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振り回される
台風の被害もなく、少々気温は高いが気候が穏やかになってきた。3日前に刈った稲がまだ青いとあって、この3日間稲刈りを休んで内業に打ち込んでいた。近くの農家から持ち込まれる籾の乾燥、籾摺り、そして我が家の新米を精米して、方々へ発送するなどなどだ。
意気込んで稲刈りモードにスウィッチを切り替えた割には、フィールドに姿を見せないと、のんびりしていると見えるのか?今日は、一転、てんてこ舞い。
昨日から持ち込まれた少量の籾乾燥に手間をとられているところへ来て、
「籾摺りしてくれ。」
「乾燥してくれ。」
などなどと、いやはややられっぱなしの一日。
「今日は久々目まぐるしかったー。」
と、感じた今、ふと気づく…。
「久々?じゃ、ねー。」
その間僅かに1日半。一年で最も時間が凝縮される秋本番。
明日からは、我が稲にのみ向かえる時の到来、とーらい!
About 農樹
稲刈り突入
よーい、どん!
おりゃぁ…。ゴーーー…。
暑い!
ほこり立つ稲刈り。
「きゅうーすい!」塩をなめなめ、「きゅうーすい!」
ついさっきの冷水が、今はお湯…。
湯でも何でも、どうでも良いから、「きゅうーすい!」
秋風よ、ああ秋風よ、君恋しや、今何処…。
突入してしまった、平成22年の稲刈り。
About 農樹
熱戦
昨日から満を持して、綾部市議会選挙の街宣車が走り始めた。投票日の8月29日まで、1週間、騒々しい日が続く。
平年は、高校球児たちが繰り広げる熱戦の数々を清々しく見届けて、いよいよ収穫の秋を前に、涼風そよぎ始めることよろしく、夏から秋、気持ちのスイッチを切り替え、来る大仕事の準備に着々と取り掛かるところ…。
しかし、今年は4年に1度の当たり年、おまけに記録的な猛暑。ここへ来て、甲子園の躍動や感動とは大きく異なる「あつさ」のおかげ、心穏やかな秋へと向うことができない。
猛暑、酷暑のおかげで、田んぼが乾くこと乾くこと。朝5時には田んぼに水を仕掛けてまわり、いったん家に戻り、朝飯を食らって一息つく間も無く、7時までには田んぼに出る。そう、午前10時までが野良仕事のゴールデンタイム。
先日まで続いた草刈りキャラバンもゴールを向え、今では田の草取りキャラバン隊。田んぼに入り、稲より背が高くなった草めがけて稲を掻き分け前進。鎌のあしらいよろしく、なるべく低いところからスパッと刈ってまた前進。
朝露に濡れる稲を掻き分け下半身はびしょ濡れ。汗で上半身がびしょ濡れになる午前8半には、選挙街宣車が行き交い始め、誠に騒々しい。
「ご苦労様です。お暑い中、農作業ご苦労様です。」
どうもこちらに向ってマイクでメッセージを送っているよう…。汗みどろの顔を上げて、愛想振りまくお調子者にもなれないし、
「はーい、苦労してまーす。暑さでゲロ吐きそーでーす。」
と大声を張り上げる。誰にも聞こえはしないたまの大声…、それもまた良し。
小さな峠の向こう側へ、早朝から水を入れている田んぼの様子を見に行こうと、こちらが峠に差しかかる前から、向こうのふもとから、
「ありがとうございます。お暑い中、暖かいご声援、誠にありがとうございます。」
と聞こえてくる。こちらが上りに差し掛かる頃、街宣車が下ってきて、車中の皆さん満面の笑顔で精一杯、車から身を乗り出しながら手を振り、先の文句をリピートしながら去っていく。こちらは、そのまま峠を上り、下り、そして下りきっても、誰とも会わない、誰もいやしない。
「おいおい、奴さんたち…、鹿かイノシシにも、ありがとうって手を振っとんたん?」
したたる汗を拭いもせず、暑さで口も閉まらぬままの田んぼの回りをそろそろ巡り、
「水は入ったか?ああ、まだか。仕方ない…、ふうー。」
