土造りから稲づくりまで、丹波のお米なら農樹

農業生産法人 株式会社 農樹

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祈り

日々、祈りのうちに生きてきました。
朝、「パンが上手に焼けますように。」「今日は、たくさんのパンが売れますように。」
春、「今年は天候に恵まれ豊作でありますように。」「事故やトラブルなく仕事がはかどりますように。」秋には、「おいしいお米が多くのお客様に届けられますように。」
2か月前、大きな祈りが加わりました。
「早く病気がなおりますように。」「病気が完全になおりますように。」
急性骨髄性白血病に罹りました。まさか、私が・・・、信じられない、信じたくない。いまだに、悪い夢なら早く醒めてと思うこともしばしばです。
これまでの経過、これからの報告をこのブログ上に記録していきたいと思っています。病気イコール不幸を世間にさらすことは、プライドの女王様としては許し がたいことでしたが、そんなプライドも何も髪の毛もろとも抜け落ちていってしまいました。森林火災で焼け出されたオラウータンのような有様です。
教子 (俊久の妻、一樹の母)

JR京都伊勢丹プロモーション④

クリックしてみて ↓
JR京都伊勢丹・マーケットプロモーション

9月28日(水)~10月4日(火)
JR京都伊勢丹・地下2階にて
『農樹』のプロモーション/第4弾

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新米(H.23年産)引っさげ、上洛いたします。

今度は、どんな出会いがあるのだろう。ただただ、米を作るのでは無く、人と出会って、話し合って、絡み合って、自分も、お米も磨かれ、味が出てくる気がする47歳。

明日も昼飯忘れて稲刈りか?おかげで、晩飯の美味いこと…。

何かを持ってるW・クマ。12号台風被害なし。コシヒカリの稲刈り終了まで秒読み態勢。一気呵成に攻め立てよう!
明日も、美味い晩飯が待ってるじぇい。

無事

台風12号で近畿各地に大被害が及ぶ中、ここは被害なし。
我が田んぼも被害なし。
奇跡…だと思う。比叡山のてっぺんから、彼がきっと守ってくれたのだ。
ありがとう。
そして、ご心配いただいた皆様、ありがとう。
稲刈り、頑張ります。

彼とは

格好いい

そろそろ稲刈りが近づいてきたことを知らせてくれる独特の香り。農家にはわかる、漂う香りの変化。盆が明ければ、戦闘準備。ライスセンター内の機器の掃除 に始まり、試運転に調整、場合によっては部品の交換。コンバインのチェックに注油などなどこなしながら、稲刈りモードへ切り替えを…。

さて、先日、ここ綾部市の地域担い手農業者で構成される団体の研修会・懇親会に、息子と二人で出席した。約10年以上前から、この団体と疎遠になっていた 理由が、私にはそれなりにある。しかし、親父が毛嫌いしてきたものから息子を遠ざけるのではなく、業界内外、ひと通りのところへ面通しをして、その後のこ とは本人が考え、交友を深めて行けば良いと思うので、農作業は早めに切り上げ、のこのこと…。
処は綾部市内のとある割烹旅館、いつものところ。こじんまりした座敷に通されれば、予想通りの雰囲気。世話役の農家2名が30代。同じく世話役の市職員 40代。農林部長と市長が50代。その他ご出席の農家は、みたところ、私と息子を除いて約20名が70代。想像通り、性懲りも無くやってきましたこの集ま り。
「ほれほれ、来たぞ、来たぞ。」
と、ばかり…、お決まりの自己紹介と近況報告。
そして、やれ、「経営が苦しい」、「後継者がいない」、「補助金が欲しい」、「国へ働きかけを…」、「市からの助成を…」などなどと、まさに陳情集会。こ れだから、私はこの人々から遠ざかり、孤高の人を気取って、本日この日まで来たたわけだ。とっとと、酒でも出せやぁと叫びたくなりながら、こういう集会で 避けようのない、今更ながらの自己紹介。
「ここに生まれたわけでも、育ったわけでもなく、農業に志を抱き、ゼロからスタート、17年目の稲作農家・なかつくまです。毎年収穫したお米は、大事に抱 えこんで1年かけて自家販売。秋、冬はネクタイ締めて営業活動することの繰り返し。米を抱えこむのは、しんどいっすわ。営業の旅費も経費もかかります。し かし、芽が出たら嬉しいもんです…。取引先の広がりもさることながら、この春には、我が家に別の芽が吹きました…。今日は私とともに、この道を歩む決心を した息子を連れて参りました。近々『農樹』を法人格にした暁には、社長に就任する男であります。農樹の初代社長の一樹です。どうぞ、よろしく。」

あー、くまちゃん、爽快!

続く息子が、また爽快!威風堂々、
「息子の一樹です。医療系の大学に通い、トレーナーの道を志してはいましたが、農業の魅力と双方天秤にかけてみると、こちらを選択するに至りました。僕たちよりも下の世代の子たちが農業に憧れを持つように、僕が手本となる農家になりたいと思います。」
と、言ってのけましたがな…。かっけぇっ(現代若者言葉:格好良い)!と、47歳が心の内で叫んでしまう。それからが、大変。日本の宴会文化の洗礼を浴びる。即ち、注ぎつ注がれつ、ご返杯の嵐に巻き込まれ、ゲロまみれ。
「気持ちわりーっ。あのじじいどもめ。うぉー、ろろろっ。おえーっ、ろろろっ。」
翌朝、意外と爽やかな顔の息子は、
「あんだけ吐きまくったから、腹減った。それにしてもよぉ、やっぱ昨日のおっさんたち、どいつもこいつも気持ち悪かったよな。後継者がいねえー、のなん のって二十歳の俺に言ってきてよー。だいたい、メジャーリーグ、Jリーグに後継者不足なんてねーじゃんか!じじいどもが、ダッセェーから後継者不足なん じゃねーか。何年間生きてきて気付かねぇんだ、ばーか。」
「…、…、かっけぇっ。」

