何ができる?そう、これまでやってきたことを信じて、開き直ってありの ままの自分を、
「えーい。煮るなり焼くなりしておくれー。」
と、玉砕覚悟でいくほか成すすべが無い。
そして、開店。
「私が育てたお米です。食べてみて…。」
と、おむすびを差し出す。
「…。どこのお米?」
「どこでもいいから、食べてみて。私が育てて、精米して、抱えて、持ってきたお米です。農家がデパートに直接販売に来たってわけ、です。」
「ほーっ。」
私の最初のひと言に、ハッと驚きの表情を浮かべられ、試食のおむすびを大切そうに食してくださる方々。そして、
「冷めても美味しいから、美味しいお米。」
「後口が良い。ほんのり甘みが残る。」
「もちもちして、香りも良い。」
「粒がしっかりしていて弾力がある。」
などなど…、嬉しいお言葉の数々。
また、こんな方も…。
「農家が伊勢丹さんのここに立ったのは、私の記憶では初めてです。貴方も立派、伊勢丹さんも立派だ。頑張ってくださいね。ひとついただきます。」
と、お買い上げ。そして合掌してくださったお坊さん。その後、二度ほど私の前を通りすぎる度、合掌。
「おむすび美味しいやん。このお米のおむすびなんやなあ。間違いないなー?これ。買うわー。」
と、大津から来られたという方。期間中、再度来られては、
「あんた、私のこと覚えてる?忘れたらあかんで。あんたの米買うたん、覚えてるやろなー。あんた、今度いつ来るん?」
と、東京からUターンしたのだと、随分話し込んで行かれたご婦人。
「京都人はなあ、あんちゃん、もの買うとこ決めてんねん。よー、覚えときやー。私はデパートは○○やねん。親の代からなー。あんた○○には出してないん? なんで出しはらへんの?でもまあ、あんた伊勢丹が正解やな。ここが一番や。活気が違う。そうや、あんたここに出したん、正解やで。ほな、ひとつ貰うわ なー。頑張りやー。」
と、一見貴婦人、話せば番長風の奥様。
さらには、こんな方も…。そのお方、一回目ご来店の時には、
「一人暮らしやから、近所のお米屋さんで少しずつ分けてもろてるんや。」
と、雑談だけ交わしたものの、再度ご来店。どうもしょっちゅう足を運んでられるらしい。2回目は、おむすびとお米の案内を手渡し、また雑談。そして、三回目…、
「あんた、美味しかったわ。昨日、もろたおむすび家に帰って食べてん。それから、あんたがくれたお米の案内読んだら、よかったわー。あんた、気に入ったわ。鳥取大学、頑張ってるやん。お米買うわ。娘にも送ってやるから、二つ頂戴。」
と、お買い上げ。
「次は、いつ来るの?来るときは連絡ちょうだい。必ず連絡せなあかんでー。私、応援するからな。」
と、葉書を出すよう、住所を言うから控えよ、と。この方、聞くところ、33歳でご主人を亡くされ、20数人のまかない下宿をなさってお子さんを育てたのだとか。昭和3年生まれとは思えない肝っ玉母ちゃん。
「私なー、正月には娘の肩揉みをしてあげたんや。」
と、笑い、通る人を捕まえて、
「このお米美味しいでー。」
ですと。
ありがたや、ありがたや。渡る世間は神ばかり。—続く—、
About 農樹
成人式
昨日8日、飲み会があると言って夕方出て行った息子。高校時代の野球部の面々が集うとあって喜々として出かけて行った。
私はといえば、午前中餅の製造を息子とともにやり、午後から精米とその発送。何だか年末からこの方、しっかり休めたのは元旦の午後と2日くらいか。日課の晩酌が、どうも近頃経済的だ。
昨日はいつの間に寝たのか?そして目が覚めたのか?深夜帰って来た息子と会話を交わした模様。久々に堕落した朝を迎えることを楽しみにしていたので、それは適当に済ませて、またすぐに寝た。
ところがだ、朝の5時半頃だったろうか?物音がする。寝ぼけていると、
「おー、気持ちよかった。昨日風呂入ってなかったからさー。」
と、早朝からシャワーをしたと言う息子が、
「スーツあるかな?」
と言う。そう、思い出した。先日まで、成人式なんて行かないと言っていた息子が、昨夜になって、私のスーツを「成人式に出ようと思うから、貸してくれ。」と言い出したことを…。
物持ちが良い私は、今では着ることができないスーツを、今でも何着か残している。それはいつか息子が着る機会もあろうと残しておいたものではあるが、今日のこの日のタイミングに、まさに持って来いの代物と、そうは問屋が卸さない。
「俺の若いときのスーツは、今のお前の体に合うけれど…、」