と、田んぼに向ってひと息ついていると、また街宣車。200メートル、いや300メートル向こうから、
「ご苦労様です。猛暑の中、農作業ご苦労様です。」
とこれまた同じ文句でやってくる。ぐるり見渡せば、俺一人…。
「せからしかー!ズボン下ろしとろーが、わからんとかー!立小便にご苦労さんって、馬鹿にしとーとかー!」
ピンポイント攻撃したつもりやろが、間違いなく、俺の一票はよそに行く。
About 農樹
2010年 夏
愚直
春先から調子がおかしかった左腕は、紛れもなく腱鞘炎。肘の先、手をぎゅっと握り締めるとぐいっと盛り上がる筋肉が痛い。草刈りや肥料の撒布といった重労働を一日通して続けることができない。そして、この蒸し暑さ…。
ここひと月、辛いどころの騒ぎじゃねー。ブログの更新?冗談じゃねー!野良仕事から帰れば、キーボード叩くのも仕事がらみの必要最小限に抑えつつ、明日のために温冷浴と低周波電気治療器にマッサージ、そして仕上げの湿布を施し明日を迎えなければ、半日と持ちこたえてはくれない俺の左腕。
そこへ来て、本来春先に田んぼに撒いているはずだった肥料の山が目の前にある…。雨の連続だったこの春、本来トラクターに取り付けた機械に放り込んで撒くはずだった肥料が大量に残っている。左腕の状況からすれば、その量が量なだけに断念しても稲たちから恨まれることも無かろうが、そこは頑固一徹、プロ魂が許さない。そして、大和魂が許さない。サッカー日本代表の活躍を!と願をかけて、お百度詣りならぬ、数百度担ぎだい。
我が家の肥料の山を崩すべく、意を決したのは、田植え終わらぬ5月末。代表批判高まる中、
「くそたれ日本人め、雑魚の如く踊りよる。批評や批判…、誰かが言い始めたらすぐに同調する雑魚どもめ。日本の代表に選ばれし若者を無為の心で応援できんのかい!」
というふうに愚直な俺の心が叫んだ。
背負っては撒き、撒いては草刈りと、牛馬の如く働き、
「馬鹿だなあ。」
と我が体が愚痴を吐きつつ、また背負ううち、日本代表がいい顔して帰ってきた。その後の番組出演でもいい顔、顔…。
「よかった、よかった。」
と思ううち、我が家の肥料の山もようやく無くなり、腕の痛みも時には忘れられるくらいになっていた。
昨日は、野外作業から暫く遠ざかっていた息子が、次に控える肥料の撒布作業に参加してくれ、
「これはかなりハードな作業だねぇ…、ひと月大変だったねぇ。」
と汗まみれの顔で労いの言葉をかけてくれるので、嬉しく感じつつも、今と先日までの愚直な労働の違いを、
「おう、昨日までこれの4倍背負って撒いとった。」
と言うと絶句していた。
「それって、全部で何キロ?」
「んー、6,000キロ?」
「って、6トン…、まじかよ。」
ちゃんと伝える
先日、園子温(そのしおん)監督作品、『ちゃんと伝える』というタイトルの映画を観た。正確に言えば、その映画のDVDを息子に借りて観た…。
ヤツをちょいとつつけば、打ち出の小槌のごとくお勧め映画が配給されるからありがたい。
その、『ちゃんと伝える』…。余命わずかな末期がんの父と、これまで十分に語り合うこともなかったが、残る限られた時間を父と向き合おうと決めたサラリーマンの息子の物語。皮肉にも息子までが父の主治医から余命宣告をされながら、それでも父との約束を果たそうとする息子…。身の周りで在りそうで無さそうな、無さそうで在りそうなオリジナルストーリー。
映画の場面、場面で、ついつい涙がこぼれ、20年前に死んだ親父と自分の当時を思い返せば、「思い」をちゃんと伝え合った記憶が乏しすぎることを恨めしく思う。親父が弱弱しくなっていったときの自分が、様々な意味であまりにも未熟で鈍感だった、と。
そして今、自分はもうすぐ二十歳になる息子の父親…。
