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旅
今朝方、息子が旅に出た。大学の友人と3人旅。リュックひとつ抱えて、風の吹くまま、気の向くままチャリンコを漕ぐらしい。
決まっていることと言えば、チャリンコはチャリンコでも変則ギアー付は反則、3人ともママチャリでなくてはならない。また目的地は無く、とりあえず「琵琶湖一周でもする」といったノリで、どうも決め事をしないことが決め事のようだ。こちとら帰りはいつともわからない。
この日のためにあつらえたお揃いのTシャツに袖を通し、集合場所へと朝6時半、喜々として出かけるファンキーボーイに、
「さすが俺の息子!」
と心の中で万歳しながら、笑顔で送り出した。
「どうか、このへんてこなTシャツを着た若者達に、冷たいお茶の一杯と、暖かい声援と、もひとつ願わくば、黄色い声援なんぞいただけないもんかのー。」
ちょうど1年前、ヤツは、
「旅に出る。」
と突然言い始めるや、4、5日どこにいるともわからないまま姿を消した。この間、言葉の無いメールに写真だけが添付され送られても、どこにいるともわかり そうな写真は送ってこない。帰って来て、どこへ行っていたのか聞けば、なるほど、神奈川、東京、茨城あたりへ行っていたらしい。ヤツが5歳までを過ごした 横浜やつくばを巡ってきたわけだ。自動車免許取りたての18歳が一人で、一般道を走って東京を駆け抜けるなんぞ…。
「血は受け継がれる…もんやね」
と思ったものだ。
昨日は草刈りの合間、ぜーぜー息を切らしている私に、息子が尋ねてきた。
「クマさんがシルクロードの陸路旅、行ったのいくつの時やったっけ?」
「おーっ、暑い、あん?ああ、にじゅういっさい、おー、しんどい…。」
「鉄道とバス乗り継いだんやったよね…。半年くらい行ったんやったっけ?」
「おー、そうそう。」
ヤツは来年21歳。もしかしたら…。何したかて、俺は驚かんもん、ね。
About 農樹
寝太郎さま
むかし、長門の国は厚狭の里に、毎日寝てばかりいて村人から「寝太郎」と呼ばれる庄屋の息子がおりました。三年と三月を寝て暮らしたある日、むっくりと起 き上がり父親に船をつくらせ、新しいわらじをいっぱい積むと佐渡島へ船出しました。佐渡島へ着くと金山で働く人たちの古いわらじと新しいわらじを交換し、 船いっぱいに積むとさっさと帰ってゆきました。村にもどると泥んこですり切れたわらじを村人たちと桶で洗いました。すると桶の底に金の砂が光っているでは ありませんか。手に入れた砂金を元に堰をつくり干害用水路を引き、荒地の原野を水田に変えたのでした。
のちに村人から「寝太郎さま」と親しまれ、長生きしたそうな。
今でも農業の神様として神社に祭られております。(日本昔話『三年寝太郎』)
山口県を代表する民話に由来して名付けられた純米焼酎、その名も『三年寝太郎』。知人からことあるごとに贈っていただくこいつは、ぐいぐいやりたい飲兵衛にはうってつけの、味わい深く、香り、呑み口とも爽やかな一本。
グラス片手に何度読んでもいいお話。氷をグラスにざっくり盛って一杯。こちとら、灼熱のお日様のもと、たった3日でさえも寝ているわけにいかないこの身に、うまい焼酎をせめてまたもう一杯、もう一杯と、また『お話』を読み返す。
「いつも必ず、こいつを贈ってくれるのには意味があるのか…?俺も何かを成し遂げたいね…。」
About 農樹
ちゃんと伝える
先日、園子温(そのしおん)監督作品、『ちゃんと伝える』というタイトルの映画を観た。正確に言えば、その映画のDVDを息子に借りて観た…。
ヤツをちょいとつつけば、打ち出の小槌のごとくお勧め映画が配給されるからありがたい。
その、『ちゃんと伝える』…。余命わずかな末期がんの父と、これまで十分に語り合うこともなかったが、残る限られた時間を父と向き合おうと決めたサラリー マンの息子の物語。皮肉にも息子までが父の主治医から余命宣告をされながら、それでも父との約束を果たそうとする息子…。身の周りで在りそうで無さそう な、無さそうで在りそうなオリジナルストーリー。
映画の場面、場面で、ついつい涙がこぼれ、20年前に死んだ親父と自分の当時を思い返せば、「思い」をちゃんと伝え合った記憶が乏しすぎることを恨めしく思う。親父が弱弱しくなっていったときの自分が、様々な意味であまりにも未熟で鈍感だった、と。
そして今、自分はもうすぐ二十歳になる息子の父親…。