出穂の時

つい先日、年配の男の方から、こてこての九州弁で電話をいただいた。
「6月でしたかなー。伊勢丹でピンポン玉のごたん(のような)、おむすびば(を)いただきまして、その後お宅のお米をこーた(買った)もん(者)です。伊勢丹に親子でいらっしゃっとったが、貴方はお父さんの方ですか、息子さんの方ですか?」
この電話、6月末から8日間、息子と臨んだ京都伊勢丹での試食販売で、行き交う方々にピンポン玉のようなミニおむすびを差し上げつつ、会話を交わしたお方に違いない。
「ありがとうございます。私は親父の方です。」
と、答えると、奈良に居住というそのお方は佐賀県のご出身。私の先祖も佐賀から出たのだと申せば、ますます濃い九州弁が受話器の向こうから放たれる。
「貴方のお米はうまかですばい。お世辞じゃのーて、ほんに(本当に)飽きのこん、よか米ですばい(飽きない良い米です)。そげんなお米ば作るだけでも、 我々には分からん苦労もあるでっしょうに、都会のデパートに立って…、素晴らしかですなー。親子で堂々とされとったですなー。頑張ってこられた証です なー。」
「いや、いや、そんな褒めちぎらんとってくだ、さ、い…。」
「なーんの、褒めずにはおれまっせんばい。ところで、一緒におられたあの息子さんは、将来農業をされるとですか?」
「えっ、将来?も、なーんも、うちの息子は、現在進行形ですばい。今、もう農業ば、しとっとです(農業に取り組んでいます)。」
「…?、息子さん、農業ばしとっとって、どげなこつですか?(どういうことですか?)」
「どげなこつもなんも、うちの息子は大学に行きよった時から、私の米作りば手伝ってくれよったとですが、こん春から、俺は腹決めたー!って、あいつ、大学 ば、中退したとです。2年生をもって中退したとです。もう手伝いやなか、今や息子も正真正銘の農民ですたい。父と子ひとつの経営体になっとーとです。我が 家は…。」
数秒の後、
「あー、うれしか、ですばい、わたしは。こん(この)時代に貴方がたん(貴方がたのような)親子に出会えてうれしかですばい。今日は、ほんに(本当に)よ か日ですバイ。これから伊勢丹に行ってきますたいね。おたくのお米ば買いに行ってきますばい。あー、ほんによか日になりました。頑張ってくださいなー。こ の先、伊勢丹に行く楽しみが増えましたばい。大した応援もできまっせんが、お元気で頑張ってください。」
…、と。

時は前後して、7月上旬、伊勢丹浦和店でも我がお米の試食販売の機会に恵まれた。上々の売れ行きだったことより、何より嬉しかったのは、母校・東筑高校同窓生女子、Oさんが駆けつけてくれたこと。
東京から埼玉まで電車乗り継ぎ着てくれた、それだけで充分なのに、配送の注文に加えて、お買い上げ。そこへきて、
「これ、飲んで。」
と、さりげなく日本酒の差し入れを手渡されて、秘かに心のうちで、「うれしかー。うれしかー。」と、叫び、「うっ!」と、つまる私。
後日、お礼のメールを打てば、
「美味しくて価格もお手ごろ(これも大事)なので、機会があれば皆に薦めたいと思っています。お米は一生食べるもの、知り合いの思いのこもったものを頂けるのは私にとっても幸せです。
食、農は生きる基本の一つですから、そういうことに真正面から向かい合っている中津隈ファミリーはすばらしいなあと感心しているのです。」
と、返信いただき、またもや、
「うっ!」

私が、お米について常々思っていること。
○○農法なるものを謳わない。食味値などの数値を前面に押し出さない。産地を謳ってはますます意味が無い。自分のお米が1番などと思うよしもない。 2,000年を超える稲作文化の直近僅か17年、たかがその程度しかかかわってない人間が、「美味いやろう。」と、どや顔することは恥ずかしい。言い方を かえれば、農法や食味値、産地などを武器の如く振りかざして営業活動する人々と私は異人種なのだろう、と。
ひとたび商品として世の中に出すには、一定の品質を保つことは必要条件。しかし、それが売れるか否かにテクニックを駆使する器量は私には無く、無くて上 等、一向に構わないと思っている。何より大切なのは、手紙のやり取り、電話や対面時の会話などなど、アナログの部分を一番大事にしたいものだ。
我が「農樹」を決して一番と思っていただかなくて結構。私もそこを目指しているわけではなく、私たちと、食べていただく方、応援してくださる方、販売して くださる方…、様々な人と人との思いが重なり、喜びが相乗して、今年もピカピカ光る新米ができる。そんな営みを繰り返せることこそ、尊いと思う。

Oさんの来店やメールが、また九州弁のお電話が、私や息子の心を震わせ、今日も次の田んぼのお世話に向かわせるエネルギーとなっている。こんな人生、こんな日々へようこそと、「農ヲ志ス子」を引き入れてあげられるところへ来た「農樹」は、まさに出穂(しゅっすい)の時。