親父になって父を思えば、世間になびかず、力に巻かれず、愚直にも自由であるを最良とする我が気質は親ゆずりなのだと思う。損得勘定抜きに感情走って馬鹿をみても、たから笑って、その損な話をも自慢げに話すあたりは、「ちゃんと」伝えられてしまったようで、そして、無意識にそれを「ちゃんと」日々実践する自分は、上手に世間を渡る術も学べる若者にとって、迷惑千万な親父かもしれない。
しかし、自分は…、
父親としての値打ちを高めて、息子から高い評価を得ようなどとする考えに及ばない不器用者。壁にぶつかって、強いはずの自分が実は弱くて、だからと言って弱いだけの人間では無いということを、飾らず、そしてみっとも無さも、隠さず高らかに笑って語ろう…。親父というもの、完成されていては窮屈だ。発展途上の男くらいでちょうどいい…、わっはっは。
誰に似たのか?無骨な平成男児と伝えあう、切磋琢磨の日々是好日、万歳。
寝太郎さま
むかし、長門の国は厚狭の里に、毎日寝てばかりいて村人から「寝太郎」と呼ばれる庄屋の息子がおりました。三年と三月を寝て暮らしたある日、むっくりと起き上がり父親に船をつくらせ、新しいわらじをいっぱい積むと佐渡島へ船出しました。佐渡島へ着くと金山で働く人たちの古いわらじと新しいわらじを交換し、船いっぱいに積むとさっさと帰ってゆきました。村にもどると泥んこですり切れたわらじを村人たちと桶で洗いました。すると桶の底に金の砂が光っているではありませんか。手に入れた砂金を元に堰をつくり干害用水路を引き、荒地の原野を水田に変えたのでした。
のちに村人から「寝太郎さま」と親しまれ、長生きしたそうな。
今でも農業の神様として神社に祭られております。(日本昔話『三年寝太郎』)
山口県を代表する民話に由来して名付けられた純米焼酎、その名も『三年寝太郎』。知人からことあるごとに贈っていただくこいつは、ぐいぐいやりたい飲兵衛にはうってつけの、味わい深く、香り、呑み口とも爽やかな一本。
グラス片手に何度読んでもいいお話。氷をグラスにざっくり盛って一杯。こちとら、灼熱のお日様のもと、たった3日でさえも寝ているわけにいかないこの身に、うまい焼酎をせめてまたもう一杯、もう一杯と、また『お話』を読み返す。
「いつも必ず、こいつを贈ってくれるのには意味があるのか…?俺も何かを成し遂げたいね…。」
旅
今朝方、息子が旅に出た。大学の友人と3人旅。リュックひとつ抱えて、風の吹くまま、気の向くままチャリンコを漕ぐらしい。
決まっていることと言えば、チャリンコはチャリンコでも変則ギアー付は反則、3人ともママチャリでなくてはならない。また目的地は無く、とりあえず「琵琶湖一周でもする」といったノリで、どうも決め事をしないことが決め事のようだ。こちとら帰りはいつともわからない。
この日のためにあつらえたお揃いのTシャツに袖を通し、集合場所へと朝6時半、喜々として出かけるファンキーボーイに、
「さすが俺の息子!」
と心の中で万歳しながら、笑顔で送り出した。
「どうか、このへんてこなTシャツを着た若者達に、冷たいお茶の一杯と、暖かい声援と、もひとつ願わくば、黄色い声援なんぞいただけないもんかのー。」
ちょうど1年前、ヤツは、
「旅に出る。」
と突然言い始めるや、4、5日どこにいるともわからないまま姿を消した。この間、言葉の無いメールに写真だけが添付され送られても、どこにいるともわかりそうな写真は送ってこない。帰って来て、どこへ行っていたのか聞けば、なるほど、神奈川、東京、茨城あたりへ行っていたらしい。ヤツが5歳までを過ごした横浜やつくばを巡ってきたわけだ。自動車免許取りたての18歳が一人で、一般道を走って東京を駆け抜けるなんぞ…。
「血は受け継がれる…もんやね」
と思ったものだ。