親父になって父を思えば、世間になびかず、力に巻かれず、愚直にも自由であるを最良とする我が気質は親ゆずりなのだと思う。損得勘定抜きに感情走って馬鹿 をみても、たから笑って、その損な話をも自慢げに話すあたりは、「ちゃんと」伝えられてしまったようで、そして、無意識にそれを「ちゃんと」日々実践する 自分は、上手に世間を渡る術も学べる若者にとって、迷惑千万な親父かもしれない。
しかし、自分は…、
父親としての値打ちを高めて、息子から高い評価を得ようなどとする考えに及ばない不器用者。壁にぶつかって、強いはずの自分が実は弱くて、だからと言って 弱いだけの人間では無いということを、飾らず、そしてみっとも無さも、隠さず高らかに笑って語ろう…。親父というもの、完成されていては窮屈だ。発展途上 の男くらいでちょうどいい…、わっはっは。
誰に似たのか?無骨な平成男児と伝えあう、切磋琢磨の日々是好日、万歳。
About 農樹
愚直
春先から調子がおかしかった左腕は、紛れもなく腱鞘炎。肘の先、手をぎゅっと握り締めるとぐいっと盛り上がる筋肉が痛い。草刈りや肥料の撒布といった重労働を一日通して続けることができない。そして、この蒸し暑さ…。
ここひと月、辛いどころの騒ぎじゃねー。ブログの更新?冗談じゃねー!野良仕事から帰れば、キーボード叩くのも仕事がらみの必要最小限に抑えつつ、明日の ために温冷浴と低周波電気治療器にマッサージ、そして仕上げの湿布を施し明日を迎えなければ、半日と持ちこたえてはくれない俺の左腕。
そこへ来て、本来春先に田んぼに撒いているはずだった肥料の山が目の前にある…。雨の連続だったこの春、本来トラクターに取り付けた機械に放り込んで撒く はずだった肥料が大量に残っている。左腕の状況からすれば、その量が量なだけに断念しても稲たちから恨まれることも無かろうが、そこは頑固一徹、プロ魂が 許さない。そして、大和魂が許さない。サッカー日本代表の活躍を!と願をかけて、お百度詣りならぬ、数百度担ぎだい。
我が家の肥料の山を崩すべく、意を決したのは、田植え終わらぬ5月末。代表批判高まる中、
「くそたれ日本人め、雑魚の如く踊りよる。批評や批判…、誰かが言い始めたらすぐに同調する雑魚どもめ。日本の代表に選ばれし若者を無為の心で応援できんのかい!」
というふうに愚直な俺の心が叫んだ。
背負っては撒き、撒いては草刈りと、牛馬の如く働き、
「馬鹿だなあ。」
と我が体が愚痴を吐きつつ、また背負ううち、日本代表がいい顔して帰ってきた。その後の番組出演でもいい顔、顔…。
「よかった、よかった。」
と思ううち、我が家の肥料の山もようやく無くなり、腕の痛みも時には忘れられるくらいになっていた。
昨日は、野外作業から暫く遠ざかっていた息子が、次に控える肥料の撒布作業に参加してくれ、
「これはかなりハードな作業だねぇ…、ひと月大変だったねぇ。」
と汗まみれの顔で労いの言葉をかけてくれるので、嬉しく感じつつも、今と先日までの愚直な労働の違いを、
「おう、昨日までこれの4倍背負って撒いとった。」
と言うと絶句していた。
「それって、全部で何キロ?」
「んー、6,000キロ?」
「って、6トン…、まじかよ。」
About 農樹
叫ぼう
畦草刈りの合間、
「うわーっ。」
と、大声を張り上げ、背伸びに、ストレッチをして、その場にへたり込む。草刈りの大切さは重々解っているものの、非生産的で辛いこの作業が好きな百姓がいるはずも無い。
「あっつー。くそーっ。」
「あーっ、しんどー。」
天高く大声でも張り上げて、命のベクトルを上に向けておかないと、お天道さんに照らし、熱せられ、勢い増す大地のエネルギーに、自分が融かされ、ここまま、土と化してしまいそう。決して大袈裟ではない、半端でない夏の草刈り。
もしもそんな私に、どこから来たのか、日傘を手にしたマダムが、
「青田広がる美しい日本の夏の到来、ね。」
なんて、呟こうものなら、乗りつけた乗用車をひっくり返してやろう。
「うわーっ。」
上を向いて、もういっぺん叫んでやる。あちこち、向こうの畑に、小さく見えるご老体。ゆっくり動いているようだが、どうせ聞こえてやしない。
ふと目の前に田んぼに目をやると、すぐそこの稲にトンボがとまっている。風に吹かれて、半球を描くほど稲が揺さぶられているのに、その先にじっととまっている。
「お前に聴覚は無いんだよなぁ。」
「うわーっ。」
青空のもと、大声出すと気分は爽快。