TOP>Author Archive
春
ここから随分離れてしまって御免なさーい。
雪が降り雪かきをする。精米をして発送を済ませる。リフォームの打ち合わせや周りの片付けに加えて確定申告、そして京都伊勢丹のプロモーション。カタログ 企画をいただいて、次は大阪伊勢丹のプロモーション。大阪はとうとう私はノータッチ。息子は自分で安宿を予約し、備品を予め発送し、「じゃっ!」と旅立 ち、8日間の任務完了後、「おうっ!」と帰って来た。
心から大した男だと思う。俺が母親を亡くしたのは17歳、剣道部だったから毎日人をぶちのめすことができた。学校さぼっても午後4時に道場へ登校?すれば 「人をぶっ叩く」ことができた。学生の本分なんかそっちのけ、竹刀を振るってバチバチ、ボコボコ。食う、寝る、バチバチ、ボコボコ、女のけつを追っかけ る…、以上。弱ければぶっ叩かれるばかりだから、真剣を持っているつもりで竹刀を振るい当然強くなる。ぶっ叩いている間は全てを忘れることができた。あの 頃剣道をやっていなければ、今頃ろくでもない人生を歩んでいたのだろうか、俺は。ひょっとしたら前科者?妻や息子に巡り会って無かったのかも…。
はけ口の無い毎日は辛かろう。俺には剣道部のおかげ、背負うものも無かったおかげで自暴自棄にもなれたし、その日一日の気持ちを治める手段があったという ものの、今の彼は当時の俺のように「どうでもいい」が許されない…と思うと忍びない。若くとも背負うものがあるばかりに、当時の俺のよう誰彼とバチ、ボコ やれない21歳の方が辛かろう。
気の利いた親父ならささくれ立つ気持ちを撫で、包むこともできようかというものだが、ところがどっこい自分のケアで精いっぱいで余裕がねーのがこの俺様。情けなくも「ガンバレ」、「ガンバルゾ」くらいしか吐けないもどかしさ。
心が真っ二つ…。割れた心の左側が喜びや希望で満たされるタンクなら、右は悲しみや絶望で満たされるタンク。左が空っぽ、右は溢れて満タン、がっくん右下 がり。右はくみだし減らすことなんかできないけれど、必ず左は満たしていける。左右天秤をバランスさせるべく進んで行こう。俺たちならそうしていける。
そう3月10日には随分注がせてもらったな。ちょくちょく訪ねてくれる友達がいる。励ましてくれる恩師がいる。俺の友達も君に優しい。身の回りの温かみは感じているから大丈夫。直近いただいたコメントなんて最高だったじゃないか。
さあ、春が来てしまった。嫌だけど仕方ない。届いた土の山、肥料の山を崩していかなきゃね。
About 農樹
リフォーム
昨夜の夕食はポトフを作った。
思えば23年前、入社半年の私のもとへ上京してきた妻が、横浜の狭い社宅で、同期の連中にふるまってくれた最初の一品。当時の社宅は2DK、そこに我が夫 婦を除く6人の男女が食って飲んだ挙句、そのまま全員が泊まってしまったのに嫌な顔することなくもてなしてくれたことを思い出す。以来このかた、誰を呼ん でも嫌がることなくもてなしてくれた妻。
そんな彼女と練ったリフォーム計画を今、実行に移すのか否か?答えは迷うことなく、まさに今…、やる、だ。
妻の喪中であるとか、49日もまだだとか、一般にはそんな考えにも及ぶかもしれないけれど、喪に服していてはただ日が過ぎるばかりで下ばかりを向いてしま いそう。だから、やっちまえ。スカッとリニューアルした家に写真を並べて『You will be in my heart』を聴かせてやろう、とね。古屋の造作、ましてや水回り3点セットのやり替えは大変だけれど、立ち止まっているよりずっとましだから前進あるの み。
ピッカピカになったら、あの人この人招いてまた語り明かしたいもんだ。そう、リフォームのコンセプトは『集い』だね。真の農樹にまた一歩近づくってもんだ。
どうぞお楽しみに…。
About 農樹
ヒミズ
1月13日、東京で川崎さん、ありがとう。しこたま飲んで、翌日は吐きそうだったよ。
1月14日、名古屋で山ちゃん、朝までありがとう。恒例夜明けまでディスカッションのはずなのに息子を人質に失礼しました。ありがとう。
1月17日、格谷さん、ありがとう。「本当に良かったですね。息子さんが居てくれて…、」って。くるっとひっくり返って涙あふれましたー。
1月18日、「農樹さんが有名になること…、私の夢でもあります。」なんて…、勿体ない。大谷さん、ありがとう。温かくも湿っぽくなく、さらりと大きなご支援、感謝です。
1月20日、教子の同級生・バスケ部の方々、伊勢丹までご声援ありがとう。私は不在、一樹(むすこ)はきちんと応対したのやら…。田舎っぺいが都会に立つとき勇気百倍、ありがとう。