昨日は草刈りの合間、ぜーぜー息を切らしている私に、息子が尋ねてきた。
「クマさんがシルクロードの陸路旅、行ったのいくつの時やったっけ?」
「おーっ、暑い、あん?ああ、にじゅういっさい、おー、しんどい…。」
「鉄道とバス乗り継いだんやったよね…。半年くらい行ったんやったっけ?」
「おー、そうそう。」
ヤツは来年21歳。もしかしたら…。何したかて、俺は驚かんもん、ね。
水風呂
こうも暑さが続くと、日中熱せられた体が夜のうちに冷めきることなく、翌朝を迎えているような気がしてならない。エアコンの風を浴びても、水を浴びても体の芯がまだ温いような感覚。空冷も水冷も効かず、蓄熱される一方のよう…、に感じられる。
夕食後、エアコンと扇風機の風に当たり、足裏マッサージ器にふくらはぎを揉ませながらテレビを観てると、意識がどこか遠い世界へととんでしまう。いつもよくある事とは言え、ことのほか心地よく行ってしまっていたらしく、一昨日の夜、窓の外の物音で「ビクン」と、こちらの世界へ舞い戻ったときには涎を垂れていたが、その足音で息子が旅から帰還したと察知。顔を拭い、起きなおして、
「お帰り!」
と寝ぼけながらも元気よく迎える。
そこには、黒く、いや赤く?赤黒く、そして目まで赤くなった息子が立っていた…。その表情から、舞い戻るために相当の精力を使い果たしたことが伺え、夜食をかき込むと言葉少なに部屋へ向かう息子へ、
「明日はゆっくりせえ…。」
と休みの合図。
しかし、ここからが凄い。毎早朝恒例の草刈り作業に復帰するや、ママチャリ琵琶湖一周の疲れなぞどこ吹く風よとばかり、先へ先へと調子よく進んで行くではないか…。こちらは、日に日に衰え、草刈りのゴールはまだか?猛暑はおさまらぬか?どうにかならんか、この暑さ、と嘆き節ばかりを唱えつつ、午前9時には全身びしょ濡れで、ぜーぜーしてると、
「だらしないぞ!」
と息子が言い放ち、悪戯っぽくニヤついている。
「はい、すんまっしぇん。」
とボケながら笑おうとしても、口を開けるが精一杯で、その後の笑い声が追いつかない。
あー、もう情けない。俺が悪いのか?お天道さんが悪いのか?どうでも良いから、涼しさと若さを返して欲しい。息子のような、筋金入りの耐熱人間にしておくれとまでは言わないが、このままでは居られない。このまま稲刈りに突入してしまうなんて考えたくも無い…。
体にいいとか悪いとか、もうどうでも良くなったので、外から帰ればそのたびに水風呂に浸かることにした。どうでも構わん、体の芯から冷え切るまで、水冷放熱だい。
熱戦
昨日から満を持して、綾部市議会選挙の街宣車が走り始めた。投票日の8月29日まで、1週間、騒々しい日が続く。
平年は、高校球児たちが繰り広げる熱戦の数々を清々しく見届けて、いよいよ収穫の秋を前に、涼風そよぎ始めることよろしく、夏から秋、気持ちのスイッチを切り替え、来る大仕事の準備に着々と取り掛かるところ…。
しかし、今年は4年に1度の当たり年、おまけに記録的な猛暑。ここへ来て、甲子園の躍動や感動とは大きく異なる「あつさ」のおかげ、心穏やかな秋へと向うことができない。
猛暑、酷暑のおかげで、田んぼが乾くこと乾くこと。朝5時には田んぼに水を仕掛けてまわり、いったん家に戻り、朝飯を食らって一息つく間も無く、7時までには田んぼに出る。そう、午前10時までが野良仕事のゴールデンタイム。
先日まで続いた草刈りキャラバンもゴールを向え、今では田の草取りキャラバン隊。田んぼに入り、稲より背が高くなった草めがけて稲を掻き分け前進。鎌のあしらいよろしく、なるべく低いところからスパッと刈ってまた前進。
朝露に濡れる稲を掻き分け下半身はびしょ濡れ。汗で上半身がびしょ濡れになる午前8半には、選挙街宣車が行き交い始め、誠に騒々しい。