若干袖丈や裾丈の修正が必要だし、
「ワイシャツも無いから…。どうせなら全部揃えたら…。」
早朝寝ぼけながら発した私の言葉で、事態は一気に動く。
洋服屋の開店と同時に店頭に立つ。そして、まずはスーツを決める。スラックスの裾丈縫製の間に靴やベルト、ワイシャツやネクタイをコーディネイトし、店で そっくりそのまま着込んで成人式へ…と、いう段取りに決定。後から起きてきたかみさんは、スーツ代の足しにと、息子に金をいくばくか渡そうとする。私は腹 で、
「ええい、しぇからしかー。息子の初スーツは、はなっから親父が揃えちゃる腹でおったばい。」
と思いつつ、息子と二人洋服屋へと走る。
成人式…。どたばた劇となってしまったが、洋服屋に生まれた親父のコーディネイトよろしく、ご機嫌で出かけた息子はおそらく今日も午前様。
『一着目のスーツ』
買ってやれて、良かった良かった。親父の甲斐性、存在感。示せて良かった良かった。
北海道の友人に、スーツ姿の息子の写真をメールで送ると、
「クマさんと違って、男っぽいネ、それにスマートでスッキリしてる」
のだとか。こんにゃろ、
「俺だって、二十歳のころはこんなじゃなかったの!」
About 農樹
お年玉
正月3日。朝方事務室をのぞくと1通のファックス。それはJR京都伊勢丹さんから我が家へ届いた発注書。本年最初のお米のご注文は、首を長くして待っていた伊勢丹さんからの初のご発注と相成り、これぞまさにお年玉。
早速息子の部屋へ行き、
「来たぞー、発注書が来た!」
「おー、来たかー。そんじゃ、行くかぁっ!」
そして、かみさんのところへ行き、
「来たぞー、発注書来たから、今から精米。雪も心配無さそうだから行くぞ。」
と言うと、
「行くの?じゃ、私も行く。」
ここで言う、「行く」は、京都へ「行く」を意味していて、JR京都伊勢丹へ米を抱えて納品に「行く」ことを言っている。昨年来我が『農樹米』をJR京都伊 勢丹さんが商品採用いただけるとの連絡をいただいてからこの方、書類やその他のやりとりを進めつつ、お取り引きの開始、初回の発注はいつぞやと心待ちにし ていた年末年始。タイミングが良ければ初回の納品は自ら京都へ車を走らせようと心に決めていたところ、正月3日、それも本年我が家の初荷がそれになると は、
「こりゃあ春から縁起がいい。」
でき過ぎた話に家族の心も躍りたつ。
百貨店、その中でも『伊勢丹』に我が家の商品が並ぶことは、ついこの間まで漠然とした憧れに過ぎなかったのに、今や現実。
約二ヶ月前、初めてJR京都伊勢丹を訪ねた時、担当の方に笑顔で迎えていただいた。そして開口一番、事前に送っていたお米を評して、
「いただきました。艶、香り、味や食感申し分無く、素晴らしかったですよ。」
「ホームページも隅々まで読みました。」
「大変なご苦労があったでしょうが、よくここまで成されましたね。素晴らしいですね。」
と、立て続けにお褒めいただき夢心地。嬉しさのあまり顔は熱くなり、汗と涙が滲んできたことを思い出す。
私は、ただ単に米を売っているわけではない。そこに我が想いや人となりを添えて差し出してきたつもりでいるから、こんな言葉をいただいたときは無為に喜び、嬉しさに言葉を無くしてしまう。
3人での納品は仰々しく思われるかもしれない。しかし、当の3人にしてみれば我が家の歴史がそうさせた、ごく当たり前な形振りだったと思う。2011年1月3日は思い出の日と刻み込もう。
正月とあって京都市内は渋滞し、納品を済ませたのは家を出てから3時間後の午後2時。レストランで昼食をとったのが午後3時。行きの運転で疲れたであろう 息子に代わって、帰りの車のハンドルは私が握った。市内を抜け、京都縦貫道路を走り始めてしばらくすると車内の会話が無くなった。
「二人とも、年末の疲れが残っているのに、よくも今日は行くぞ、行こうよ、と言ってくれたものだ…。」
と、次の言葉を思い出す。
No rain, no rainbow.
Hope shines eternal.
ただ今、我が家で親父株上昇中。
「男はやっぱし、手柄をたててなんぼのもんよ。」
近頃、家中で粗雑にされること無くいられる私は、次なる手柄をたてん…、と今日から仕度を始めた。
来週1月13日から18日までの6日間、私はJR京都伊勢丹の売り場に立つことになっている。「プロモーション」というものらしい。
『農民、くま、参上ってか。』