1月21日、原田に竹本、大阪からわざわざ京都までありがとう。生ビール+泡盛約一升空いたよね。翌日気持ち悪かったー。あんたたちゃー、京都に来たとき にゃーできあがっとったのに、終電まで飲んで大丈夫やったとね?アナゴの煮つけ美味かったー。一緒にもろた酒の意味はわかるばってん、別添えのキュウリは 口直しっちゅうことやろか。東筑のみんな、ありがとう。お心添えいただきました。
1月22日、貴代さん・洋さん、伊勢丹へ陣中見舞ありがとう。これからも僕らの心をマッサージしてしてちょうだい。
1月26日、綾高・バスケ部の皆様のお心添えいただきました。
1月24日、『ヒミズ』というタイトルの映画を観た。一樹(むすこ)にすすめられるままに、京都伊勢丹のプロモーション最終日、観て、泣いて、涙がとまらなかった。そのラストシーンを思い浮かべては今日もまた泣いてしまう。
辛すぎる毎日を送る少年とそれを励まし続ける少女の物語。彼らを取り巻く人々もそれぞれ過去を抱えながらも、主人公に自分を重ねつつ『未来』を見つめ、決してそれをおろそかにしないで生きている。
『ヒミズ』のラストシーンを思い出して、つい今日も泣く俺の涙は、決して妻に先立たれてしょぼくれたおっさんの涙じゃ無い。主人公同様、未来へ向かって自 分の力を振り絞って見せてやるぞと決意に満ちた涙であるってこと。がんばれるやつには「がんばれ!」の言葉を…。教子(つま)が言い続けた、「乗り越えら れる試練が与えられる」。そしていつも「クマさんならやれる。」と、そそのかされてやってきたように、これからも「がんばれ」と言われ続けたい。大丈夫、 がんばれる。
2月1日は横山さんと1升5合飲んじゃった。
About 農樹
ありがとう
「クマさん、ありがと。気を付けて帰ってね。バイバイ。」
「うん、次は正月?いや大晦日か、んじゃまた来るよ。」
これが12月26日、教子が入院中の京都病院に俺が泊まったクリスマス翌日の夕方交わした言葉。
こんなはずじゃ無かった…よ、それからたったの6日後逝ってしまうなんてな。昨日も今日も、
「いかん、教子の病院に行かなくっちゃ」
と目が覚めた。決してメソメソしてるわけじゃない。俺だって白血病と分かってから、別れが来ることの覚悟はできていたつもり。
10月緊急入院した直後、教子のこんな話に耳をかしたくもなかったけど、きっちり、ちゃんと聞いてたわけだ。
「お葬式は必ず横山さんにお願いしてね。」
「葬儀屋さんが持ってくる死に装束なんか着せんといてね。2階のどこかに私が着たウエディングドレスがあるから、それ着せてね。」
「弔辞を読んでもらってね。恭子と富美ちゃんにお願いしてね。」
「音楽、クマさんわかってるでしょ。’You will be in my heart’流してね。」
「お香典?お花代だっけ?いただかないときましょ。」
「お骨はどうぞ適当に…。」
大した人です、教子さん。
我ら夫婦の親愛なる横山夫妻に、23年前無理矢理結婚式を挙げてくれとお願いした挙句、その23年後お葬式をお願いねって言ってのけるずうずうしさ。日 頃、横山夫妻の大阪・池田の石橋教会に遊びに行こうと互いに話していたから、俺も「ええい」とばかり迷惑ついでに生身の貴方を連れて行きましたがな。ウエ ディングドレスだって、どこにあるのやら?一樹が半泣きで探し当てたのよ。恭子さんも富美ちゃんも、名指しで弔辞のご指名、さぞ辛かったろうにお前さん は、
「お願いね。」
と言って、逝ってしまうか?
自称、プライドの女王様の名に恥じず、凛として潔い告別式。無念を言い出せばきりがない。今はただ心からの、ありがとうを横山夫妻とその子達をはじめ、バスケ部の面々や、遠くまでお別れに来ていただいた方々に、共に伝えよう。「ありがとう」ってね。
俺は悲しい。未だ膝に力が入らない。悲しくって寂しくて、そしてどうにも腹立たしくて、そこらでニタニタ歩いてるやつをぶん殴りたくなるけど、天国で教子が恥じいることはしないでおこう。
こんな俺を、一樹を、そして農樹を愛してくれた教子(あなた)に言っておくべきだった、何千万回分の「ありがとう」を伝えられるものなら伝えたい。その日 その時に言うべき「ありがとう」は、次回まとめて言うものでは無いと今更気付いてももう遅い。これから何ができるのか…。
そっちで自慢してもらえるよう、生きてみせるよ。
「ほら、あれがクマさん、そして一樹よ。農樹、すごいでしょ。私の夫、息子、農樹なんだ。」
って、ね。たっぷり枝葉を広げて自慢させてやるわい。
「美人薄命ってもんですかねぇ?」
あの時、ぬけぬけとそんなことも言ったっけ?
調子の良いやっちゃ、あんぽんちん。もいっちょこの曲聴きやがれ。
You will be in my heart
俺たちは今週末、東京行く!平成24年産のお米の商談ったい。一緒に行くぞ。しょぼくれてなるものか。俺だって凛として生きてやる。