「ご苦労様です。お暑い中、農作業ご苦労様です。」
どうもこちらに向ってマイクでメッセージを送っているよう…。汗みどろの顔を上げて、愛想振りまくお調子者にもなれないし、
「はーい、苦労してまーす。暑さでゲロ吐きそーでーす。」
と大声を張り上げる。誰にも聞こえはしないたまの大声…、それもまた良し。
小さな峠の向こう側へ、早朝から水を入れている田んぼの様子を見に行こうと、こちらが峠に差しかかる前から、向こうのふもとから、
「ありがとうございます。お暑い中、暖かいご声援、誠にありがとうございます。」
と聞こえてくる。こちらが上りに差し掛かる頃、街宣車が下ってきて、車中の皆さん満面の笑顔で精一杯、車から身を乗り出しながら手を振り、先の文句をリピートしながら去っていく。こちらは、そのまま峠を上り、下り、そして下りきっても、誰とも会わない、誰もいやしない。
「おいおい、奴さんたち…、鹿かイノシシにも、ありがとうって手を振っとんたん?」
したたる汗を拭いもせず、暑さで口も閉まらぬままの田んぼの回りをそろそろ巡り、
「水は入ったか?ああ、まだか。仕方ない…、ふうー。」
と、田んぼに向ってひと息ついていると、また街宣車。200メートル、いや300メートル向こうから、
「ご苦労様です。猛暑の中、農作業ご苦労様です。」
とこれまた同じ文句でやってくる。ぐるり見渡せば、俺一人…。
「せからしかー!ズボン下ろしとろーが、わからんとかー!立小便にご苦労さんって、馬鹿にしとーとかー!」
ピンポイント攻撃したつもりやろが、間違いなく、俺の一票はよそに行く。
About 農樹
水風呂
こうも暑さが続くと、日中熱せられた体が夜のうちに冷めきることなく、翌朝を迎えているような気がしてならない。エアコンの風を浴びても、水を浴びても体の芯がまだ温いような感覚。空冷も水冷も効かず、蓄熱される一方のよう…、に感じられる。
夕食後、エアコンと扇風機の風に当たり、足裏マッサージ器にふくらはぎを揉ませながらテレビを観てると、意識がどこか遠い世界へととんでしまう。いつもよ くある事とは言え、ことのほか心地よく行ってしまっていたらしく、一昨日の夜、窓の外の物音で「ビクン」と、こちらの世界へ舞い戻ったときには涎を垂れて いたが、その足音で息子が旅から帰還したと察知。顔を拭い、起きなおして、
「お帰り!」
と寝ぼけながらも元気よく迎える。
そこには、黒く、いや赤く?赤黒く、そして目まで赤くなった息子が立っていた…。その表情から、舞い戻るために相当の精力を使い果たしたことが伺え、夜食をかき込むと言葉少なに部屋へ向かう息子へ、
「明日はゆっくりせえ…。」
と休みの合図。
しかし、ここからが凄い。毎早朝恒例の草刈り作業に復帰するや、ママチャリ琵琶湖一周の疲れなぞどこ吹く風よとばかり、先へ先へと調子よく進んで行くでは ないか…。こちらは、日に日に衰え、草刈りのゴールはまだか?猛暑はおさまらぬか?どうにかならんか、この暑さ、と嘆き節ばかりを唱えつつ、午前9時には 全身びしょ濡れで、ぜーぜーしてると、
「だらしないぞ!」
と息子が言い放ち、悪戯っぽくニヤついている。
「はい、すんまっしぇん。」
とボケながら笑おうとしても、口を開けるが精一杯で、その後の笑い声が追いつかない。
あー、もう情けない。俺が悪いのか?お天道さんが悪いのか?どうでも良いから、涼しさと若さを返して欲しい。息子のような、筋金入りの耐熱人間にしておくれとまでは言わないが、このままでは居られない。このまま稲刈りに突入してしまうなんて考えたくも無い…。
体にいいとか悪いとか、もうどうでも良くなったので、外から帰ればそのたびに水風呂に浸かることにした。どうでも構わん、体の芯から冷え切るまで、水冷放熱だい。